第36話 物理的な距離よりも、心理的な距離を

 伝えると――エックスはようやく言葉を紡いだ。


「……トイデ……クン」


「そうだ、戸出一二三だ。お前の……なんだ……後輩だ」


「ワタシノ……」


「まさか忘れたとは言わせないぞ。決して長くはなかったけれど、いやいや、思い出と呼ぶには短すぎるけれど――あの時間は、濃密だったはずだ」


 濃密で、濃厚で、特殊だった。


 ポニーテールが抜群に似合う女子高生。


 それでいて、自身を神さまだと言い張る奇人。


 だが、その正体は本当に神さまだった、神さま擬きだった。


 神宮紡は、この女の子は、芯のある強いやつだ。


 しかし、そんなものは俺の印象でしかない、周りから見た印象でしかない。


 神宮紡は、この女の子は、実は弱いやつだと思う。


 ある願いごとを抱いていて、その一件からも弱さが垣間見えた。


 神さまにおびただしい数の嘆願書を送り付けるくらい、肝は据わっているが――神さまに頼るくらい、神さまに縋るくらい、相当追い詰められていたのだろう。


 もう神さまに協力を得るしかないといった心理は、まさに彼女の心の強度を表していると思う――神宮は、気丈に振舞っているが、心の弱い女の子だ。


 心の弱い女の子は、一年やって、疲れたんだ。


 神さまの使いであることに、神さま擬きであることに、きっと疲れたんだ。


 だからこそ、俺に神さまになってもらい、自身が嘆願書を出す立場に戻ろうとした、そうやって願いを叶えてもらおうとした。


 その行動がデッドラインを超えてしまったのだ――今にしてそう思った。


 それにしても、この事態は見過ごすことができない。


 死んでも看過できない。


「お前を助けたい」


 言葉を決めていたわけではない。


 堰を切るように、腹の底から出たものだった。


「…………モウダメ」


 もう……駄目?


「なにが駄目なんだ」


「……ココニキチャ……ダメ……」


「受け入れられない相談だ」


「……タンガンショヲ……トドケタトキハ……カロウジテ……ジガガアッタカラ。デモ……ワタシハ……モウスグ……ワタシジャナクナル」


「そうはさせない。俺にできることを、教えてくれ」


「キケン……ダカラ……」


「危険なんて関係あるか。俺にできることを、教えてくれ」


「……オソッテシマウカモ――」


「関係あるか! 俺は、お前を連れ帰ると決めたんだ、死んでも連れ帰ると決めたんだ。だから、俺にできることを、教えてくれ」


 元――神さまで、元――神宮のエックスは、心を許してくれたのか、俺の手を取ろうとしたが――その瞬間、悶えるように、苦しむように地団駄を踏み出した。


「グギギガガガァアアァアアッ!」


 心をきつく縛る鎖を引きちぎるかのように、胸を掻きむしりながら、悲鳴にも似た絶叫を上げた。


「神宮っ!」


「グギャアウッ!」


「聞け! 俺だっ!」


「ギュウウゥゥウゥウウウガァアアッ!」


 激情。


 エックスは、言語すらも失ってしまった――もはや神宮の影はない。


 俺の眼前に存在するのは、ひたすらに叫ぶ獣のような物体だ。


「一度離れた方がいい! なにをされるかわからない!」


 見守るように静観していた真壁が、声色に酷い焦りを含みながら言った。


 すぐにでも離れた方がいい――そんなことはわかる、わかるんだ。


 だけど、駄目だ――ここで離れたら、一生離れてしまうような気がするんだ。


 きっと誰かのせいにして、それこそ神さまのせいにして――一生離れてしまうような気がするんだ。


 離れてしまうというのは、物理的な距離の話じゃない。


 俺と神宮は恋人ではない、だから、その距離は気にしない。


 本当に嫌なのは――心の距離が離れてしまうことだ。

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