第21話

 6歳の誕生日の夢を見ていた。


 父がいて、母がいて、ユズキがいる。

 いちごのバースデーケーキがあって、その周りを飲み物とオードブルの品々が囲んでいる。

 幸せな誕生日のテンプレートみたいなシーン。


 プレゼントとして渡されたのはラジコンだった。


 いや、待てよ、と夢の外のタツキは思う。

 6歳の時はレゴブロック、7歳の時がラジコンだったような……。


 まあ、いいや。

 ケーキの蝋燭ろうそくはちゃんと6本じゃないか。


「いいな〜」


 横から首をのぞかせたのは5歳のユズキ。

 当時はちょんまげみたいな髪型を好んでいた。


「タツキに一つ、教えておかないといけないのだが……」


 にこやかに笑っていた父が、急に他人行儀な顔つきになる。


 とうとう来たか、とタツキは身構えた。

 ユズキと誕生日が3ヶ月しか離れていないから、自分たちは本当の兄妹じゃなくて、どちらか一方はもらわれてきた子だと、何となく理解していた。


 本当の子じゃないのはどっちか?

 タツキか? ユズキか?


 おそらく自分だろう、と直感していた。


 大切にされなかったわけじゃない。

 むしろ逆、ユズキよりも丁寧に育てられてきた。

 神宮家にはちょっとしたヒビがあって、亀裂がおかしな方向に広がらないよう、両親は細心の注意を払っているみたいだった。


 6歳の誕生日に父から教えられたことは3つ。


 この写真に写っている人がタツキの本当の両親だ。

 でも、お父さんもお母さんも、タツキのことを本当の息子だと思っている。

 ユズキの家族として、兄妹として、ずっと仲良くしてほしい。


「どういうこと?」


 事情をうまく飲み込めないユズキが小首をかしげる。

 その頭を、父のたくましい手が、ポンポンと2回なでた。


 母はハンカチで目元をぬぐっていた。

 タツキの両親の葬式を思い出したのだろう。


 あの日、タツキの中にとある思想が芽生えた。


 自分には父が2人いて母も2人いる。

 遠い親戚でしかなかったユズキと家族になれた。

 だから、一般人の2倍くらい恵まれているのではないか。


 そんな遠い夢を見ていた。


 ……。

 …………。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」


 肩をちょんちょんされて目を覚ました。

 顔を上げると、トレンチコートを羽織はおったユズキが立っていた。


「受験、終わったよ」

「ああ……終わったのか」


 30分以上寝ていたらしい。

 相手が妹とはいえ、恥ずかしさで顔が赤くなる。


「どうだった?」

「うん、手応え十分かな」

「よかった。合格発表が楽しみだな」


 いつの間にか喫茶店はガランとしていた。

 タツキが飲み終わったカップを、ユズキはひょいと持ち上げる。


「帰ろっか」


 たくさんの受験生に混じって、駅へと続く道を歩いていった。


 どうだった?

 私はボチボチかな。

 そんな会話がチラホラ聞こえる。


「お兄ちゃん、ちょっと疲れている?」

「少しだけな」


 この時期はバイトの入れ替わり。

 大学を卒業する人が次々と抜けて、4月になるまでメンバーが手薄になる。


 タツキもそろそろバイト歴1年だ。

 中堅メンバーとして頼りにされている。

 20円だけ時給がアップしたこともあり、シフトに入る回数を増やしていた。


「そっか、大変だね」

「バイトリーダーの人に比べたら、全然大したことないさ」


 そんな話をしながら、ほぼ満員の電車に乗り込む。


 途中、急ブレーキがかかった。

 ユズキがバランスを崩したので、慌てて腰を抱き寄せる。


 ほんのり甘い香りがした。

 もちろん、ユズキの髪と服の匂いだ。

 まだ寝ぼけているせいか、頭の奥がクラクラしてくる。


「大丈夫か?」

「うん……ありがとう」

「すまんな、つい」

「いや、いいの」


 慌てて距離を離しておいた。

 胸のドキドキが周りに聞こえないか心配になる。


 きっと、ユズキも一緒だ。

 乾燥している唇を舌で湿らせている。

 やってしまった、兄妹なのに、と反省するように。


「申し訳ない、前回、やらかしたばかりなのに」

「前回って? 何かやったっけ?」

「植物園で恋人と間違われた」

「うっ……」


 すっかり失念していたのか、ユズキはうなじまで朱に染めている。

 その反応のかわいさと、初めて見る妹の色気に、タツキの心臓がふたたびドキドキ。


 バカか、俺は。

 最愛の妹というのに。


「なんか、ごめん」

「いや、ユズキは悪くない」


 しばらくの沈黙のあと、ユズキの口から、思いがけないセリフが飛び出す。


「ねえねえ、もうすぐバレンタインじゃん。やっぱり、お兄ちゃんは大学でチョコをもらったりするの?」

「そうだな……」


 学部にいるのは、ほとんど男子。

 明るい感じの女子もいるが、もれなく彼氏持ちっぽい。


 サークルは……こっちも絶望的か。

 女の子らしくない女の子、ユズキのような子とは真逆のタイプしか在籍していない。


 希望があるとすればバイト先。

 もしかしたら、女の先輩が30円くらいのチョコをくれるかもしれない。

 チョコの代わりに馬車馬のごとく働きなさい、と。


 よって独りぼっちのバレンタインは確定。

 唯一の楽しみは涼風ナギサのバレンタイン配信くらい。


「チョコをくれる人はいない。土下座してお願いしたら、くれるかもしれないが」

「へぇ〜」


 にぱあっ。

 ユズキの目が光ったような気がするが、思い過ごしだろうか。


「だったらさ、だったらさ、ユズキがあげよっか?」

「しかし、受験の直前だろう。みすぼらしい兄のために、貴重な時間と労力を割いてもらうわけには……」

「なに、それ。遠回しに拒否してる?」


 ユズキがいじけるように唇を尖らせる。


「そんなことはない。欲しいか欲しくないかでいえば、もちろん欲しい」

「やった。じゃあ、あげちゃう」

「それは楽しみだ」

「うふふ」


 近くにいた乗客が怪訝けげんそうな視線を向けてきた。

 たしかに、チョコ欲しい、チョコあげる、で盛り上がる19歳の兄妹は、断罪されてしかるべき存在かもしれない。


「くれぐれも無理はするなよ」

「大丈夫だって。受験勉強の息抜きだって」


 本当にステキな妹を持ったな。

 そんなことを考えながら、電車の揺れに身を任せた。

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