第10話

 タツキの部屋をノックする音がした。

 ドアを開けると、困った様子の母が立っていた。


「バイトで疲れているところごめんね、タツキ」


 脱衣所の電球が切れてしまったらしい。

 交換してくれないか、というお願いだった。


 タツキは母とスクリーンを見比べる。


「もしかして、作業中だった?」

「いや、何でもないよ。電球だよね。すぐに交換するから」


 リビングから椅子を持ってきて、脱衣所のど真ん中にセットする。

 単純に取り替えるだけだから、あっという間に作業は終わった。


「お父さんは? もう寝ちゃったの?」

「それがねぇ〜」


 風呂上がりにくつろいでいたら、ぎっくり腰を起こしちゃったらしい。


「それは災難だったね」

「ヨーロッパでは、ぎっくり腰のことを、魔女の一撃とかいうそうだけれども、まさにそれよね〜」


 母は愉快そうに笑っていた。


 脱衣所にはバスタオル掛けが置いてある。

 ぶら下がっているタオルは3枚、ユズキの分が見当たらない。


「あれ? ユズキはまだお風呂に入っていないんだ?」

「そうね、お勉強中じゃないかしら」

「早く入るよう、俺が一声かけてこようか?」

「いいの、いいの。放っておきなさい。お母さんが声をかけておくから」

「そう……」


 勉強の腰を折るのもアレだしな。

 タツキは大人しく部屋に戻っておいた。


 それよりもお絵描き配信の続き。


『よ〜し、だいたい完成したぞ〜』


 ナギサが最後の仕上げに入っている。


『どうです? 普通に上手くないですか? ユメミちゃんの下絵は偉大だな〜。こんなに上手に描けたの、生まれて初めてかも〜』


『ナギサ先輩の方、終わりました?』


『うん、終わったよ〜』


 とか言いつつ、線を微修正するナギサ。

 あれに似ている、時間ギリギリまでテストで粘ろうとする学生。


『私の方も描き終わりました』


『うまっ! ユメミちゃん、うまっ! プロだわ!』


『いえいえいえ……』


 ナギサが描いたのはユメミのイラスト。

 ユメミが描いたのはナギサのイラスト。

 2枚を組み合わせると、手でハートマークをつくるカップルみたいになる。


『2人の共同作業だね〜』


『共同作業ですね〜』


『いまリスナーの人からね、尊い〜、みたいなコメントが大量にきた。メッチャ嬉しい! というか、ユメミちゃんの発想が尊いからね!』


『私の方も、てぇてぇ、尊死とうとし、が大量に流れてます』


 とても幸せそうな2人に、スパチャの雨が降り注ぐ。


『でも、ごめんね、ユメミちゃん。私にもっと画力があれば、君をきれいに描けたのに……しくしく……』


 悲しそうに目を伏せるナギサ。


『いえいえ、十分ですよ。それにナギサ先輩、前より絵が上手くなりましたよね』


『あ、わかる?』


『わかります、わかります』


『ユメミちゃんを見習って、実はこっそり練習したんだ〜。また一緒にお絵描き配信できたら嬉しいな〜、なんちゃって』


『やりましょう、季節の絵とか描きましょう』


『だったら、あれが描きたい!』


『はい?』


『ユメミちゃんの水着姿が描きたい!』


『えっ……ちょ……』


『ダメかな?』


『えぇ……』


 照れるユメミがかわいい。

 リスナーも大喜びしている。


 こうやって相方の魅力を引き出せるのも、ナギサの人気を支えるテクニックの一つだ。


『私ね〜、朝の配信のときにさ〜、貧乳、貧乳って叩かれたんだけどさ〜、これ、着痩きやせだからね! 事実誤認だからね! 脱いだらすごいんじゃ〜! てところを画面の向こうにいる、にぃに達に見せたいわけですよ!』


『いいですよ、ナギサ先輩がそういうなら、私もひと肌脱ぎますよ』


『わ〜い! 脱いでくれるんだ〜! 楽しみ〜!』


『その言い方はセンシティブです』


『あっはっは!』


『うふふ……』


『ユメミちゃんの笑い方、かわいい』


『いえいえ』


 今日の絵は、いったんユメミが預かって、仕上げてくれることになった。

 色付けして、背景を描いたあと、SNSで公開してくれるそうだ。


『完成したら、私のSNSのアイコンに設定するよ!』


『じゃあ、私もSNSのアイコンにします』


『カップルみたいだね〜』


『ですね〜』


 今日もいい配信だったな。

『お疲れさまでした〜。ステキな絵でした〜』

 とスパチャしてから、パソコンの電源を落としておく。


 さてと。

 明日に備えてさっさと寝るか。


 タツキが歯を磨いてから戻ってきたとき、ちょうどユズキの部屋のドアが開いた。


「あれ? これからお風呂なのか?」

「あ、うん……」


 ユズキはしきりに右手の人差し指を気にしている。


「もしかして、勉強しすぎて指が痛いの?」

「あ〜、そうそう……力が入りすぎちゃって……あと、慣れないペンをつかったから」

「そうか。努力している証拠だな。指が痛くなりにくいシャーペン、お兄ちゃんが買ってきてあげようか?」

「いや……そうじゃなくて……大丈夫……本当に……ごめん……気にしないで……私の問題……」


 最後の方は、が鳴くような小声だった。


 やはり、お節介と思われただろうか。

 くそっ……相変わらずユズキと話が噛み合わない。


「じゃあ、私はお風呂に入るから。おやすみ」

「うん、おやすみ」


 ユズキはサササッと足早に去ってしまう。


 バカバカバカ!

 とんだ大バカだ!

 VTuberにハマっちゃって、妹とのコミュニケーションをおろそかにしている。

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