第7話 嘆願書は、彼女の中に

「正確には、解雇ね」


 井筒家を支えていたのは、誰かの理想になっていたのは、全て――医者という地位があったからだ。


 凄いことだ、誇っていいことだ。


 だが、言い換えれば、角度を変えてみれば、視点を変えてみれば――井筒家の柱は一本しかないと言える。


 一本しかない大黒柱が、へし折られたら、撤去されたら、理想は崩れてしまう、崩れ落ちてしまう。


 一方、誇りがない家庭は、一般的な家庭は、小さくて、細い、そんな柱しかない。


 しかし、脆弱に見える柱でも、百本あれば、千本あれば、一つの柱が腐ってしまっても、影響はない、問題はない。


 家庭崩壊は、誇示していた『医者』という柱を失ってしまったことにより起こってしまったのだろう。


「これで、井筒くんの願い――その理由がわかるでしょ?」


 神宮の声音は、どこか寂しい。


 ただ、そうなるのも無理はない。


 井筒賢太郎という男は、救世主になろうとしたのだ。


 だけど――心は病んでしまっている。


「井筒は、家庭が崩壊しても、精神が崩壊しても、元の形を、誇りを、家族を取り戻すために――医者になりたいと、神さまに願ったんだ」


「ご名答」


「......軽率だった。『自主学習をしてるのか』なんて、苦しんでいる井筒がいないところで、俺は......批判ともとれる発言をした」


「むしろいなくて良かったじゃない。いたら――駄目押しの一言になってたかも」


「神宮に言っても仕方がないことだが、発言は撤回させてくれ」


 首を縦に振り、神宮は再びメモ帳に視線を落とした。


「次に、香原めぐみさん。彼女は、難病にて余命僅か」


「神さまは、それを叶えないんだよな」


「うん。いかなる場合も、命の延命だけは、受け付けていないからね」


「......」


 淡泊。


 それが、神さま――らしい。


「次に、真島雄大くん。彼は、右足首の靱帯を部分断裂し、歩行困難」


「歩けるようになりたいじゃなくて――足が速くなりたい、か」


「戸出くんみたいに、なーんにもしてなかったら、歩けるようになりたいとかでもいいけれど」


「余計なこと言うな」


「真島くんは、陸上部所属の短距離選手。中学時代には全国大会出場経験がある強豪のランナーだった――交通事故に遭うまでは......」


「だから――足が速くなりたい、なのか」


「そういうこと! つまりはマルだね。次は――」


 花岡藍さんは、健康そのものであり、努力もしてない――よってバツ。


 五十嵐英二くんは、香原さんとは別の大病で闘病生活中、健康状態を鑑みて、努力をしても願いを叶えることは不可能――よってマル。


 神宮は、神さまを自称する女の子は、嘆願書を淡々と捌いていった。


 作業は明け方まで続いた。


「願いを叶えるのは、これだけ」


 そう言って、三つの嘆願書を俺に見せた。


「......結局、願いを叶えてあげるのは、初めの方に捌いた、井筒、真島、五十嵐の三人だけか」


「嘆願書の大半は、個人の努力次第で、達成できるものばかりだったから」


「それで――お前はどうやって叶えるんだ」


「焦らさないで、モテないよ?」


「だから、そういうのやめろ」


「じゃあ、始めるから」


「話を聞けよ......」


 神さまが願いを叶える――その光景は、実に異様なものだった。


 神宮は、手に持った嘆願書を頭上に放り投げた。


 すぐに上を向き、落ちてきた嘆願書を――飲み込んだ。

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