第37話

 とうとうやってきた。

 仮免許の技能検定の日。


 どういう運命さだめか知らないが、この日はユズキの大学受験と重なっていた。


 朝のトイレの中にて。

 タツキのお腹が死ぬほど痛くなった。


 実技検定に緊張しているわけじゃない。

 ユズキの進路が決まるのかと思うと、プレッシャーで胃がキリキリと痛む。


 そんな兄とは対照的に、これから受験しにいく当人は、朝からガツガツご飯を食べていた。


「今日でようやく受験勉強から解放されるからな〜」


 頼もしいセリフが出てくる。


「お兄ちゃんは仮免許の技能検定?」

「そうだ」

「がんばってね」

「問題ない。うっかり不合格になっても、5,000円くらい検定料を払えば、また受け直すことができる」


 ユズキにぷっと笑われた。


「弱気じゃん。5,000円がもったいないよ」


 これではどちらが年長者か分からない。


「ユズキは私大を受けるときよりも落ち着いているな」

「うん。絶対に受かるような気がするから」


 タツキもおはしを取ってきて、朝食のテーブルについた。


 ユズキは少し変わった。

 1年前より明るくなったし、自信にあふれている。


 受験勉強をがんばったから。

 それだけが理由じゃなさそうだ。


「ユズキは成長したな」

「えっ? そう思う? どのあたりが変わった?」

「昔より滑舌かつぜつが良くなったな。そのせいで性格が明るくなったと思う」

「へぇ〜、嬉しいな〜」


 楽しそうに肩を揺すっている。

 その動作はVTuberがよくやるムーブに似ていた。


「ユズキさ、昨年の受験に失敗してさ」


 死ぬほど悲しかった。

 お兄ちゃんは受かったのに、ユズキだけ落ちたから。


 ユズキはダメな子なんだ。

 そう思って自分を責め続けた。


 両親は優しいから、来年があるさ、といってくれる。

 でも、受験に失敗した、1年間浪人した、その事実は履歴書りれきしょにずっと残る。

 消えることがない傷のように。


「受験に失敗すると、無駄に1年間過ごすと思っていた。だって、ユズキの同級生、いまは大学1年生で、来年度は2年生なんだよ。ユズキの先輩なんだよ。去年まで同級生だった人たちが」

「俺はそうは思わない。学年は違っても、ユズキはタメだ」

「お兄ちゃんは特別な存在だから。そもそも、家族だし」


 ユズキはツーンと唇を尖らせて、お箸を向けてくる。


「でもね、受験に失敗したから、理解できること、体験できることもあると思った」

「それって、具体的には何なの?」

「う〜ん、受験に失敗した人の気持ちがわかる」

「ああ……」


 正論だな。

 ユズキらしい。


「1年間足踏みするのも、貴重な経験だと思うことにしました。お兄ちゃんが体験していないことを、ユズキは一個知っています」

「俺は、昔から……」


 タツキはお茶を一口飲んで、しばらく言葉を探した。


「どうしたの?」

「ユズキのことがうらやましかった」

「えっ? どうして?」

「それは……」


 本当にまったく気づいていないのか。

 タツキが勉強のできる兄を演じてきた理由わけに。


「ユズキは昔から多才だった。絵を描くのも、歌を歌うのも、俺なんかよりずっと上手かった。ピアノの演奏もそう。俺は習い事に興味がなかったから、何をやっても、あまり上達しなかった。でも、ユズキは違っていた。興味がある分野では、グングン成長していった」


 タツキは焦っていた。

 勉強くらいはユズキの一歩先を行かないと。

 兄としての面目が丸潰れになってしまう。


「もしかしたら、ユズキは俺に引け目を感じていたのかもしれない。でも、逆も成り立つんだ。俺だって、ユズキに引け目を感じていた。ユズキは俺にない魅力をたくさん持っていた。その大部分は、テストの点数と無縁だったり、大学受験とは無関係のスキルだったりするけれども」

「じゃあ、私たち、互いの個性に引け目を感じていたの?」


 タツキは、そうだ、とうなずく。


「ユズキは自慢の妹だ。俺を兄貴にしてくれてありがとう」

「うぅ……お兄ちゃん……」


 ぶわっ!

 ユズキの瞳から宝石みたいな涙が落ちてきた。


 タツキはすぐに後悔した。


 これから受験というのに。

 直前に泣かせるやつがあるか。


「すまん……今すべき話じゃなかった」

「ううん、いいの、嬉しかったの」


 ユズキはティッシュを抜き取り、目元をゴシゴシする。

 そこに母親と父親がやってきて、キョトン顔をつくった。


「ど……ど……どうした⁉︎」


 と父親。


「お腹でも痛くなったのかい⁉︎」


 母親がオロオロしている。


「平気だよ。お兄ちゃんと話していたら感動しちゃっただけ。なんか心が楽になった」


 ユズキは残りの涙をぬぐうと、すぐに朝食を食べはじめた。

 タツキも止まっていたお箸を動かす。


「次の4月からお兄ちゃんの後輩となれるよう、受験をがんばってきます」


 家を出ていくとき、ユズキはアイドルみたいに笑って敬礼していた。

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