第35話 生き物でもない、それは色のない物体――エックス

「真壁」


「なんだい」


「もう一度だけ、協力してくれ」


「おかしなことを言わないでくれよ」


 そう言って、真壁は笑って見せ、


「僕は一度だって降りてないし、降りたりはしないから」


 と続けた。


 全く……格好付けなやつだ。


「じゃあ、頼むぞ――」


 言いかけて、背筋を舐めるような風に、口を噤んだ。


 目を丸くして、脂汗をかく真壁。


 振り返ると――人がいた。


 いや、人ではない。


 明らかに、人ではない。


 あれは、人と呼んでいい代物ではない。


 人ではないからといって、生き物というわけでもない。


 生き物にカテゴライズできるのか、それすらわからない。


 存在している。


 ただただ、それだけだ。


 そこに、厳然と、存在しているのだ。


 人間でも、はたまた生き物でもない――エックスが存在しているのだ。


 エックスは、色を持っていなかった。


 色を持っていない――そんな表現が正しいのか疑わしくらい、色を持っていなかったのだ。


 無色――でもない。


 色はないが――無色ではない。


 強いて色で例えるならば――黒。


 黒ではないけれど――黒。


 それは、エックスが持つ独特な空気が、俺にそう感じさせたからかもしれない。


 エックスは、動かない。


 ただ、どこかへ行くわけでもない。


 じっとこちらを見ているのだ。


 正確には、こちらの方を見ているような気がするのだ。


 俺は、全身が震えていた。


 エックスの得体の知れなさに、怖気付いたわけではない。


 エックスが――神宮だから、そのあまりの変貌ぶりに、恐怖したのだ。


 神宮だから――というのは、根も葉もない酷い憶測だが、第六感というのだろうか、そういう勘が働き、エックスは神宮であると思った。


 巫女のお姉さん――あの神さまの元締め的存在は、非人道的なことをしていないと断言したが、そんなことはなかったようだ。


 これのどこが人道的なんだ。


 人道から反している――人道とは明らかに異なっている。


「神宮……お前なんだろ……」


 はっきりと問いただしたかったが、吐き出た声は掠れてしまった。


 エックスは、応答しない。


 どころか、微動だにしない。


 そこに、神さま擬きと同等のエネルギーを秘めながら、神さまとは明確に違うエネルギーを秘めながら、身じろぎ一つしなかった。


 自身の呼吸が乱れていくのがわかる。


 同時に、真壁の呼吸も荒々しくなっていくのがわかった。


 ここに、こいつがいてくれなかったら、俺はプレッシャーに圧し潰されていただろう。


 真壁は、俺の隣に並び、鼻下を指で撫でながら、無理に笑った。


「きみがこんなにも動揺する姿が見れるなんて、今日はラッキーな日だよ」


「阿呆か。得体のしれない生き物――いや、得体のしれない物体を見て、平静を保つなんて不可能だ」


「同意するよ」


「今から俺は、ある選択をする」


「ああ、なにかしそうな気がしていたよ」


「その選択は、お前に物理的外傷を与えかねないが……それでもいいか?」


「一つ一つ訊かないでくれるかな。気持ちはさっき伝えたはずだよ」


「了解した」


 ……ふう。


 息は整った。


 腹も決まった。


 ゆっくりと、着実に、歩みを進め――エックスの眼前で、至近距離で、足を止めた。


「会いに来た。お前に、会いに来た」

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