第16話 友情の芽生え
学校の最寄駅まで自転車で移動して来た華愛と音葉は、市営の駐輪場に自転車を止め、近くのカフェに入った。
ビルの細い階段を二階まで上がった所にある小洒落たアンティーク調のカフェは、音葉が提案して来たお店だった。正直、今まで友達と言う友達も作らず、一人でカフェに行くこともあまりなかった華愛は、音葉がここに行ってみたいと言ってくれて少し助かった気持ちだった。
しばらく二人でメニューと睨めっこをした後、音葉はカフェラテ、華音はオレンジジュースを頼む。オーダーを店員さんに伝えた時、不思議そうな表情でこちらを見つめて来た音葉に、華愛は苦笑いを浮かべながら口を開く。
「私、コーヒー系飲めない。苦手なの」
「そうなんだ」
意外だと思われたのか、音葉は少し驚いた様子を見せつつも納得した様だった。
華愛は昔から誤解されやすい。それは人よりも少し大人びた雰囲気をしているからかもしれない。
いくら容姿がそうであろうと、華愛はただの十七歳の一人の少女だ。
コーヒーが苦手。
絶叫系も苦手。
成績だって特別良い訳でもない。
恋に感情を振り回されてばかり。
周りの期待でこうであれと勝手に作り上げられた完璧人間で容姿端麗の桜木華愛などいる訳もなく、ここにいるのはそこら辺に普通にいる女子高生だった。
最初は誤解されることが嫌で嫌で仕方なかったが、今はもう慣れてしまっていた。むしろ、自分の外見しか見ていない様な人達は関わっても時間の無駄だと思っていた。いつしか他人と関わる事を諦める感情が強くなるにつれ、視界から色鮮やかさが徐々に失われていった。
しかし、華愛はそんな今までの自分から変わろうとしていた。
その大きな一歩こそが、今ここで音葉と時間を共有していることだった。
店員さんがいなくなった後、二人の間に会話はなく、周りにいる他のお客さん達の話し声と店内に流れるジャズ調の音楽だけが、二人のいる空間に満ちていた。どこか自分達が居る場所が異質に思えて、カフェの安らぐ空気に馴染めていない気がする。
その状況に耐えられなくなったのか、音葉がソワソワし始めるのを見て、華愛はあくまでも平常心を装いながら口を開いた。
「ごめんなさい」
「えっ?」
急に謝られた音葉は状況が読めず困惑している様だった。自分の言葉足らずな部分をちゃんと伝えなくてはと、華愛は必死にいうべき言葉を頭の中で探る。
「私、今までバンドの練習にちゃんと行けてなかった。きっと響が怒った原因はそのせいだと思うの。なのに、言葉をうまく伝えるのが苦手で、返って響を怒らせた。結果的にその怒りを結城さんに向けてしまって……本当にごめんなさい」
華愛は一気に伝えたかったことを告げると、音葉に頭を下げた。
「えっそんな、顔上げて! 桜木さんが私に謝ることないよ。あれは私にも原因があったし、喧嘩したのだって私と響の問題だもん」
「それでも、みんなに不真面目だって怒られてもしょうがないこと、私はしてた」
「桜木さん……」
華愛は顔を上げて音葉をまっすぐ見つめる。そして、ずっと音葉に言わなくてはと思っていた事がもう一つあった。
「それと、あのこと言わないでいてくれたんだね」
音葉は華愛の言うあのことにあたる出来事を記憶の中で探っているのか、眉を寄せながら斜め上を見上げた。数秒後、心当たりにたどり着いたのか納得した表情で華愛に視線を向け直した。
「言わないよ。私は自分がされて嫌な事はしたくない」
真剣な表情でそう答えた音葉を見て、華愛はやっぱりと心の中で呟いた。
華愛は分かっていた。音葉が心優しい女の子だと言うことも、響や律が人を外見だけで判断する様な人じゃない事も。
しかし、長年人と距離を置いて生活して来た華愛には、どう接したらいいのか分からなかった。だから、今日は賭けたのだ。音葉という人物に。
自分の苦手な部分、そして弱みを見せてそれを受け入れてくれるのかどうか。理解してくれるかどうか。本当に友達になれるかどうか。
そして、音葉の真っ直ぐな嘘偽りのない優しさがその答えを出していた。
「ありがとう」
緊張がほぐれ、思わず華愛は笑みを溢した。なぜかさっきまで真剣な顔をしていた音葉が、今度は瞳を輝かせながら固まってしまう。表情豊かで面白い子だなと内心思いつつ、あまりにもきれいに固まっているので思わず声をかける。
「どうして固まっているの?」
「あまりにも笑顔が素敵で……はっ! ごめん。無意識で思ったこと口にしてしまったぁ〜」
恥ずかしそうに赤くなった顔を手で隠しながら音葉が答える。今までどんな人にいくら容姿を褒められても何も感じなかったのに、不思議と音葉の言葉に心が温まるのを感じた。
自分の発した言葉で顔を真っ赤にさせ、あわあわしている音葉を見て、思わず笑いが込み上げてくる。
「ふふふっ」
「そんなに笑わないで。尚更恥ずかしい」
「ごめんなさい。でも、結城さんの純粋で嘘偽りないその性格、私は好きだよ」
こんなに人前で笑ったのはいつぶりだろうか。華愛は笑いすぎて目尻に溜まっていた涙を拭きながらそう考える。
友達とこうやって放課後に些細な事で笑って過ごす。そんな時間も悪くないかもしれないと華愛は思った。
「桜木さんはずるいよ。顔もモデルさんみたいで性格も優しくて」
「私は結城さんの方が優しいと思う。普通、友達でもない人に誘われて、理由も聞かずについてくる? 疑いもなく」
「確かに……言われてみれば」
真剣に考え込む音葉を見て、また堪えきれず笑い出す。そんな華愛に釣られる様にして、今度は音葉も笑い出した。
「私、学校終わりにこうしてカフェとか寄り道して、たわいもない話を友達とすることに憧れてたの」
音葉が自分のカフェラテのマドラーをゆっくりと回しながらそう話した。カフェに行くことになった時、目を輝かせながらこのお店を提案して来た音葉の顔が頭に浮かぶ。
「私なんかでよかった?」
少し心配そうにそう聞いた華愛に対して、音葉は首を左右に振って視線をマグカップから上げる。
「むしろ逆。その相手が桜木さんだから良かった。友達ごっこみたいな関係の人と憧れ叶えても虚しいだけ。友達になりたいって心から思えた桜木さんだからいいの」
それは上辺の言葉なんかではなく、本心を言っているように感じた。
「うん、私も結城さんでよかった」
二人の間にまた沈黙が訪れる。でもそれは、このお店に入ったばかりの気まずく重たい空気とは異なり、温かみを帯びた安心感のある沈黙だった。
先ほどまでカフェの店内で会話を楽しむ周りの人達と比べて、自分達は馴染めていないと思っていたが、今は周りと同じ様に心からこの時間を楽しめている。
心なしか、アンティーク調のレイアウトに少し暖かみのある色彩が見える気がする。そして、目の前で嬉しそうにしている音葉の顔が、ふわっとした輝きを放っている様に見えた。
「もしよかったら、私のこと音葉って呼んで欲しいな! 私も華愛って呼んでもいい?」
「うん、華愛で。これからよろしくね、音葉」
「こちらこそ!」
夕暮れのカフェが賑わいを見せる中、その一角で新たな友情が芽生えるのだった。
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