第28話 夏空

 視聴覚室の窓から華愛は空を眺めていた。

 ちょっと前まではグレーがかった空が続いていたが、今日は夏の訪れを思わせるかの様に群青色に染まっている。そんな空に一つの大きな入道雲が存在感を放っていた。


 夏の空なんて毎年見てきたはずなのに、こんなにも鮮やかな色彩はいつぶりだろうか。華愛はその新鮮な光景に心躍っていた。


 期末テストが無事に終わり、本格的にバンドの練習が始まってから、華愛の世界は鮮やかさを徐々に取り戻していた。

 何かに熱中するということがこんなにも素晴らしいものなのだと、華愛は初めて気付かされる。

 幼い頃から母がピアノの先生という事もあり音楽には日常的に触れてきたが、こんな体験はしたことがなかった。

 

「なんだか、楽しい」


 窓越しに空を見上げたまま独り言を呟く。

 すると、華愛の視界の端に、ふと綺麗に切りそろえられた黒髪がチラッと写り込んだ。


「何見てるの?」


 視線を移した先に、ニコニコとした音葉の顔があった。

 自分の初めて親友と呼べる存在。

 音葉の存在もまた、華愛の失いかけていた感情に色を与えてくれた。他の人だったら答えないような、意味をなさない単純な会話でも、不思議と音葉が相手だとなんでも楽しく話せた。


「空を見てたの。すごく綺麗で夏だなって思って」


「あっ本当だ! これぞ夏って空してるね!」


 音葉が目を輝かせながら窓越しに空を見上げてそう答える。

 授業後のホームルームが終わり、男子二人よりも先に視聴覚室に着いていた華愛と音葉は、隣に並んで窓に寄り掛かりながら話し始めた。


「もうすぐ夏休みだね。なんだか早いなー。しかも、夏休み終わったらすぐ学祭だし」


「時間あるように感じるけど、きっとすぐなんだろうね」


「あーなんか緊張してきた」


「それはいくらなんでも早すぎじゃない?」


「あはは、だよね。でも、時間がないって思った方が頑張れる気がする!」


「それ、私もわかる気がする」


 もう来週から夏休みが始まる。授業が無い分、いつも以上にバンドの練習に時間を割くことができる。

 それでも、期間限定の休暇である以上、時が経てば学校が始まり、すぐに学祭がやってくる。だからこそ、この貴重な時間を無駄には過ごしたくない。それはきっと華愛だけではなく音葉や響、律も同じ思いだろう。


「ガチャ!」


 大きな音を立て、重厚感がある視聴覚室のドアが開け放たれた。ドアの向こう側で忙しなく動く他の生徒達の声が漏れ聞こえる。


「待たせた、わりぃ!」


 いつも通りの元気な声を発しながら響が登場し、それに続いて律が視聴覚室に入りドアを閉めた。漏れ聞こえていた雑音がなくなり、静かな視聴覚室で二人の足音だけがパタパタと聞こえる。


「そんなに待ってないよ。私達もさっき来たばっか。ね、華愛」


「うん」


 音葉に名前を呼ばれることに、むず痒いような嬉しいような感覚を覚えながら、華愛は答えた。

 男子二人はそれぞれ自分のバックを雛壇場に並んだ椅子に置いた後、こちらの方に歩いてきた。


「じゃー早くやろうぜ。明日は他のバンドにここ占領されるし、今日のうちにこの前の曲完璧にしようぜ」


「そういえば、まだ一曲しか練習してないけど、文化祭それだけやるの?」


「もう一曲やる予定。もうすぐ完成するから、夏休みまで楽しみにしてろよ!」


「うんっ! 歌えるの楽しみにしてるよ」


 自慢げに胸を張って仁王立ちしている響と、ワクワク顔で鼻歌を歌い始めた音葉を交互に見る。二人の幼い子供のような無邪気な様子に、華愛は思わず頬が緩んだ。


 しばらくして何やら視線を感じた華愛は、もう一人の存在を思い出し、急いで視聴覚室を見渡す。そして、こちらにいつも通りの爽やかな笑みを向けていた律と視線がぶつかる。無防備な顔を晒してしまっていた恥ずかしさから、急激に顔が熱に帯びていくのを感じた。

 急いで視線を逸らしたが、律の事なのできっと心の中でほくそ笑んでいることだろう。


 自分の感情が三人と一緒にいるだけで、色とりどりに移り変わっていく。そんな自分の変化に戸惑いつつも、不思議と心地よさが優っていた。


(まーこいうのも悪くない、かな)


 鮮やかな青に染まった空と大きく膨れ上がった雲をもう一度眺めながら、華愛はそう心の中で思うのだった。

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