第22話

 スーパーに寄ってから帰っているとき。

 綿毛のようなものが降ってきて、ユズキの髪に乗っかった。


「あ、雪だ」

「本当だ」


 久しぶりに雪を見た、という気がする。

 天使の羽のようにひらひら落ちてくる粉雪を、ユズキは手ですくって遊んでいる。


「最後に雪が積もったの、いつだっけ?」

「俺たちが中3のとき、けっこう積もったかな。その前は……」

「小学生のときだっけ?」

「そうだな」


 もう10年くらい前か。

 5cmくらい雪が積もったことがあり、2人で雪だるまをこしらえた。


 地面の雪は灰色に汚れていたけれども、車のボンネットの雪はきれいな状態で、近くに止まっている車から拝借はいしゃくしたりした。


 雪だるまは1週間くらい生き延びたと思う。

 ユズキが名前をつけていたが……。


 スノウ? チリー? ホワイト?

 さすがに忘れてしまった。


 雪は幸せな思い出の結晶だ。

 だから嫌いじゃない。


「ただいま〜」


 そう言ってみたものの、両親は所用のため不在となっている。


 タツキはエアコンをONにしてから、買ってきた袋の中身を広げた。

 ニンジン、玉ネギ、ジャガイモ、牛肉……。

 これからカレーを調理する。


 ユズキのリクエストで粉チーズも買っておいた。

 タツキは試したことないが、カレーにかけると美味しいらしい。


「ユズキは受験で疲れただろう。カレーができるまで、少し寝ておくか?」

「そうだね〜」


 ふわぁと欠伸あくびして、間延びした声で返事したあと、ユズキはソファで横になってしまった。

 遊び疲れた猫みたいに目を線にしている。


「おい、そんなところで寝たら風邪ひくぞ」

「ユズキ、包丁をトントンする音が好きなんだ〜。それを子守唄がわりにお昼寝したい」

「まったく……」


 仕方のないやつだな。


 タツキはとりあえず米を洗った。

 炊飯器にセットして炊飯ボタンを押しておく。


 それから洗い立ての毛布を持ってきて、寝落ちしそうなユズキの体にかけておく。


「わ〜い、ありがとう」

「去年もそうやってリビングでお昼寝して、喉を痛めていなかったか?」

「えへへ、そうだったね。よく覚えているね」


 次の受験が近いというのに。

 気ままというか、マイペースというか、ユズキらしいと表現すべきか。


 タツキは買ってきた野菜を洗った。

 玉ネギは皮をむいてからみじん切りにしていく。

 ユズキが食べやすいよう、ニンジンとジャガイモは小さめにカットしておいた。


「ユズキ、寝たのか?」

「はい、私はもう寝ました」

「なんだよ、起きているじゃねえか」


 包丁のトントンが子守唄といったくせに。


 しばらく経過したとき。

 ケホッ! ケホッ! という咳込みが聞こえた。


 いったんフライパンの火を止めた。

 のど飴を一粒取り出して、ユズキの口元まで運んであげる。


「ほら、これでも舐めておけ」

「ありがとう」


 口の中に入れようとして、うっかり唇に触れてしまった。

 しかも、チュッというセクシーなノイズ付き。


 指先に接吻せっぷんされたらしい。

 吸われた部分が火傷やけどしたみたいに熱くなる。


 失敗を悔やむタツキの反応を楽しむように、ユズキはニヤニヤと笑っていた。


「あ、お前、わざと変な音を出したな」

「さあ、何のことでしょう」


 やれやれ。

 ユズキは時々いたずらを思いつくから困る。


 気を取り直して、カレーの仕上げにかかった。

 ゆっくりルーを溶かすと、食欲をそそるような、スパイスの香りが部屋いっぱいに広がる。


 ぎゅるり。

 ユズキのお腹がマヌケな音を上げるのを、タツキの耳は聞き逃さなかった。


「腹ぺこなのか? 受験でエネルギーを消耗しすぎて?」

「うるさいな〜。今日は寒いから、特にお腹が減っちゃうの〜。女子の腹の虫をスルーできないなんて、お兄ちゃん、モテないよ〜」


 憎まれ口を叩いているけれども、甘えるような声だから愛らしさしか伝わってこない。


「モテないのは困るな。いや、事実なのだが」

「お兄ちゃんなんて、一生独身だったらいいんだ」

「それは困る。お父さんとお母さんを、おじいちゃんとおばあちゃんにしてあげられない」

「あっはっは! なにそれ!」


 大真面目にいったつもりだが、ユズキに笑われた。


「ユズキがいるじゃん」

「ん? どういう意味だ?」

「そのまんまの意味だよ」


 ユズキが先に結婚して、子どもを産むという解釈かいしゃくでいいのか?

 真意を測りかねるタツキとしては、首をかしげるより他にない。


 ピーッと炊飯器の電子音が鳴った。

 ユズキはソファから跳ね起きると、しゃもじを取り出して、ツヤツヤのお米を混ぜてくれた。


「お兄ちゃんはね、地元に就職して、地元の人と結婚して、お父さんお母さんの近くで、ずっと暮らせばいいんだよ」

「そうなるよう努力している」

「ふ〜ん」


 指についたお米を、ユズキは嬉しそうに舐めた。

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