第46話

 とうとう来たな、とタツキは思った。


 タイムリミットを知らせるベルが鳴っている。

 神宮家で育ってきた兄妹の関係は、そろそろ次のステージへいくべき時なのだと、3月の風が告げている。


 ユズキをドライブに誘う前。

 こっそり母に確認しておいたことがある。


『俺とユズキがそういう関係になってもいいの?』


 母はわざとか、意図してか、


『そういう関係って? 急にどうしたの?』


 キョトン顔で問い返してきた。


『俺はユズキのことが好き。ユズキも俺のことが好き。そうなったら、お父さんとお母さんみたいな関係になるでしょう。お母さんがお腹を痛めて産んだ子を、俺がもらうことになるでしょう』


 この質問には勇気がいった。

 自分の母親に向かって、おたくの娘さんを嫁にください、なんて発言する男子、日本でタツキくらいなのだから。


『もうすでに家族じゃない。それが少し形を変えるだけでしょう。タツキとユズキも、私たちにとって、大切な子どもであることに変わりないわ』


 答えは意外にあっさりしていた。

 タツキが拍子抜けしてしまうほどに。


 もしかしたら母は、タツキを神宮家に引き取った日から、こうなる未来が起こりうると予想していたのかもしれない。


『ありがとう、お母さん』


 タツキはぺこりと頭を下げた。

 10秒くらい動けなかった。


『がんばってきなさい』


 これまでの19年間でもっとも嬉しい『がんばれ』だった。


 ユズキをもっと幸せにしてあげたい。

 手をつないだり、キスしたり、深い関係になりたい。


 それらの欲求を、タツキはいったん、頭の一番遠いところへ隠しておいた。


「あのな、ユズキ、その前に俺からいいか?」

「えっ……」

「どうしても、今日、ユズキに伝えたいことがある。そのための準備をしてきている」


 ユズキはこくりと1回うなずいた。

 それを肯定と受け取ったタツキは、携帯を取り出して、動画共有プラットフォームを立ち上げる。


 この時のために動画を1本用意している。

 それほど長いムービーじゃないけれども、タツキの編集テクニックは素人だから、気の遠くなるような時間がかかった。


「前にVTuberの話をしただろう。覚えているか? どのVTuberが好き、みたいな」


 携帯を操作する手が小刻みに震える。


「ユズキに1個、嘘をついた。涼風ナギサちゃんのこと、まあまあ好き、と教えたけれども、本当は死ぬほど好き、結婚したいほど好きだ」

「ッ……⁉︎」


 完全に不意打ちだったらしく、ユズキは耳元まで真っ赤になっている。


 すまない、ユズキ。

 あと10分くらい耐えてくれ。


「ナギサちゃんのグッズは1個だけ持っている。この前に見せたアクリルキーホルダー。非売品のやつで、先輩が自作してくれた。あと、ナギサちゃんをテレビで1回観ている。トーク番組にイラストレーターの女路メロン先生が出演したとき。誕生日を迎えた先生のため、ハッピーバースデーの歌をプレゼントしていた。とても良かった」


 体が火照ほてるのか、ユズキは服の胸元をパタパタした。

 そんな抵抗を嘲笑あざわらうかのように顔の赤みは増していく。


「ユズキに観せたい動画がこれ」


 ポチッと再生する。

 タイトルは『涼風ナギサ300日の歩み』。


 まずはデビュー初配信のナギサが出てくる。

 この頃のしゃべりは初々しい。


 それから配信1ヶ月、収益化、配信100日目。

 どんどんリスナーが増えてきた。


 生歌ライブ、先輩とのコラボ。

 新人VTuberの肩書きはこの辺りで返上。


 ユズキの横顔を見た。

 ムービーを食い入るように見つめている。


 ハロウィン、クリスマス、お正月イベント。

 たくさん盛り上がって、たくさん笑った。


 そしてバレンタイン生歌ライブ。

 リスナー接続数で過去最高を記録した。


 思い出のシーンばかりを集めた4分間の動画。

 これまでの300日間、その汗と涙と感動が、この中に凝縮されている。

 ナギサに捧げるアニバーサリービデオ。


 BGMはナギサの歌声を採用しておいた。

 本人が一番好きと公言しているアニソンだ。


 最後にメッセージが表示される。

『これまでありがとう。これからもよろしく』


 動画の投稿主をユズキが気にする。

 過去に何度も見かけたであろう『タッキー』のアカウント名が表示されている。


「うっ……」


 その瞬間がユズキの限界だった。

 コップから水があふれるみたいに一筋のしずくが落ちてきた。


 涼風ナギサとしての涙。

 神宮ユズキとしての涙。

 2つの意味が1つにミックスする。


「俺は涼風ナギサちゃんが好きだ。理由はたくさんあって、ひたむきに努力するところ、失敗してもめげないところ、率直なところ、嘘をつかないところ、先輩から可愛がられるところ、リスナーから支持されるところ……何より、VTuberの活動は大変なのに、それをおくびにも出さない、芯の強さみたいなやつ。そういう全部が好きだ」


 タツキは一言一句を慎重すぎるくらいの慎重さで告げていく。


「最後のメッセージ、これまでありがとう、これからもよろしく……というのは……」


 とうとう本当の気持ちをいえる。

 画面の向こうにいた彼女に、愛しているの気持ちを届けられる。


「俺はユズキのことが好きだ。妹としても好きだし、家族としても好きだ。でも、それ以上に女性として好きだ。俺の想いは1つだけ。ユズキと恋人になりたい。ユズキの恋人は俺がいい。そして数年後、今とは違った意味で家族になりたい」


 ピンク色の花びらが何枚か、ゆるやかな風に運ばれてきて、2人を祝福するように舞い降りた。

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