第32話 提案
クーラーの効いた視聴覚室は天国だった。
九月に入った言うのに、相変わらずの暑さに体が溶けそうになる。あんだけ長く思えていた夏休みもあっという間に終わってしまった。
「あー涼しー」
練習がひと段落し、響は温まった体をダラっと椅子に預け涼んでいる。同時に、冷静になった頭で明日以降の活動内容を考える。
夏休みが終わった事により、文化祭本番へ学校全体が賑わい始めていた。特に、文化祭が一大イベントである軽音部含め出演予定の部活は、響達のチームも含め、どのチームも活発に活動し始めていた。
そこで一つ問題が発生した。
『練習場所問題』
この学校の防音施設は音楽室と視聴覚室の二箇所しかない。しかし、音楽室は基本吹奏楽部が独占。そして、視聴覚室は軽音部だけではなく、演劇部や映画研究部なども使っている。どの部活もこの時期になると本格的に動き始める為、練習場所の争奪戦となるのだ。
思う様に場所が取れず、結局明日は視聴覚室が取れなかった。
「明日どうすっかなー」
頭の後ろに両手を持っていき、天井を見上げながらそう呟く。そんな時、ふと人が近づいて来る気配を感じ、響は体を起こして横を向いた。
「明日場所取れなかったの?」
この学校一番の美少女と言われるその美しい顔が、響を見ながらそう声を掛けてきた。基本クールで大人しい華愛は、会話に入って来る事は増えたが、それでも自分から声を掛けて来る事は滅多にない。
珍しいなと思いながら、響は「ああ、そうなんだよ」と答えた。
「私、行きたいところあるの。みんなで」
華愛の言葉に、思わず「まじ?」と一言声を漏らしてしまった。今まで彼女から何かをしようと提案してきた事は一度もない。そもそも、基本真顔の彼女は何を考えているのか分からない。「そこがいいんだよ」と言う馬鹿な男子が多いが、響はその魅力がよく分からなかった。
そんな華愛が今、響に提案をしてきた。
「まじ」
響の驚きの声に、華愛が鸚鵡返しの様にそう答えた。彼女が普段言わなそうな言葉使いが、その整った顔から発せられ、驚きのあまり響はさらに目を見開いた。
(おいおいおい、どーしたよ)
華愛の目が心なしかいつもよりも強く輝いている気がする。ここまで真剣に言われたら却下する事は野暮な事だと響は思っていた。
「で、行きたいところってどこだよ」
「音葉のお母さんのお見舞い」
淡々と返されたその言葉に、響は雷が落ちたかのように電流が走ったのを感じた。
確かに、音葉のお母さんのお見舞いに一回も行っていない。音楽に精神を注ぎすぎて、大事な事をすっかり忘れていた事に響は気付いた。「仲間の夢は俺達みんなの夢だ!」と音葉に言ったくせに、その夢見せる相手である音葉の母に一度も会いに行っていない。
間違いなく、今回のライブを一番心待ちにしているのは音葉の母だろう。にもかかわらず、恥ずかしい事に華愛に言われるまですっかり頭から抜けていた。
「音葉!」
遠くの席でヘッドホンをつけ集中していた音葉に、響は躊躇いもなく大声で叫んだ。静かな視聴覚室に響いたその声は、ヘッドホンをつけていた音葉にも聞こえたらしい。彼女はこちらを向きながらヘッドホンを外した。
「何?」
「明日、音葉の母ちゃんのところ、みんなで行こうぜ!」
「本当に?」
「ああ、文化祭前に一回ちゃんと会ってみたいし。律も行くよな?」
「もちろん」
「嬉しい! 伝えておくよ!」
「じゃー明日の予定は決まりだな」
そう言いながら、隣にいた華愛に目配せをする。彼女はほっとしたような表情をした後に、ふっと笑みを溢していた。そんな彼女を見ながら、響はクーラーの冷気ですっかり冷えてしまった体を起こし、立ち上がる。
「じゃー練習再開しようぜ! 二曲通しで一回やって反省会な」
響は自分のギターの元に移動し、ストラップを肩にかける。他三人も定位置について準備を整えた様子だった。
「よーし! 律カウント頼む」
「オーケー」
律のシンバルが控えめに四回鳴った後、一気にドラムの音で視聴覚室が満たされていく。そして、いつものタイミングで最初の一音を奏で始める中、響の心もまた沸っていくのだった。
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