第33話

 タツキの予感はやはり的中した。

 朝イチで涼風ナギサのSNSにアクセスすると、


『予定通り、本日12時からスパチャ読み上げ配信やります』

『張り切りすぎて喉を痛めちゃった〜汗』


 そんな書き込みが投稿されていた。

 わざわざ喉を痛めたと公表するってことは、死ぬほど痛いのではないだろうか。


 ファンのために無理して……。

 だとしたら切なすぎる。


 この後、思いがけない人物がタツキを訪ねてきた。

 玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは、


「あ、先輩」


 サブカルチャー研究部の4年生の人。

 この春に大学を卒業して、新しく社会人になる先輩だった。


「よっ、約束のぶつ、持ってきたぜ」

「到着する前に連絡してくれるって話だったような……」

「それがさ〜、急に押しかけたら、神宮の妹ちゃんに会えると思ってさ」

「残念でした。ユズキは受験勉強があるので、部屋にこもりっきりです」


 一目でいいから会えないか、と懇願こんがんされた。

 いまはデリケートな時期なので……と断っておいた。


「お、家族の写真があるじゃん」


 下駄箱に置いてある写真立てを発見されてしまう。


 写っているのは18歳のタツキとユズキ。

 去年の初詣はつもうでで撮ったやつだ。


「へぇ〜、かわいい子だな」

「先輩にユズキはあげませんよ」

「なんだよ。父親みたいなこと、いっちゃってさ」


 もちろん、世間話するために神宮家へやってきたわけじゃない。

 下宿先を引き払うにあたり、不要になった家具や家電を、希望する後輩に配っているのだ。


「神宮は加湿器だったよな。けっこう重いから、車から運ぶの手伝ってくれ」

「了解です」


 国内大手メーカーの加湿器だった。

 たくさんボタンが付いている高性能なやつ。

 4,000円くらいの品を予想していたタツキはびっくり。


「本当に無料でもらっていいのですか?」

「えっ? お金をくれるの?」

「1万円くらい払わないと申し訳ない気がします」

「冗談だよ。タダでやるよ。その代わり、3日でぶっ壊れても文句はいうなよ」


 玄関のところまで一緒に運んだ。

 この後も予定が詰まっているらしく、先輩はさっさと車に乗り込んでしまう。


「4月から東京ですか?」

「3ヶ月の新人研修だ。7月からの配属先は、北海道から沖縄まで、どこになるか分からない」


 先輩が、そうだ、といってショルダーバッグに手を突っ込む。


「これもやる」


 渡されたのは涼風ナギサのアクリルキーホルダー。

 自宅でつくったらしいが、完成度は正規品のソレである。


「俺が卒業したら、ナギサちゃんの推し、神宮だけになるな」

「布教して増やします。認知度も上がってきたことですし」

「じゃあな、がんばれよ、また会おう」

「はい、また会いましょう」


 先輩は卒業式に出ないといっていた。

 次に会えるのは、3ヶ月先か、3年先か。

 どうかお元気で、とタツキは去りゆく車を見送った。


「あら、お兄ちゃん、誰かきていたの?」


 洗面所の前でユズキと鉢合わせた。


「大学の先輩が、ちょっとね」

「ふ〜ん」


 ユズキの視線が何かを気にする。

 餞別せんべつとして渡されたアクリルキーホルダー。


「それは?」

「先輩からもらった。VTuber涼風ナギサのキーホルダー。て、ユズキは知らないか」

「え〜と……聞いたことあるような、ないような」


 ユズキの顔が引きつっている。

 もしかして、兄がVTuber好きだから、ドン引きしたのかな。


「VTuberって、流行っているの?」

「そうだな。俺の周りでは流行っている。涼風ナギサは、もうすぐデビューから1年を迎える勢いのある子で……」

「うんうん」


 今度は食いついてきた。

 もしかして興味があるのかな。


「キーホルダー、ちょっと見てもいい?」

「ほらよ」

「へぇ〜、すご〜い。よく出来ているね。こんなの、自分で作れちゃうんだ」

「ん? どうして手作りと分かった? 中々鋭いな」

「あっ……いや……何となく……」

「そうか」


 この時、タツキの中で小さな野望が芽生えた。


 ナギサは女の子からも支持されている。

 もしかしたら、ユズキも大ファンになるかもしれない。


「とにかく、ナギサちゃんは、等身大のアイドルって感じなんだ。昨日、バレンタインの生歌ライブをやっていたのだが、ものすごく良かったと、さっき先輩が絶賛していた。なんというか、華がある」

「へぇ〜、そうなんだ。がんばって活動しているVTuberさんなんだね」

「ナギサちゃんとユズキ、歳が近いと思うぞ」

「えっ⁉︎ えっ⁉︎ そうなの⁉︎」


 メチャクチャ動揺している。

 どうしちゃったんだ、ユズキらしくない。

 勉強のやり過ぎで、頭がポワポワしているのかな。


「それよりも、ユズキ、喉は大丈夫なのか? 少し枯れているようだけれども」

「うっ……これは……大丈夫……数日すれば治るから」

「辛いんじゃないかと思って」


 先輩からもらった加湿器を見せてあげた。

 ユズキは、うわぁ、と叫んで口元を押さえる。


「高性能な加湿器だ。かなり効くと思う。ユズキが利用したらいいよ」

「本当にもらっていいの?」

「礼なら俺じゃなくて先輩だな。受験勉強、ラストスパートで苦しいだろうけれども、これで何とか乗り切ってくれ」


 すると、思いがけないイベントが発生した。

 ユズキが抱きついてきたのである。


「ありがとう……お兄ちゃん……本当にありがとう」


 おいおい。

 大げさすぎるだろう。

 喉まで出かかった言葉を、なんとか飲み込んだ。


「大丈夫か、ユズキ」

「嬉しすぎて、つい……ごめんなさい」

「気にしなくていい」


 タツキの手に温かいものが触れた。

 ユズキの瞳からこぼれてきた涙の粒だった。


 泣くのを見るのは、およそ1年ぶり。

 大学受験に失敗して以来となる。


「3月になったら、自動車の免許を取るから。どこかへドライブにいこうな。空気のきれいな場所にさ。お兄ちゃんも運転の練習がんばるよ」


 ユズキは目元をゴシゴシすると、うん、といってもう一度タツキに抱きついてきた。


 お兄ちゃん、大好き!

 タツキの脳内で10年くらい昔の声が再生された。

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