第30話

 初日の座学が終わったとき、タツキは気持ちのいい達成感に包まれていた。


 このスピードなら問題なく授業についていけそうだ。

 1年前は受験生だったから、脳みそが勉強慣れしているのも大きかった。


 自動車学校からは、各方面に送迎のバスが出ている。

 バスを待つあいだ、VTuber天使あまつかネムリ推しの彼と、当然のように談義した。


「これは俺がネムリンを応援している1番の理由なのだが……」


 彼のカバンの持ち手には、ネムリの『いい夢見ろよ!』キーホルダーがぶら下がっている。


「ロングスリーパーという言葉を聞いたことってある?」

「なんかの記事で読んだことがあるな」


 長い睡眠時間が必要な人だ。

 9時間から10時間くらいが目安といわれる。


 原因はよく分かっていない。

 親からの遺伝で先天的にロングスリーパーの人もいれば、大人になってからロングスリーパーを発症する人もいる。


 厳密には睡眠障害に含まれないらしい。

 とはいえ、生活で困るのは明らか。


 自動車の運転もそう。

 いつも10時間寝ている人が、6時間しか寝られない日があったら、それだけで居眠り運転のリスクが跳ね上がる。


 あと、ロングスリーパーは、おおむね早起きが苦手だ。

 小学生だと笑い話で済むかもしれないが、大人だと職務の怠慢と見なされるかもしれない。


「ネムリンのロングスリーパーは遺伝らしい。両親もけっこう寝るそうだ。自称ロングスリーパー、なんちゃってロングスリーパーなら、俺も何人か会ったことがあるが、そういう人間とは一線をかくす。ハムスターは毎日14時間寝るけれども、その14という数字は遺伝子で決まっているだろう。そんな感じ。死ぬまで治らないロングスリーパーなんだよ」


 そういう彼の口調には、やるせない気持ちがにじんでいる。


 天使ネムリがVTuberデビューしたきっかけ。

 それは前職をクビになったから。


 このご時世、遅刻常習者のサラリーマンを抱えられるほど、どこの会社も体力があるわけじゃない。


 会社をリストラされた。

 失意のまま実家に帰った。

 1ヶ月くらい、寝る、食べる、風呂だけの生活を送っていたとき、ふとVTuberのオーディション情報を見つけた。


 これなら家からでも仕事できる。

 しかも、週に3回以上配信したら、あとは個人のペースで活動できる。


 歌うのは得意な方だ。

 ギターを演奏するのが好きで、学生時代は動画を投稿していた。


 ゲームも好きだし、漫画アニメも詳しい方だ。

 あと、仕事で企画・マーケティングをやってきたから、そういうスキルが活きるかもしれない。


 問題なのは、ロングスリーパーという体質だが……。

 裏を返せば、誰よりも寝ているVTuberとして売り出せるのではないか。


 自分が有名人になろう。

 この体質について認知する人を増やそう。


 オーディションに応募した瞬間、人生を諦めていた女性が、VTuberとして再起するという、サクセスストーリーが幕を開けたのである。


「ロングスリーパーだから同情してほしいとか、ネムリンはそういうことを主張したわけじゃないんだ」


 ロングスリーパーの部分も含めて自分なんだよ。

 長所とか短所じゃなくて、そういう形とか色なんだよ。


 この体質がなかったら、VTuberになることはなかった。

 居眠りエンジェル・天使ネムリとして寝落ち芸を見せることもなかった。


 失業するきっかけになったロングスリーパー。

 それが今では自分のアイデンティティとして機能して、リスナーを喜ばせるのに一役買っている。


 配信に遅刻したとしても、天使ネムリなら仕方ないか、と思ってもらえる。

 すると、世間の優しさを再認識できる。

 この国には優しい人がたくさんいる。

 

「ネムリンのそういう部分、すごい大人だと思うし、俺は好きだな。あの日、俺の中で価値観が変わったんだ」

「自分の1番の弱点が、自分の1番の魅力というやつか?」

「そう、それ! 受験勉強がスタートして、苦しんでいる時期に聞いたから、余計に胸に刺さったのかもしれない。俺にとって、ネムリンは、人生の師みたいな存在でもある」


 送迎のバスが1台やってくるのが見えた。


「すまん、俺ばかり一方的に話してしまった」

「いや、気にするな。とても興味深い話だった。俺もネムリンのことが好きになった」

「それじゃ、また明日な。え〜と……」


 名前を知らないことに気づいた。


「俺は神宮タツキという。タッキーというリスナー名で活動している」


 その後、彼から教えてもらった名前を、タツキはしっかりと記憶した。

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