第61話 女神様の事情

「昨日一緒にいたのって、國木?」


 朝教室に入るなり、後ろから飛んできたのがこの言葉。その主は真後ろの席の中垣夏希なかがきなつき、明るくサバサバした派手好きな女の子。


「えー、いきなり何のはなし?」


 作り笑いを浮かべて、訊き返す。見当はついているけれど、相手の出方を待った方がいい。余計なことをベラベラと喋りかねない。


「放課後、駅にいたっしょ。ほら――」


 夏希が告げたのは、とあるカフェの名前。

 やっぱりそうか。あたしは、心の中でそっとため息をついた。


 さて、どう答えるのがいいだろう。目の前にあるのは、2つの道。肯定するか、とぼけるか。

 初めてのケースに、正解が正直わからない。ただ黙っているのは確実に悪手で――


「ああ、うん。そうだよ。國木くんも一緒だった」


 嘘はつかないに越したことはない。隠すような話でもなければなおさらそう。


 答えを聞いて、夏希はじっとこちらの顔を見つめてきた。真意を探ってくるような感じ。見た目に反して、意外とこの子は思慮深いのは知っている。


 あたしはなおも微笑み続ける。相手の企みには気が付かないふりをして。いつからだろう、こんな風に窮地を切り抜けるのが上手くなったのは。


「……あっさり認めたな。なーんか、拍子抜けー」

「なあにその反応?」

「てっきりついにカレシがデキたのかと。あの大人気な『女神様』にさぁ」


 夏希は厭味ったらしく顔を歪めて身を乗り出してくる。

 あたしは少しだけムッとした顔を作った。この程度のこと、本当はあまり気にならない。でもここは抗議しておくべきでしょう。


「あ、怒った。ごめんってば。でもさ、実際のところ違うんだよね? 全然、そんな雰囲気じゃなかったし」

「あたしが國木くんと付き合ってるか、ってこと?」


 問い直すと、向こうはこくりと頷いた。興味津々なのが全く隠せていない。特に目の辺りが。


 答えはもちろんノー。でも、すぐには答えられなかった。


 あたしとあいつはそんな関係じゃない。ただの友人……いや、これも違うか。

 夏希の妄言に、やや心が乱れてしまう。昨日あんなことをしてしまったからか。あいつのことを考えると、気分が落ち着かなくなってしまうんだ。


 だから、言葉にする代わりに小さく首を振った。


「だよねー。ルミと國木じゃ釣り合わないもんなぁ」

「……釣り合わないって?」

「だってほら、ねえ」


 そう言って、夏希はちょっと遠くの方に目をやった。それはちょうど、國木の席の方かもしれない。

 あたしもそれに続いて視線を動かす。目当ての人物の席は空。あいつが来るのはもう少し先のことだろう。

 それはたぶん、夏希は知らないことだ。きっとクラスメイトの多くもそう。國木頼仁はそんな目立たない存在。


 だから、あたしとは釣り合わないとか言うのでしょう。本当のことは何知らず、表面だけ見て知った気になって。

 でも、人付き合いなんてそんなもの。だからあたしは表面を取り繕って生きてきた。その方が円滑に事が進むから。


 割り切っていたはずなのに、どうしてか胸のざわつきは収まらない。相手が國木だから――さっきの自分の言葉を思い出して、ほのかに身体が熱を帯びていく。


「まあなにもないならいいや。よかったー、変なこと言わなくて」

「……それはどういうことかな、夏希?」

「いや、あの場にさ、ほかの子も一緒にいて。あたしはなんとなく相手がわかってたんだけど、それをぼかしたって話」

「うんうん、それで?」

「あのとき國木だって言ってたら、ウソが出回ることになってたかなって。今と違って」

「なんにせよ、噂は流れてるんだね」

「仕方ないっしょ。ユーメーゼーってやつ」


 自分から有名になろうと思ったことはないのだけれど。心の中だけで苦笑する。


 その後、ほかの子を交えていつもの談笑を始めた。些細な世間話が中心だが、たまに学校関係者の役に立つ情報が拾える。だから、あたしは意外と重宝している。


 その最中、時間を見計らってバレないように視線を動かす。

 ……まだ来てないんだ。珍しく遅刻、大穴で欠席。夏希が変なことを言うものだから、ついあいつの動向が気になった。


 結局、いつもよりかなり遅れて國木は教室に入ってきた。あたしの近くを通りがかったとき、ばっちり目が合ってしまった。

 ちょっと追いすぎた……さりげなく逸らしたが、相手にはきっと気づかれたことでしょう。


 放課後、何か言ってくるかな、あいつ。そんなことを考えながら、1日が始まるのを待っていた。




        ※




 放課後になってすぐのことを思い出して、ふっと息を漏らした。ぼんやりと眺める天井がかなり遠く感じる。


『じゃあ俺と付き合ってくれよ』


 それは違うクラスの男子からの告白。野球部のエースで、顔を合わせればたまに話す程度の仲。

 昨日の話を聞きつけて焦りが生まれたらしい。真偽を確かめてきて、否定するとその流れで切り出された。


 そのこと自体は珍しいことじゃない。断るのはやや気が重たかったけど、帰宅してまで引きずるほどでもなし。


 気になっているのは別のこと。

 軽い付き合いの相手からは想いを伝えられる。でも、本当の自分を晒している相手からはなにもなし。

 もっと知りたい――そう言ってくれた。でも、実際のところはどうなんだろう。國木はあたしのことをどう想っているのか。


 本当のあたしが、見るに堪えない存在という自覚はある。だから、あいつにも知らないうちに失望された。考えうることだ。

 昨日帰ってから、あたしは同じようなことばかり考えている。別れ際を思い出しては悶々と。決め切れなかった自分がもどかしくなる。

 しかも、追い打ちに夏希との話。おかげで、余計にあいつを意識しっぱなし。


 それらのことが相まって、結局、こうして家に帰ってきてしまった。かなり早い帰宅に、伯母さんはかなり驚いていた……それがまた気が重くなる原因。


「……はぁ。なにしてるんだろ、あたし」


 重苦しい気分のまま寝返りを打つ。こんなことなら、あいつに近づくんじゃなかった。好奇心は猫をも殺すとはよく言ったもの。

 知れば知るほどに、惹かれていった。一番は自分と共通点が多いこと。この人なら、あたしのを理解してくれるんじゃないかって――


 あいつはまだ学校……ううん、もう帰って来てる頃か。約束、すっぽかしちゃったわけだし、すぐ帰ったはず。


 やっぱり会いに行こうかな。時間が経つにつれて、今度は逆の気持ちが芽生え始める。つくづく矛盾しているなぁ、と思う。


 似たような考えを反芻した末、あたしはベッドから起き上がった。そのまま部屋を出る。


「ちょっと出かけてきます」

「ええ、わかったわ。気を付けてね、瑠実奈さん」


 台所にいる伯母さんに声をかけて、あたしは家を飛び出した。


 タイミングよくバスに乗って、あいつの家へ向かう。道中、なるべく何も考えずに。ただじっと、流れる風景に目をくぎ付けにしていた。


 降りてから、よどみなく足を進める。もう慣れたものだ。何日も通い詰めていたわけだし。


 マンションの外観が見えると、大きく心臓が跳ねた。しっかり呼吸を繰り返しながら、気持ちを落ち着かせる。動揺したまま、会うことなんてできない。


 最後に気を引き締めて、あたしはオートロックと向き合った。


「……な、なんで出ないのよぉ」


 部屋番号を入力して呼び出しボタンを押すものの応答はない。

 放置されて、とても怒っているのか。見つめてみても、当たり前だが向こうの様子は透けてこない。


 まだ帰ってきてないのかも。

 一縷の望みを胸に、あたしはもう少し待つことにした。ここで会わなければ、ずるずると尾を引くことになる。

 その予感だけは、確かにあったんだ。

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