第3話 とある春の日の歓談

 声のした方を見ると、そこにいたのは予想外の人物だった。


「斎川……さんか。どうしたんだ」

「おはよ、國木君。失礼な話なんだけど、用があるのは丸林君のなの」


 ごめんなさい、と顔の前で手を合わせて目をぎゅっと閉じる仕草をする斎川。何もそこまで申し訳なさそうにする必要はないと思う。


 とにかく、視線を女神様ご所望の丸林に向けた。奴はまだ東とじゃれ合っている……と思うのは俺が慣れているだけか。なるほど、確かにこれはなかなか割って入れそうにない雰囲気だ。


「東さんとの邪魔をするのもなぁ、と思って」

「別に気にすることないよ、こんなの。――おい、丸林。斎川さんがお前に用があるって」

「なんだとっ!?」


 まさに雷に打たれたかのようだった。

 丸林の身体がビクンと一つ大きく跳ねると、すごい勢いでこちらの方を振り返った。軍隊でやっていけそうなぐらい、無駄のない洗練された動きだ。


「さ、斎川さんっ! いったいなんの御用でしょうか」

「口調がおかしすぎるだろ、お前」

「あのね、呼んできてほしいって言われてね」


 そう言って、斎川はそのくりっとした目を教室前方の入口へと向ける。

 つられて俺も目を向けると、ショートカットの女子が気だるげにドアの枠に寄りかかっていた。スカーフの色的に三年らしいが、どこか見覚えがあるような。


「げえっ!」

「あたし、そんなこと言う奴初めて見たんだけど」

「俺はこいつ以外知らないぜ、東」

「それはそうか」


 こっちの会話に首を突っ込んできた東と二人妙に納得し合う。

 それにしても、今の丸林の表情、写真に撮っておきたいところだな。この世の終わり、みたいな顔してやがる。


「新聞部の部長さんだよね。急ぎの用件なんだって」

「……あわわ、もうダメだぁ。殺されるぅ」

「物騒すぎるよぉ、丸林君。だいじょうぶ! 優しそうな感じだったよ」

「それ、怒りがピークを通り越しているだけなんすよ、たぶん」


 悪徳記者はいっそうげんなりした様子で吐き捨てた。それだけで、今までに何度も似たようなことがあったんだとわかる。さらに、どうも心当たりもあるようだ。


 あの人が新聞部部長……だから見覚えがあったのか。一度部室に行ったとき見かけたんだ。それもまた、例のあの日――やたらめったらあの時のこと思い出すな、今日。


「……ちょっと行ってきます。ありがとう、最後にルミナ様とお話しできてよかったです」

「壮大だな」

「アホね」

「あ、あはは」


 重たすぎる足取りで、丸林は上官のもとへと向かう。それはまるで、絶対に勝てない相手に向かっていく戦場最弱の兵士のよう。


 微塵にもかわいそうには思わない。おそらく自業自得だ。


「――っと、あの丸林バカのせいですっかり忘れてた。國木、英語の予習見せてよ」

「あいよ」

「人間素直なのが一番ね。昼に、ジュースおごったげる」

「選択権は俺にあるんだろうな」

「何言ってるの。見ての通り、センスには評判のあるちかちゃんよ!」


 ちかちゃんは誇らしげに背筋をのさして見せた。その顔はこれ以上ないほど自信に満ち溢れている。

 たぶん、『独特な』という形容詞がつくんだろう。この間彼女から貰ったのは鯖味噌煮レタスサンドという素敵なものだった。

 そのあたりはさすが丸林の昔馴染み。口に出すと、きっと陰惨な目に合うので墓場まで持っていくことにするが。


「また國木君ノート見せてる~。今度、あたしも國木君の見せてもらおうかなー」

「瑠実奈には必要ないでしょ。全く役に立たないと思うわよ」

「ひどい言い草だな。これからノートを借り受ける人間の発言には思えない」

「大丈夫。あたしにはちょうどいいから」

「絶対にほめ言葉じゃないな、それ」


 どうせ適度に間違ってるから、とかいう理由に違いない。コミュニケーション英語の教師は意外と目ざとく和訳の確認をする。


 そんなやり取りを、斎川はくすくすと笑って聞いていた。控えめに口元に手を当てる姿は、なかなかつつましいと思う。


「じゃあそろそろも戻るね。國木君、人助けもほどほどに! なんて」

「瑠実奈はホントふわふわしてるわねぇ」


 わざとらしさ満点の咎めるような表情をしてから、斎川は笑顔で自分の席に戻っていく。相変わらず、歩く姿勢はとてもきれいだ。


 目を細めてなごんでいる東に、俺は英語ノートを差し出した。

 ゆるふわ系――斎川が本当に該当するのかはさておき、東には縁のない言葉だな。なんて、彼女の幼馴染は遠慮なく言いそうだ。


 その後戻ってきた丸林は、少なくとも午前中までは口数が極端に少ないのだった。



        ※



「というか。今の今までネタが見つかってないからこうなってるんだろ」


 再び我らが2年3組の教室前に戻ってきて、俺はずっと抱えていた不満を新聞部の友人にぶつけることにした。

 ちらりと見えた教室の中はほとんど空っぽ。帰りのホームルームはだいぶ前に終わった。


 意図せずして、家に入ることができなくなった俺は、先例に従って丸林に相談。結果、なぜかこいつのネタ探しを手伝うことになった。

 朝、新聞部部長が来襲してきた件と大いに関連性があるようだ。詳しくは聞かなかったが。だって、なんか怯えだすし。


 丸林は俺の苦情をものともしていない様子だ。ふふん、とその口元はかなりムカつく感じに上がっている。


「それはその通りだ、ライジン。だが、一人より二人。二人より三人。三人寄れば文殊の知恵、という」

「もう一人はどこにいるんですかね」

「俺たちの心の中だ!」


 それなりに大きな声が、人影まばらな四階廊下に響き渡った。

 お手本のようなドヤ顔。こいつ、思いのほか役者とか向いているんじゃないか。


 丸林の演技適正は横によけておこう。この適当な理論に従うなら、お互い同じ人物を思い浮かべるのはまれだから、四人になるのではないか。

 ただし、これはトラップだ。ツッコムと際限なく、無駄な会話が広がっていく。


「ま、ライジンの言うことももっともだな。二人一緒なのは効率が悪い。手分けするってのはどうだ? 俺は部活棟、お前は本校舎で」

「妥当な分け方だな、りょーかい」


 しいて言うと、初めにそうすればよかったのに。この間の探索は何だったのか。

 そんな思いを込めて、投げやりに言葉を返した。


 丸林と別れて、ひとまず一階まで下りる。

 本校舎を任されたもののさっきまで一通りめぐっていたわけで。すぐにうろうろする気にはなれない。


「ちょっと小休止といくか」


 渡り廊下近くの窓から中庭を見ると、なかなかうまく陽が当たってずいぶんと心地よさそうだ。

 天気予報は、今日は朝から穏やかな春だとかのたまっていたっけ。五月も半ばを過ぎると、さすがにこの辺りも温かい。


 ――そんなのどかな思いは中庭に出たときに粉砕された。


「くしゅんっ!」


 まあ温かくはある。

 ただ風が強い。思わずくしゃみがこぼれ出た。

 

 それでも、よく陽射しが当たっているベンチは捨てがたい。昼休みなんかは人気のスポットで、思い返すと俺はあまり来た覚えがない。


「……って、まずい!」


 陽だまりのベンチに腰を落としてすぐ、渡り廊下の端に人影を見た。

 男女の二人組。男の方は、正直かなりのイケメンだ。そしてやや後ろに続いているのは――


 とにかく、俺は慌てて辺りを見回した。早くどこかに隠れなくては。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る