第2話

 時は少しさかのぼる。


「タツキもそろそろ大学1年生が終わるのか?」

「単位は大丈夫そうなのかい?」


 代わる代わる質問してくる父と母に向かって、タツキはふわっふわのお好み焼きを頬張りながら、


「うん、なんとか単位は落とさずに2年生を迎えられそうだよ」


 なるべく明るい声で返しておいた。


「タツキはしっかり者だな」

「さすがお兄ちゃんね」


 そろそろ大学受験から1年が経つのか。

 長いようで、あっという間だったな。


 受験という言葉には苦い記憶しかない。


 中学受験。

 高校受験。

 大学受験。

 なんとか第一志望に受かってきた。

 そのことを両親はとても誇りに思ってくれた。


「これでユズキさえ受かってくれたら」


 父が天井を見つめながらいう。


「今年は大丈夫ですよ。たくさんお勉強してますから」


 母がほがらかに続ける。


「そうだよ、お父さんが信じてあげないと、受かるものも受からなくなるよ。ユズキは神宮の子どもなんだから」


 タツキはわざと神宮の部分を強調した。


 一緒に食卓を囲んでいる父と母は、タツキの本当の親ではない。

 物心つく前に両親を失って、児童養護施設へ送られるはずだったタツキを、


『遠い親戚だから』

『子どもを一人育てるのも二人育てるのも変わらないから』


 という理由で引き取ってくれた。

 根っからの善人みたいな夫婦なのである。


 ちゃんと恩を返さないと。

 受験でつまずくわけにはいかない。

 自分をいましめてきた結果が『合格』の2文字だった。


 本当の子どもは、名をユズキという。


 生まれたのはタツキの方が3ヶ月だけ早い。

 同級生の兄妹として周りからは珍しがられた。


 なぜかユズキは要領が良くなかった。

 タツキと同じだけ勉強しても、テストの点数はいつもタツキが上で、ユズキが下だった。


『あの子はお母さんに似て、おっとりした性格だからな。本番に弱いのだろう』


 ユズキが伸び悩むのを、父は性格のせいだと決め付けたが、それが何の解決にもならないことは明白だった。


 中学受験。

 高校受験。

 大学受験。

 ユズキはすべて志望校に落ちてきた。

 しかも、タツキと同じところを受験したから、同じ日に兄は受かり、妹は落ちるという、天国と地獄みたいな絵面ができあがった。


 これは精神的に辛かった。

 いや、辛いというレベルじゃない。


『お兄ちゃん、合格おめでとう』


 ユズキは祝ってくれたのだ。

 顔面を涙でボロボロにぬらしながら。


 三度目の正直。

 そう思って挑んだ大学受験だった。


 結果は補欠合格。

 繰り上げに一縷いちるの望みをつないだが、期日までに辞退した人の数が足りず、ユズキは不合格となった。


 父は隣県の大学へ進むことを提案した。

 今からでも間に合う私立があるからと。


『一年だけ浪人させてください』


 ユズキは深々と頭を下げた。

 あんなにはっきり主張する妹の姿は、後にも先にも見たことがない。


 わからない。

 そんなに地元を離れたくないのか。


 タツキの場合、他県の大学へ進むと、下宿代がかさむという問題がある。

 あと、私立に進むと、授業料を倍くらい納めないといけない。


 でも、ユズキは神宮の子なのだ。

 子ども一人を隣県の私立へ通わせてあげられないほど、この家は貧しくない。


 それにタツキは思う。


 これじゃ、カッコウの子どもじゃないか。

 神宮という家に転がり込んできたタツキが、元からいたユズキを押しのけて、両親たちの期待と愛情を奪っている。


 ユズキは優しいから。

 文句はいわないけれども。


 タツキが『しっかり者』『さすがお兄ちゃん』と褒められるたび、ユズキの中では、劣等感の芽みたいなやつが育っていたのではないか。


 何年も、何年も。

 だとしたら、罪は重い。


 夕食をすませたあと、タツキは自室に戻って、財布から2,000円を抜いた。

 それを封筒に入れて、便箋びんせんを一枚ちぎり、


『もうすぐ受験だね。栄養のあるものを食べて、しっかりと精をつけてください。欲しいものがあったら、買いにいってあげるから、いつでも教えて。 タツキより』


 メッセージを同封した上で、ドアの下からユズキの部屋に入れておく。


 実はこの1年、ユズキとの仲が思わしくない。

 というか、露骨ろこつに避けられている。


 タツキだけ志望校に受かったから。

 顔を合わせるたびに、不合格が決まった日のことを思い出すのだろう。


 小さい頃は、というか高校を卒業するまでは、心配した両親が注意するくらい、タツキに甘えてきたのに。


 仕方ない。

 ユズキの助けになれなかった。

 ダメな兄貴にできる精一杯は、バイト代からお小遣いを捻出ねんしゅつして、一筆書いた手紙を添えて、こうして投げ込むことくらい。


「ん?」


 ドアの向こうで懐かしいアニソンが響いている。

 ユズキの部屋にはピアノが置いてあり、ドアも窓も防音になっているから、かなりの音量で鳴らしていると思われる。


 いい歌だな。

 VTuberの涼風すずかぜナギサ……タツキの一番の推しが、好きだといっていた曲だ。


 そうか、ユズキのお気に入りなんだ。

 もちろん、タツキも好きな歌だ。


 一緒にアニメを観たよな。

 神曲だ、て2人で語らったよな。


「がんばれ、ユズキ。受験が終わったら、久しぶりにカラオケでもいこうな」


 今年こそユズキが大学生になれますように。

 神様に向かって、タツキは久しぶりに祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る