第20話
電車で移動すること3駅ほど。
この街で一番大きな予備校へやってきた。
赤レンガの門が懐かしい。
タツキも昨年、受験のためこの地へやってきた。
たくさんの高校生がゾロゾロとやってくる。
その中に1割か2割くらい、ユズキのような私服の浪人生が混じっている。
(現役学生は制服で受験しにくる人が多い。ルールで決まっているわけじゃないが……)
とても寒い。
いつ雪が降ってもおかしくない空模様の中、タツキとユズキは一階のロビーに入っていった。
「お兄ちゃん、ここで大丈夫だよ」
「いや、念のため教室の前まで送っていく」
「まったく、過保護なんだから。仕方ないお兄ちゃんだな〜」
「妹を心配するのは兄の義務みたいなものだ」
受験票を取り出して、会場の位置をチェックした。
エレベーターは混み合っており、階段で3階まで上がることに。
「ほら、これ。休憩時間に緊張したら
ユズキが大好きなのど
「ありがとう」
「それからこれも」
有名な神社のお守り。
送料込みだから1,000円以上した。
「通販で買ったの?」
「医学部を受験する人に一番人気のお守りらしい。つまり、国内では最強のお守りだ」
「なにそれ。すごい」
タツキが押しつけたお守りを、ユズキは両手で包むように握った。
「じゃあ、近くのカフェで待っているから」
「ありがとね。付き添ってくれて」
「気にするな」
これから受験するのは滑り止めの私大。
自信があるということは、リラックスしたユズキの表情から伝わってきた。
この1年でユズキは強くなった。
物怖じしなくなり、落ち着きをまとっている。
妹だって成長するんだな。
当たり前の事実に気づかされる。
タツキが入店したとき、喫茶チェーンは混み合っていた。
付き添いの保護者なのか、本を読んでいる40代50代の姿が目立つ。
タツキは温かいココアを注文した。
2階の窓際にある1人席に腰かける。
マズいな。
混んでいる喫茶店に長居するの、実は好きじゃない。
席がなくて困っている客を見つけたら、飲み物がまだ残っていても、ついつい場所を譲ってしまう。
許してもらうか、今日くらい。
なんといってもユズキの受験日なのだ。
携帯のSNSを立ち上げて、涼風ナギサの活動スケジュールをチェックした。
昨日と今日はお休み。
珍しいな、2日も続けて休むのは。
1週間のうち6日は配信しているイメージだから、連休は久しぶりじゃないだろうか。
ナギサも若い女の子なのだ。
プライベートが詰まっている時期もあるだろう。
だからといって、他のVTuberに浮気しないのが
過去のアーカイブ動画をチェックする。
重宝しているのは、生歌ライブのアーカイブ。
これなら長さも1時間から2時間ある。
作業用BGMとしてもぴったり。
再生ボタンを押してから、家から持ってきた小説を開いた。
生歌と生歌のあいだに軽妙なトークがあり、つい笑いそうになってしまう。
『ユズキね〜、この前、ニコちゃん先輩がやっているクイズ配信に出たんですよ〜。漢字が全然読めなくて……。ゲンチって分かります? 言葉の言に、質問の質で、言質なのですが、ずっとゲンシツかと思っていました。あと、ソウサイね。相方の相に、ぶっ殺すの殺で、相殺っていうらしいですよ……アハハ……ソウサツじゃないんだ、みたいな。これでも大学受験を経験したはずなんだけどな〜』
難読漢字あるあるだな。
言質も、相殺も、日常でつかうのは1年に1回以下だろう。
『先輩VTuberのみなさん、頭が良いんだな〜、て話でした。それでは、次の曲いってみましょう!』
やさしいピアノの演奏が流れはじめる。
出だしからの高音。
とても難しい曲なのに、ナギサは上手に歌っていく。
すごいな。
トークができて、歌も歌えて、ゲームもできて。
漫画やアニメにも詳しくて。
イラストは苦手、と話していたけれども、乙葉ユメミのようなプロと比較しての話であり、実は
恐るべし。
VTuber涼風ナギサ。
タツキの大学にいたら、間違いなくモテモテだろう。
「さてと……」
1本の動画が終わったので、次のムービーを再生する。
こっちは懐かしいアニソン縛り、タツキくらいの世代に一番刺さるやつ。
『ネムリン先輩がアコギの弾き語りをやっていて、やべぇ⁉︎ この人⁉︎ て思いました。アコギって格好いいですよね〜。私、ピアノなら弾けるのですが、アコギは絶対無理ですね!』
そうか。
ナギサもピアノを弾けるのか。
実は、ユズキの部屋にもピアノが置いてある。
最後に聞かせてもらったのが、果たして何年前だったか、思い出せないが。
コンクールのとき。
ユズキは大失敗をやらかした。
それ以来、ピアノから遠ざかったと記憶している。
『えっ⁉︎ 私のピアノを聴きたいですか? そうですね〜』
ガサゴソとマイクを移動させる音がする。
『パソコンをここに持ってきて……コードが絡まないように……じゃあ、有名な猫踏んじゃったを弾きます。ちゃんと弾けるかな〜』
おなじみのメロディに混じって、猫踏んじゃったの歌詞が流れてきた。
とてもきれいな歌声だ。
昔のユズキを思い出す。
もしタツキがお願いしたら……。
ユズキはもう一度ピアノを演奏してくれるだろうか。
『ああ、自分で音源つくるのいいですね。それでカバーメドレーを配信するとか。ちょっとマネージャーさんと相談してみますね〜』
タツキは読みかけの本を伏せた。
そのまま目を閉じて、ナギサの歌声だけに意識を集中させた。
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