第22話 神さまの噂がなかった頃のお話

 神宮は、高校入学直後の丑三つ時に、例の祠に嘆願書を出した。


 しかし、その頃は――この学校に神さまの噂は存在しなかった。


 つまりは、祠に訪れたのは、神宮が初めて。


 現在であれば、一人につき一枚の嘆願書を提出するのが一般的だが――神宮は、毎日嘆願書を出し続けたらしく、その数は約百八十通に上ったという。


 しかも、嘆願書はコピー印刷をしたものではなく、手書き。


 さらに、骨子の主張だけは変わらないが、それ以外の感情がしたためられた箇所は、丁寧に、丹寧に書きわけられていた。


 毎日、感情を書きわけたが――全て負の感情。


 悲劇とも呼べる現状を、心理を、見事に書きわけている。


 それは、嘘偽りのない感情。


 それは、看破しようのない感情。


 それは、見て見ぬ振りをできない感情。


「こんばんは。いえ、おはよう、神宮ちゃん」


 いつも通り丑三つ時に、祠の前に来た神宮の目の前に――神さまが現れた。


 神宮が嘆願書を提出し続け、半年が経とうしていた頃だった。


 お姉さんは、自身が神さまであることを告げた。


 お姉さんは、神宮の嘆願書に目を通したことを告げた。


 お姉さんは、願いを叶えてあげるかどうか迷っていることを告げた。


「神さま――私は、あなたが存在していると信じていました」


 念願の神さまが目の前に現れたというのに、神宮は動揺の色を見せなかった。


「へえ。あたしが本当の神さまだって疑わないんだねえ」


「……正直、疑っていないと言えば、嘘になります。嘆願書を出し続けていたので、それを嗅ぎ付けた愉快犯の演技かもしれない、そう思っています」


 杞憂。


「心配ないわ、あたしは本物だから。どうぞ、見て」


「見る?」


「いいから」


 神宮は、言われるがままに、神さまを自称するお姉さんをじっと見た。


「見てもわかりません……」


「もっと全身を隈なく見て」


「ちょっと! 私には本物かどうかなんて、見分けがつかないですから」


「そう。じゃあ、嗅いで」


「ちょっと! そんなことしても――」


「いいから」


「……はあ」


 なすすべなく、神宮はポニーテールを揺らしながら嗅いだ。


「……もっとわかりません」


「もっと全身を舐めるように嗅いで」


「ドン引きです」


「もうどうでもいいから、舐めて」


「変質者じゃないですか!」


「いいえ、あたしは神さまです。十分にわかったよねえ?」


「ええ、わかりましたとも。あなたは神さまではなく、ただのクレイジーサイコレズです、近付いちゃいけないタイプのやばいやつです。嘆願書のことは忘れてください、ありがとうございました、さようなら」


 踵を返した神宮の手を、神さまは掴んだ。

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