第22話 テスト一週間前
教室でのホームルームが終わり、クラスメイト達が一限目の英語の準備を始める中、律は不貞腐れた顔をして机に突っ伏している響に歩み寄った。
「今日から期末テスト一週間前かよ。練習できねーじゃん」
そんな言葉が聞こえてきて、律は思わず笑みを溢した。
昨日、響の発案で音葉を尾行した三人は、途中ハラハラした所もあったが無事に拗れた関係を修復することができた。バンドとしても一皮剥けた気分で、士気も高まっている。
しかし、いざ再始動と言ったタイミングにテスト一週間前となり、響としては歯痒いのだろうなと律は思った。もちろん律も気持ちは同じだった。
「まー学生の本分は学業だからね」
「あーあーそうですな、学年トップの俊才くん」
響はテストのせいで機嫌が悪く、思った事をただ口にしてしまっただけだろう。それは分かっているのに、その言葉が次第に自分の心を曇らせていくのを感じる。
「俺には頑張らないといけない理由があるから……」
律は柄にもなく訳ありな顔で、そう言葉を口にしていた。響もさすがにその異変を察したらしい。
「お前を嫌な気分にさせるつもりは無かった。謝る。その……お前も大変だな……」
響は先ほどよりも少しトーンを下げ、申し訳なさそうな声でそう言った。律はその言葉に響の優しさを受け取る。
「まーいつものことだから」
律はいつもの爽やか笑顔でそう答えた。
ふと壁に設置してある時計を見ると、一限目が始まる時刻まで残り一分程になっていた。
自分の席に移動し、椅子に腰掛けた律は、見慣れてきた英語の教科書の表紙に視線を落としながら、誰にも気づかれないように軽くため息を溢した。
律の父は教育に厳しい人だ。
『学生は勉強第一、将来は安定した職業に就く』
それが何よりも大切だと父に叩き込まれてきた。
今でこそ天才などと言われているが、最初からそうだった訳ではなく、毎日父の理想を現実とするべく必死に勉強をしていた。
中学受験を控えた小六の夏、勉強が全く手につかなくなってしまった時期があった。その不調は控えていた受験にも響き、結局失敗してしまう。
そんな律を心配した母は、気分転換にと音楽を始める事を勧める様になった。
ある日、律は音楽なんてと思いつつも母に連れられて、駅前にあるそこそこ大きな楽器屋に向かった。
店内では賑やかに様々な音楽な流れていた。ずらっと並んだ棚にはCDがぎっしり入っていて、店員さんの手作り感漂うポップが、カラフルに棚を染めていた。
さらに奥へと進むと、右手には様々な楽器が並んでいて、左手にはちょっとしたステージがあった。律が母に促されるまま右の方に向かって歩いていたその時、
「ドドドッ」
まるでお腹の底から振動してくるような響きに、耳を奪われた。動かしていた足を止め、ふと後方を振り返る。
そこにはメカメカしい作りをしたドラムやシンバルが、照明を反射してキラキラと光っていた。その後ろに男性が腰掛け、ドラムスティックを持った手を上に振りかざした。
その後は全てを忘れてその音に溺れていった。安定したリズムで振動するドラムの響きに、キメの部分で大きく存在感を現すシンバルの高音。音程などないそのリズミカルな音に、何故か全身に鳥肌が立つのを感じた。
「母さん、僕これがやりたい!」
それは律の初めての我儘だった。そして何故か母は瞳を潤めながら、「そうしましょう」と言って律を抱きしめた。
それから母の説得の元、父は勉強をしっかりとする事を条件にドラムセットを律に買い与えた。律は父に決められていた勉強時間の合間で、一心不乱にドラムを叩いた。そして、ドラムを好きになればなるほど、嫌になっていた勉強も出来るようになり、成績も伸びていった。
ドラムは律にとって、勉強しか知らない暗闇の中を照らす光のような存在だった。
そのうち、ある思いが芽生え始める。
『プロのドラマーになりたい』
しかし、安定した職業に就く事が一番だと常々言っている父に言えるはずもなく、いつの日か考えないようになっていた。
中学卒業後、無理をせずに中堅の高校に入った律に、父はドラムをやめろと言ってきた。義務教育ではなくなった今、高校で成績を落とすことは許されない。大学受験は決して失敗してはならないと。そのために勉強に全てを注ぎ込めと、そう言われた。
しかし、それだけは嫌だった。たとえ夢は諦められても、ドラムを手放す事はできない。
律はドラムを辞めたくないと父を説得し、テストの成績を常にトップで維持する事を条件に、ドラムを続ける事を許してもらった。
律は勉強を怠らず、誰よりも必死に努力している。大好きなドラムを続ける為に。
そして、今は自分だけの為ではなく、仲間の為にも成績は絶対に落としてはならないとそう思っている。
(成績を落とす訳にはいかないんだ)
律は心の中でそう自分に言い聞かせる。
「キーンコーンカーンコーン」
授業開始のチャイムが鳴り出した。その音に、周りにいた人達が慌てて自分の席に着こうとする。椅子を引くキーという不快な音が、そこら中から一斉に鳴り響いた。
耳に障る音を感じながら、律は気を引き締めて視線を教卓の方に向けるのだった。
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