第2話 とある春の日の既視感
それは学校についてすぐのことだった。
家の鍵がない。具体的には、定位置がからっぽだ。
顔をしかめながら鞄の口をじっと睨む。周りの喧騒がちょっとだけ遠くに聞こえてくる。
「あの女……」
心の中でそっと呟いた。思い浮かべたのは同居人兼保護者代わりの顔。続柄でいうと姉。
ざっと三か月ぶり二回目の犯行か……インターバルが短くなっているのはなぜだろう。確かに最近、姉のだらしなさに拍車がかかっている気はする。
「おいおい、ライジン! 今すぐにでも人を殺しそうなほど物騒な顔してんぜ」
「それぐらい腹が立つことがあったってことさ。そして、誰がライジンか」
真ん前からの呼びかけにうんざりしながら応じる。
顔を上げると、前席の主と目が合った。絶妙に腹の立つ表情を作れる、というのはこの男の特技だな。
「いいじゃんか。かっこいいぜ、ライジン! フージン、ライジン、テンチジン! みたいな」
「お前のその感性はよくわからんわ、まったく」
「そうか? 100人に聞いたら、60人くらいはカッコいいって言うぜ」
「微妙な数字だな。あとどこ調べだそれ」
なんだか頭が痛くなってきた。こめかみを抑えながらぐっと眉を寄せる。鍵紛失発覚の追い打ちとして、これ以上のものはない。
一つため息をついて、俺は少しだけ姿勢を正した。何はともあれ、こいつに聞かなければならないことがある。
「
「なんだい、デートの誘いか? デートなら、女神サマとしたいものだねぃ」
大げさな口調で吐き捨てると、丸林は身体の向きを変えた。
俺も視線だけ続く。廊下から数えて2、黒板から数えて3。そこが、女神様の居所――丸林風に倣うと神殿と評するのが適当か。
校内一の美貌と評される斎川瑠実奈はにこやかに、周囲の女子とおしゃべりに興じている。
「くぅ、相変わらず今日もお美しい。常々神には感謝だ。まさかあの斎川瑠実奈良と同じクラスになれるとは。アブラカタブラなんとやら」
「お前それいつも言ってるぞ。いい加減飽きないのか」
進級して一ヶ月以上が経つというのに。丸林はいつも遠巻きに斎川を崇め奉っている。
俺もこいつ同様、繋がりは全くない。ある冬の日の放課後のような出来事は、あれが最初で最後だ。
なんであんな風に言葉を交わしたのか。その真意は、一生わかることはないんだろう。それこそ、女神の気まぐれ、だ。
そういえば、あの日も姉が俺の家の鍵に手を出したんだった。思い出すと改めて怒りがふつふつ湧いてくる。
「なんだよ、なんだよ。ユーは興味ないってか? 全く強がっちゃってー」
「いちいち茶化すな。興味がないわけじゃないけど。まあかわいいなーぐらいは思うさな」
「でもま、それくらいがいいかもな。競争率、エゲつないから。ほんのつい数日前も三年のサッカー部のキャプテンに告白されたからな——っとこれオフレコで」
「さすが悪徳記者。耳が早い」
丸林
それがなんの因果か。現在は新聞部に所属している。部員数は3だか4だかで、頻繁に存続の危機に瀕するとかなんとか。
ただ活動は熱心に行われているようで、定期的に壁新聞が掲示されている。中でも、丸林の得意分野がゴシップ。
顔が広いのか、学年を問わずいろいろな与太話をこいつは知っている。こいつとは去年も同じクラスだったが、そうした小話で盛り上がったものだ。
しかし、斎川はこれで何度目なんだろう。そう言った話は本当によく聞く。こいつからだけではなく。
でも、ただの一度もオーケーをしたことがないらしい。難攻不落、一部では同盟が組まれているとか。……ファンクラブだったか。
「誰が悪徳記者だ……俺ほど真面目な男もいねえぞ」
「どの口が言ってんだか。みんな言ってるぞ、あいつは悪徳だって」
「みんなって誰さ!?」
バンっ。
丸林は大げさに机を叩いた。やや大きい音が周囲に響く。
その時、タイミングよく俺は右肩を叩かれた。
振り向くと、隣の席の
「ねえちょっと」
「悪い。うるさくしすぎたな。ウチの馬鹿の分も謝る」
「そうじゃなくて。というか、なんで丸林の分も國木が謝んのよ」
「常識がないから」
「なるなる〜」
俺と東は顔を見合わせて何度も頷いた。
丸林芯の迷惑さは、この時期にしてクラス全員の周知事項だ。
「やい、二人してなんだまったく!」
「正当な反応だと思うけど。アンタ、この前の記事またロクでもないもの書いてたでしょ」
「ロクでもないとはなんだ。教師の口癖ランキング、めっちゃ好評だったぞ」
「そのあと、めっちゃ怒られてたけどねぇ」
せせら笑う東に、猛烈に反論する丸林。
この二人の対決はいつものことだ。長い付き合いらしいで犬猿の仲と称しているが、結構息ピッタリだと思う。
始まってしまった口論を尻目に、俺はそそくさと朝の準備を始める。明らかになった衝撃の事実のせいで完全に手が止まっていた。
「ね、ちょっといいかな?」
と朝の日課をこなしていると、横から誰かが声をかけてきた。
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