第38話 綺麗な人間じゃないよ

 人には、事情という名の背景がある。


 背景の一部は、言葉を尽くさなくとも、直感的に受け取ることができる。


 だが、一部といっても、それは、氷山の一角に過ぎない。


 言い換えれば、当事者が語ることでしか、その全貌は見えないということだ。


 非人道的な罰を下した巫女のお姉さんこと、神さまの元締めさんからは、『初代神さま擬きである神宮には、嘆願書を大量に出し続けるほどの願いがある』と聞いている。


 神宮の願い――神宮は口を割らなかったので、背景の全貌は見えていない。


 いや、違う、大間違いだ。


 そも、俺が質問すらしなかったのだ――俺以外の人間にも背景があると考えず、ただただ『俺は不幸だ。俺だけ不幸だ』と思っていた。


 だけど、そんな俺を神宮は拒まなかった――むしろ受容するように、背景を受け止めてくれるように、涙を流したのだ。


 初めて――初めて他人に背景を明かすと、俺に寄り添ってくれたのだ。


 俺は、確かに救われた。


 感謝しかない。


 心から、感謝しかない。


 今思えば、神さまに復讐をしたかったのではないのかもしれない――喪失感に苛まれ、悲しみとの向き合い方がわからず、お母さんの死から目を逸らして逃げてきた。


 でも、答えは意外にも単純なことだった――一人で乗り越えられないなら、気持ちを消化しきれないなら、誰かに吐露すれば良かっただけだった。


「私は――そこまで綺麗な人間じゃない」


 三留高校の屋上で、感謝を伝えたが、神宮は自身を卑下した。


「謙遜はやめてくれ。神宮が綺麗な人間でなければ、俺は嵐の日の用水路くらい心が汚い人間になってしまう」


 注文を付けると、神宮は悪戯っぽく笑った。


「いやいや、戸出くんはもう少し綺麗だと思うよ」


「お、フォローしてくれるのか」


「そうだなあ……赤潮とか」


「水質汚濁じゃねえか!」


「じゃあ、黒潮?」


「別に汚くはないだろ!」


「ポテチはやっぱり?」


「うすし――おいっ! ……ったく、こっちは本気で感謝を伝えたいのに、なんで潮の話をしないといけないんだよ」


「ごめんごめん。でもやっぱり、私は綺麗な人間じゃないよ」


 遠くを見ながら、囁くように言った。


 そして、俺と目を合わせることなく、


「戸出くんのためになろうと思って、動いたことはないからね――やってきたこと全部が私のため、私のためなんだよ。戸出くんと賭けた、『神さまの存在を証明できるか否か』も、『証明をして、戸出くんに神さまを交代してもらう』ってことが狙いだったから、『私の願いを叶えてもらう』ってことが狙いだったから――だから、私は綺麗な人間じゃない」


 と続けた。


 感謝をされるようなことをしたつもりはないけれど、結果的に感謝されるようなことをしていた――そう言いたいのだろう。


 純粋な感情ではないから、偶発的なものだから、易々と感謝は受け取れない――そう感じているのだろう。


 それでも、感謝を伝えたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る