第17話 トラウマ

 明日からテスト期間に入る校内は、いつもより少し大人しい雰囲気の様に思えた。

 二限の大っ嫌いな古典の授業が終わり、堅っ苦しい時間から解き放たれたはずなのに、響の心は柄にもなく沈んだままだった。


 二日前の出来事以来、音葉と華愛とは会っていない。同じクラスの律でさえ、会話はいつもより少なくなり、もう一人の友人から「お前らなんかあった?」と言われてしまうくらいだった。授業が終わってそんなクラスにいるのも億劫で、響は思わず教室を出て廊下をうろちょろしていた。

 

 頭が冷えた今、自分の言葉の過ちをひしひしと感じていた。

 響はどうしても四人のバンドを成功させたかった。自分が認めた才能で、自分の最高の音楽を出来るたげ早く、大きく広めたいと強く思っていた。その気持ちが響を急かし、焦らせ、拗らせていた。

 状況はむしろ最悪となり、響はお手上げ状態で途方に暮れている。


 授業中も休み時間も気づけばどうすれば良いのかと考えてしまう。やはり面と向かって謝るべきかと思いそのタイミングを考えるが、またしつこく付き纏ったら逆に避けられてしまうだろう。かと言って、数Bの授業以外に接点がなく、思わずため息を漏らした。


 響は肩を落としながら、一階にある自販機に行こうと階段を降り始めた。

 その時だった。


「はっ!」


「おうっ」


 お互い鉢合わせたと同時に思わず変な声を上げた。目の前には体育着を抱えている音葉がいる。どうやら二限目が体育だったらしい。


 急な展開に響は思わず気まずそうな顔をしてしまい、真っ直ぐに音葉を見ることが出来ない。

 音葉に謝る事ができる、またとないチャンスにも関わらず、響は驚きと焦りで言葉が思い浮かばなくなっていた。気まずい沈黙に耐えかねる様に、音葉もまた顔を背ける。


「ごっごめんなさぁーい」


 そして、音葉はそう言いながらギュッと体育着を抱き寄せ、響から逃げるように勢いよく横をすり抜けていった。


「おっおい!」


 遅れながらに声をかけたが音葉が振り向く事はなく、その姿は見えなくなってしまった。 

 謝りながら逃げていった音葉を思い出し、自分に非があったと思って反省していた響は混乱する。きっとまだ自分に対して怒っているのだろうと思っていた響にとって、音葉の行動は理解できなかった。


 音葉がこの前言った事は正論だった。誰にでも知られたくない事はある。

 かくいう響自身も知られたくない事に心当たりがあった。




 響の両親は中学二年の時に離婚した。原因は父の仕事に対する熱量が、家族への熱量を遥かに上回ってしまった為だった。

仕事に情熱を注ぐあまり家族を顧みない父と、母との間には亀裂ができ始め、そしてその亀裂は大きな溝となり、結果として修復不可能なものとなった。


 父は誰もが知っている有名バンドのプロデューサーだ。幼い頃はその事を自慢にすら思っていた。そんな父の影響でギターを幼い頃から鳴らしていた響にとって、自分の作ったオリジナルの曲を父に披露することが何よりも幸せな時間だった。その頃は「お前は天才だ」と父に褒められることが嬉しくてたまらなかった。


 しかし、響が中学生という思春期真っ只中に父は自分達の元を去った。

 当時の響からしてみれば、父は自分達家族よりもそのバンドを取ることを選んだ様にしか思えなかった。母は別に誰も悪いわけではないと言う。ただ生活する世界が遠くなり過ぎただけだと。


 だけど、その事実は響が持っていた尊敬や憧れの想いを変えてしまった。響にとって父は自分達を捨てた人であり、そのバンドは父を奪っていった憎むべき存在になっていた。


『親父のバンドより有名なバンドマンになって見返してやる』


 今まで純粋に音楽が好きだった気持ちが、その思いが強くなるごとに澱んでいった。

 それは響の心だけではなく体にも牙を剥く。


 響は歌が歌えなくなった。歌おうとすると声が震えて息が続かない。そして、曲を作ろうとしても、「これだ!」と言うものが作れなくなった。

 いわゆるトラウマからくるイップスというものなのかもしれない。よくスポーツ選手がなっているのを耳にする。多分それに近いのだろうと響は考えている。


 そんな自分ではどうしようもできない暗闇中、高校で律のドラムを聞いた時、少し光の道が見えた気がした。『コイツとならやれる。克服できる』そう感じた。


 幼い頃からピアノを習い相対音感が鍛えられていた華愛も、未経験でベースをやりたいと言い始めた時は驚いたが、持ち前の音感と器用さで今では様になっている。


 しかし、結成したバンドはメンバーの脱退が相次いだ。理由は失恋とかいうくだらないものだった。

 しかもバンドの要であるボーカルがだ。自分は歌えない。華愛も律も音痴ではないが至ってフツーすぎるし、二人とも自分の仕事をとことんこなしたいタイプな為、歌も歌ってくれとは言えなかった。


 響にとっては絶望だった。

 自分の耳が認めた才能が揃っている。

 舞台が出来上がってきている。

 それなのにそれをまとめて観客に送り届ける要が欠落していた。


 そんな中、『OTOHA』の歌声を動画配信で聴いて、律のドラムを聞いた時、いやそれ以上の強い光が差し込んできたのだ。

 そして、その歌声の持ち主が偶然にも同じ学校の同じ学年にいた。

 このチャンスをなんとしても手に入れなければと自分の本能が沸き立った。しかし、現実は甘くないのだということを今思い知っている。


 この前の言い過ぎたことを謝りさえすればまたチャンスが巡ってくる。そう思っていた響は、それさえさせてくれそうにない音葉に、完全に打つ手を無くした。

 あの様子であれば、話すらまともに聞いてもらえない未来が、響の足りない頭でも容易に想像ついた。


「っくそ。どーすりゃいーんだよ。分かんねー」


 階段にそんな響の嘆きが反響していく。周りにいた数人から奇異なものを見る様な視線を向けられるが、今の響には周りなど全く見えていなかった。

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