第62話 関係の終焉

 聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず斎川を連れて家に上がった。そのときに気づいたが、あいつは荷物を何も持っていなかった。でも、制服姿のまま。


 リビングに通してから、俺はひとりキッチンへ。とりあえず一息つきたい。こちとら、わからないことばかりだ。


「斎川。なにか飲みたいものあるか?」

「ううん。なんでもいいわ。ありがとう」


 そっけない返事を聞いて少し悩む。そういうことならミルクティーにしよう。インスタントの買い置きはまだあるはず。

 お湯を沸かしながら、ごそごそと辺りを探る。さて、あれはどこだったか。


「遅かったのね」

「もうちょっと待ってくれ……って何が?」

「帰ってくるの。とっくの昔に家についているんだとばっかり」


 結局、目当てのものは見当たらないまま顔を上げた。カウンター越しに、相手の様子を探る。


 斎川は、いつかのように膝を抱えて座っていた。視線は正面を向いたまま。真っ暗なテレビの画面に固定されっぱなし。

 横顔には何の感情も読み取れない。いつものことだけど、今に限っては普段以上にそう思ってしまう。


「もしかして、ちょうど来たところだったのか」

「いいえ、少し待ってた」


 予想外の反応につい顔が曇る。話の行く末も、相手の意図もまったく見えてこない。

 ため息をついて、向こうへと回った。あいつからやや離れたところに立つ。それでも向こうは、決してこちらの方を見ようとしない。


「呼び出しボタン、押さなかったのか? もしかして部屋番号忘れたとか」

「ううん、押した。でも出なかった」

「そりゃいなかったわけで。……待て待て、じゃあお前は居留守使われたと思ったと」


 小さく斎川の首が縦に動いた。こんなにも大人しいと、正直調子が狂う。


「んなことしねーよ。どうしてそう思った?」

「だって、あたし約束破ったでしょう」


 ようやく、相手はこちらの方を見た。唇を噛んで、どこか申し訳なさそうな表情をしている。


 へそを曲げたと思われたのか。ちょっとだけ心外だ。こいつの目には、俺がそんな風に映っていたとは。

 確かに、図書室で放置されて戸惑いはした。でも決して怒ってはいない。面白い本とも出合えたし。

 何より――


「事情があるんだろ。だったら仕方ないさ」

「……それは」

「ま、連絡のひとつは欲しかったけどな」


 俺はポケットからスマホを取り出して、ひらひらと掲げて見せた。

 向こうのはガラケーとはいえ、簡単なメッセージのやり取りくらいはできる。


「こっちからも何回か送ったんだけど、届かなかったか?」

「ごめん、学校行くとき電源切ってるから」

「……なるほどな。あの校則がちゃんと機能してるとは。まあとりあえず今入れとけよ」

「……急いできたから忘れた」


 相手は気まずそうな顔で目を逸らした。


 斎川さんはここまでうっかりやだったか。普段の姿とはあまりにもかけ離れていて、困惑するばかり。


 これは、一筋わけではいかないか。俺もまたソファへと腰を下ろす。十分に、向こうとは距離を取って。


「そういえば、いったん家帰ったんだな。鞄、持ってないから」

「うん、そうよ。改めてごめんなさい。図書室行かなくて」

「それはもういいから。でも、そうだな。理由ぐらいは教えて欲しかったり。無理にとは言わないけど」

「告白されたから」

「…………は?」


 斎川はしっかりとこちらの顔を見据えて返してきた。


 あまりにも突拍子のない言葉で、俺の思考は完全にフリーズした。図書室に来ないことと告白がいったいどうすれば結びつくのか。


「わかるように説明してくれるか」

「その前にさ、國木は結果、気にならない?」

「告白のか。それはプライバシーにかかわる話というか……」

「はっきり答えてほしい。気になるのか、それともどうでもいいか」


 相手の表情はどこまでも真剣だ。たぶん、からかいのつもりはないはず。ここまでの付き合いで、少しは判別がつく。


 大きな瞳をしっかりと見つめ返す。吸い込まれそうなほど魅力的。気が付くと、俺たちの距離は詰まっていた。


 相手がなぜ訊きたがるのかはわからない。でも、きっと大事な意味があるんだろう。真意が不明でも、それが相手を避ける理由にはならない。


「気になるさ、もちろん」

「それは、あたしが『女神様』だから? それとも――」

「斎川っていう、ひとりの女子だからだ。俺が最近知りたいと思っている」

「そこは名前も呼んで欲しかったな」


 ぽつりと、奴は物騒なことを呟いた。俯き加減に、どこか嬉しそうに。


 さすがに面と向かって呼ぶのは難しい。小さい頃はそういうことも気にしなかったけど、この年になるとちょっと……。島の知り合いだって今はそう呼ぶ。


 ともかく、答えることは答えた。こちらから続ける言葉はなくて、口を閉じ相手の言葉を待つことに。


 カチッ、何かの仕掛けが動く音がリビングに響く。きっとお湯が沸いたのだろう。瞬間、ミルクティーのことを思い出した。

 でも、立ち上がる気は少しも起きない。今は目の前にあること以外がどうでもいい。そんな感覚。


「もちろん断ったわよ。嬉しい?」

「……お前な、どうしてそんな直接的なことを」

「じゃあ嬉しくない」

「どちらかといえば前者かな」

「どうして?」


 ここぞとばかりに攻め立ててくる斎川。そこはいつも通りなんだな、と変に安堵する。もっとも、顔つきは相変わらず真面目なままなんだけど。


 答えは、うっすらとだが出ている。だが、あと一歩がなかなか出てこない。ここまできても、斎川の態度に翻弄されっぱなしだ。


 沈黙が続く。リビングに流れる空気はどこか不思議なもので、しかし重苦しさはない。この奇妙な雰囲気に、時間が引き延ばされていくような――


「あたしは誰とも付き合う気はなかった。誰かと深く付き合うなんて、できないししたくない。壁の代わりに、理想の自分を作り上げることにした」


 顔を正面に向けて、斎川が語り始める。小さな声で、淡々と少しの感情を込めることなく。


「きっと、國木も同じなんだよね。細かい人付き合いはなるべく避けたい……違うかな」


 言い終わって、再び斎川はこちらを向いた。やはりまじまじと顔を覗き込んでくる。無表情に、まるで何かを観察するように。


「ああ、そうだ。島での暮らしってコミュニティが小さいから、どうしても他人との距離が近すぎになる。それがちょっと疲れてさ」

「疲れて、ねぇ」


 斎川は意味ありげに、こちらの言葉尻を捉えて繰り返す。少しだけ、眉毛が動いた気がする。


 はぐらかされたのが気になったのか。でも、それはこちらも同じだ。

 あいつだって、すべてのことを話したわけじゃない。その境地に至るまでの過程は、相変わらずぼかしたまま。


 しかし、それでいいんだ。大事なのは現状だけ。俺たちの中に、似たような側面がある。――だから、俺は斎川のことが気になった。

 向こうもきっとそう思っている。確かめようがないから、それは俺の感想にしかすぎないけれど。


「でも、あたしは國木だったらいいかなと思った。アンタなら、あたしのことをわかってくれる。やっとそれを自覚できた」

「斎川……」

「ねぇ、そろそろアンタの本当の気持ちが知りたいな。あたしだけ本当を曝け出し続けるのはアンフェアじゃない」


 ようやく、斎川の顔に笑みが宿った。それはいつもよくみた、あの悪戯っぽいといえるもの。


 これはたぶん、昨日の続きだ。カフェの会話の延長線上。本来なら、俺からすべきだった内容。


 ――向かい合うべきときがきた。自分の気持ちに。目の前の相手に。

 避けてきたことが一気に襲い掛かってきたような感覚。自然と呼吸を整える。


「俺も同じだ。俺は、斎川が――斎川瑠実奈のことが好きだ」

「ホント? ウソじゃない?」

「ああ。ホントにホントだ」

「そばにいてくれる?」

「もちろん、お前が嫌になるまで」


 誘導されるがままに本心を吐く。覚悟していたほどに恥ずかしさはない。でも鼓動は激しいし、身体はとても熱い。


 じっと見つめ合った後、視線を逸らしたのは向こうだった。初めて見る幸せそうな表情を浮かべて、なんどか繰り返し頷く。


「そっか。そっか――あたしね、ずっとわからなかったんだ。あたしとアンタとの関係」


 ああ、俺もずっとそれに悩んでいた。あの日から始まったこの歪な関係。しかし、それに終止符が打たれた。


「でも今からは恋人だって言えるんだね。よろしくね、頼仁」

「ああ、瑠実奈」


 慣れない響きを繰り返す。これが心地いいと思えるまで、どれくらいかかるだろうか。


 どちらともなく寄り添って、そっと手を握り合った。

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完全無欠な女神様の素顔を俺だけが知っている かきつばた @tubakikakitubata

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