第25話 親友の本音

「うちの息子がすみませんでした」


 そう言って職員室に現れたのは、絵に描いたような厳しそうな人だった。律から少し話は聞いていたが、ビシッとスーツを着こなす姿を見て、納得がいくような感覚に囚われる。と同時に、モヤモヤとした気持ちが心の中に湧いてきた。


「お前は一体何をしているんだ!」


「すみません」


「何回言ったら分かるんだ! 音楽など下らない事はやめてしっかり勉強に集中しろ!」


「……」


「返事をしろ!」


「……」


 怒鳴る父親に対し、律は柄にもない暗い表情をして黙り始めた。ドラムを奏でている時の律は、伸び伸びとしていて瞳が生き生きと輝いていた。なのに、今の律の瞳はまるで沼の底にいるかのように澱んでいる。


「お前は金輪際、音楽をやるな!」


 その厳しい声に、下を向いたまま黙りこくっていた律の肩がビックっと震えた。さっきまで死んだような表情をしていた律が、今はまるで怯えているようだった。こんな律をこれ以上見たくないと、自分の心が叫んでいた。


「それは話が違う!」


 我慢の限界だった。

 この人は律の才能を踏み潰そうとしている。それが響には耐えがたいことだった。何よりも、律本人が一番辛いはず。親友が苦しんでいる姿をこれ以上見たくないと、そう思ったら声が先に飛び出していた。


「なんだね君は」


「律は約束をしたはずです! テストで学年トップを取り続けたらドラムをしていいって! こいつはその約束をちゃんと守っています!」


 どんな人間も完璧ではない。律もその一人だ。

 確かに頭が良くてむかつくほど器用だが、それだけで学年一位を取り続けているわけでは無いことを響はよく知っていた。

 律がしていることは無茶苦茶だ。でも必死に努力を重ねてそれを可能にしている。

 律は努力家で人一倍ドラムを愛している。そんなどこにでもいる普通の男子高校生なのだ。学年トップの天才くんは、生まれ付いての天才などではない。


「ああしたよ。今思うと馬鹿げた約束だった。最初からそんな約束しなければよかったよ。誰か知らんが律の友達ならドラムなどと言う下らないことをしないように言ってはくれないか」


 自分たちの音楽、ドラム、そして何よりも親友を侮辱するような言葉。響にしては丁寧な言葉遣いを選んで話していたが、怒りが頂点に達し、もう言葉遣いなど選ぶ余裕などなくなっていた。


「あんたは自分の息子の才能が分からないのか!」


「もういい、響」


「はぁ? こんだけ言われて頭に来ないのかよ!」


 カーッと血が昇った頭でそう叫ぶ。こんな時ですら自分の感情を表に出そうとしない律にもイライラし始め、もう自分の怒りをどこにぶつけて良いのか、訳がわからなくなってくる。


「何か言えよ!」


 悔しくて、もどかしくて、律のシャツを鷲掴み、縋るように声を上げる。律の顔を真っ直ぐ見ることも出来ず、うな垂れながら目を閉じる。


(お前の思いを聞かせてくれよ。なぁ、律……頼むよ……)


 掴んだ手を離そうとした。何を言っても無駄なのかと諦めようとした。

 その瞬間、自分の手が力強く握り返された。驚きで思わず顔を上げ、視界の先に見えた律の表情に思わず言葉を失った。


「ああ、頭に来てるさ」


(お前……そんな顔も出来んじゃねーかよ……)


 律はいつでも感情を見せようとしない。親友と思えるくらい仲良くなった今ですら、弱い部分を決して見せた事はなかった。でも、目の前の律はその整った顔を醜く歪ませ、怒りや悔しさの感情を隠す事なく、取り繕う事なく完全に表に出している。

 こんな顔をして欲しく無いと、親友だったらそう思うべきだろう。しかし、響にはなぜか暖かい感情が湧いてくる。それが嬉しさからくる感覚なのだと分かるまで数十秒かかった。


「俺は約束を守ってきた。それにドラムを、音楽を馬鹿にされて頭にこない訳無いだろ!」


 大声で叫び散らすように、自分の感情を表に出し始めた律に、響は驚きを隠せなかった。殻を破った律の感情が波のように次々に押し寄せてきて、響はその勢いに圧倒されてしまった。


「父さん、俺ドラムやめない! バンドもやめない!」


「なんだと!」


 ヒートアップする律に負けず劣らず、律の父も声を荒げて言い返す。そんな二人のやり取りに誰も割って入れない。響も目の前の出来事に困惑し、自分のコロコロ変わる感情にも振り回され、何も言えなくなっていた。


「まあまあ」


 どこからかこの張り詰めた空間に、そんな声が入ってきた。優しさの中に凛とした強さを孕んだ声。ここにいるすべての人が、その声を発した人物に視線を向ける。そこには、顧問の鈴鹿先生がいた。

 皆が固まり声を発せない中、人を諭す様な声だけが話を続けていく。


「今回の騒動は別に犯罪を犯したわけでは無いですし、高校生は学業も部活動も精一杯やっていただくのが一番ですので」


「ですが、ご迷惑をおかけしてしまったはず……」


「お父様、三上くんは本当に優秀ですよ。勉強はもちろん、いつも爽やかでコミュニケーション能力も高くて人気者です。それにドラムの腕も相当なものです」


「はあ」


「今回は一週間の部活禁止と言う形で丸く収まりましたし、一週間後なら期末テストの返却も全て終わっているはずです。その結果を見てから、もう一度ご家族で話あってみてはいかがでしょう」


 優しげで有無を言わせないような圧力を纏った先生の言葉で、律の父親もぐうの音も出ない様子だった。律も感情の熱が収まってきたようで、いつもの冷静さを徐々に取り戻している。しかし、その顔は今までの感情を押し殺した表情とは違い、どこか清々しく人間味に溢れているように思えた。


 結局、親子喧嘩にまで発展したこの騒動は、鈴鹿先生の提案によって幕を閉じたのだった。

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