完全無欠な女神様の素顔を俺だけが知っている

かきつばた

1章 女神堕つ

第1話 とある冬の日の最接近 

 雪舞う中静かに見上げる校舎のなんと虚しいことか。ピタリと閉じたガラス戸がこの閑散さに拍車をかけている。


 ずっと感じていたやるせなさは、ここにきて限界突破。つい顔が歪み、自然とため息まで出てしまう。

 寒さにひるみながら、俺はコートの右ポケットからスマホを取り出した。


『とうちゃく』

『り』


 約束相手と形式だけのやり取りを済ませ、ようやく校舎の中へ。当然のように玄関に人の姿はない。第一次下校ラッシュはとうの昔に終わったようだ。

 部活の活気を遠くに感じながら靴を履き替える。果たして俺は何をしているんだか。わがことながら、ほんと意味不明。


 外観とは違って校舎内はかなり賑やかだ。我が校は公立でありながら、強豪部活が多い。運動系文化系を問わず。


 ちょっとした居心地の悪さを感じつつ、俺は目的地に向かう。渡り廊下を抜けた先にある別棟の四階――改めて考えると、なかなかに面倒くさい。このまま帰ってやろう、というのは本末転倒だな。


(あれは――)


 その渡り廊下の入り口から、タイミングよく誰かが出てきた。遠目でも、その顔ははっきり見えた。俺の知っている人物だった。だが、その雰囲気に軽い違和感を覚える。

 

 斎川瑠実奈さいかわるみな

 同じ一年生。しかしクラスは違う。それでも俺が知っていたのは、彼女がかなりの有名人だからだ。こんなひっそりと高校生活を過ごす者に届くほどに。


 コツコツコツ、普段よりも静かな廊下に足音が小気味よく鳴り響く。

 リズミカルに揺れる長髪、ピンと伸ばした背筋、きれいな足運び。とても様になっていて、こういうのをオーラがあるというのだろう。


 彼女はもっぱら学年一の美人として評判だった。同学年だけじゃなく、上級生からも人気を集めるほどに。


 構わず俺も歩き出す。気を取られたのは一瞬のこと。どうせ向こうは俺のことなんて知らないわけだし、過度に意識する必要は全くない。

 こうして、ただ廊下ですれ違うことがあるかどうかくらいの希薄な関係。それ以上に交わることはないだろう。


 そう思っていたのに。


「こんにちは、國木くにきくん」


 彼女はぴたりと足を止めた。人当たりのよさそうな笑みを浮かべて、こちらの方を見てくる。


 予想外の事態に、俺は不自然な感じに動きを止める。正直、思考が全く追いつかない。ただ黙って、彼女の顔を見つめ返す。

 挨拶されたのはこの際置いておくとして、なぜ俺の名前を知っているんだろう。同様の中に、わずかな疑問が広がり始める。


 すぐさま、この場の雰囲気が気まずいものへと変わった。

 斎川は依然として笑顔のままだ。しかし、わずかにだが強張っている。そしてぎこちなく首を傾げ始めた。


「あ、あれ? 間違ってたかな……? 7組の國木頼仁よりひと君だよね」

「……ああ合ってるよ」


 どうして知ってるんだ、その言葉は心の中で吐き捨てた。


 俺の答えに、どこか不安そうだった斎川の表情がパーッと明るいものへと変わった。これぞまさしく満面の笑み、といった風だ。


「よかったぁ、ちょっとドキドキしちゃった。もし間違ってたら失礼とかそういう話じゃないもんね。一応、人の顔と名前を覚えるのは得意な方なんだけど」


 斎川はコロコロと表情を変えながら話を続ける。彼女の大人びた外見からは、少し想像できない姿だった。


 基本明るい顔をしていた彼女だが、何かに気づいたようで目を丸めて、一つ手をたたいて見せた。


「もしかして逆だった? こっちことがわからないか。斎川瑠実奈、お隣の7組なんだ!」

「いや知ってる。ちょっと驚いただけというか」


 というか、隣のクラスじゃなくても、彼女のことを知らない奴は少ないだろう。本人にそんな自覚はないみたいだが。


「それで? 國木君はこれから部活?」

「帰宅部だから、俺。ちょっと用事があって」

「ヨウジ……もしかして忘れ物とか? って、そんなわけないか」


 言いながら、すぐに笑い飛ばす斎川。

 果たして、どこからそう思ったのか。またしても一つ謎が増える。


「でー、そんなはぐらかさないといけないようなワルいことを企んでるの、國木君は? 人は見かけによらないんだねぇ」

「別に隠すつもりはないさ。忘れ物、はあながち間違いじゃない。家の鍵を忘れたんだ」


 最悪なのはそれに気づいたのが、マンションのオートロックの前でということ。せっかく素早く学校を出たのにまたま戻る羽目になった。マヌケなことこのうえない。


「なるほど、おうちに入れないわけね」

「そ。で、学校で時間つぶしをと思って」

「学校で?」


 斎川はどこか意外そうな顔をした。まばたきの回数が増えて、長いまつ毛がぱちぱちと揺れる。


 実際には、新聞部に所属している友人のところに押しかけるわけだが。ちょうど向こうも退屈してたらしい。

 そんなんでいいのかと思いつつ、お言葉に甘えることにした。


「ほかに行く当てもないから」

「あー、そっか。國木君。離島出身だったけ。なんか聞いたことあるかも」

「そんな噂になるようなことか……」


 まあしかし。だからこそ、彼女は俺のことを知っていたのかもしれない。物珍しさ、ただその一点で。クラスの連中もそんな感じだし。


「でもま、確かに外で時間を潰すのって結構大変だよね。うんうん、わかるよー」

「なんか実感が籠っているような」

「ふふっ、どうだろうね」


 斎川はちょっと前かがみになっていたずらっぽく笑う。そのまま、どこか芝居がかった様子で俺の横を抜けていった。


 俺としては、あっけにとられてただ目で追うことしかできなかった。


 彼女は数歩先でまた止まると、こちらをゆっくり振り返った。さらさらと宙を舞う象徴的なロング。


「それじゃ國木君、またね。今度は鍵、忘れちゃだめだよ? ちゃんとおうちに帰らないと」


 まるで小さな子どもに言い聞かせるような口調で言い放つと、斎川は再び身体を反転させて玄関の方へと歩いていく。


 俺はしばらくその方向をじっと見ていた。なぜだかすぐに動く気にはなれなかった。

 少し話しただけで、以前聞いたことのある彼女のイメージが間違いじゃないことがわかる。誰にでも優しくて親しみの持てる女子。


 だが、渡り廊下から出てきてすぐの彼女は、どこか冷たい感じを身に纏っていた。後から考えてみれば、だが。たぶん、それが感じた違和感の招待。


 きっと気のせいだろう。俺がすさんだ気持ちだったから、そう見えただけ――気を取り直して、俺はゆっくりと踵を返した。


「なに黄昏てるんだ、お前」


 そこにいた男の顔を見て一つ思い出す。

 そういえば、何か約束していたっけ。

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