第9話 密約を果たす前の準備

 昼休み。教室の中は今日一の賑わいを見せていた。

 そんな中、購買で買ってきた弁当を黙々と食べ続ける。今日はそぼろ弁当、まあアタリの部類だ。


 容器を隅々までカラにして割り箸を放る。乾いた音が小さく響いた。


「なあ、丸林」

「どうした、ライジン。まさか今日も鍵がないとか――」

「それはねえよ。ちゃんと姉貴をシメといたから」


 鍵は無事取り返していつもの定位置に入れてある。ちゃんと家を出るときにも確認したものだ。

 ちなみにその問題については、姉貴が俺よりも早く家を出ることで解決を図った。結局あの女の鍵はないまま。そのため、今度の休みに盛大な家探しを行うはめに。今からなんとも気が滅入る。


「図書室って何時から開いてんのかな」

「……頭でも打ったか?」


 奴は信じられないものを見るような目を向けてくる。それほど、俺と図書館は意外な組み合わせだったらしい。


 非常に腹立たしいものの、自覚はあるので怒りは飲み込むことに。しかしいくらなんでも驚きすぎだ。


「今の失礼な言葉は聞かなかったことにしてやる」

「いや、その必要はないね。もう一回言うから。ライジン、頭でも――」

「うるせーな。俺が図書館に行ってもいいだろ。一応、ここの学生なわけだし」

「そりゃあ資格はあるけどさ。お前、そんな本好きだったっけか」


 こいつと本の話で盛り上がったことなんて一度もない。さらにいうと、俺の現代文の成績がよくないことも知られている。

 きまりの悪さに、つい目を逸らす。本当の理由は斎川に誘われたから。それを打ち明けたら、この男はどんな反応をするだろう。


 視線の先にいる彼女は、いつもの完璧な笑顔を周りに振りまいている。談笑の輪の中には、女子だけでなくちらほらと男子の姿もあった。昨日の出来事の影響はまるでなさそうだ。俺も、今日別に彼女と話していない。


 改めてごまかすことに決めて、再び新聞部の悪徳記者に顔を向ける。


「……これからなろうと思う」

「そうか。それはいい心がけだな。――で、何時から開いてるかって話だけど。今なら開いてるだろ」


 今度面喰うのは俺の番だった。全く予想外の答え。でも、こいつにふざけている様子はない。

 そりゃそうだ。俺の質問の仕方に責任があるんだから。


「悪い。放課後の話だ」

「ホウカゴ? ああ、なるなる。そういうことかぁ。」


 一瞬、丸林は不思議そうな様子を見せた。だがすぐに、何かを悟ったようで何度も頷きを繰り返す。


 もしかして、斎川とのことがバレた……? そんなことないと思うが、意外とこの男は勘の鋭いところがある。地味に頭もいい。生粋の変人だが。


「結局、姉さんに鍵取られたまんまなんだろ。それで、図書室で暇をつぶそうと。考えたねぇ、ライジン。でもみずくさいぞ!」

「……よく気付いたな。さすが新聞部のホープなだけある」

「よせやい、よせやい。そう褒めるな、照れるから」


 満更でもない顔で鼻をこする丸林。自分の予想が的中したことが誇らしいようには見える。


 ひとまず危機は去った、か。ただ、どうにもクサい演技に見えないこともないので油断はできないが。まあノせて置けば安心だろう。


 ひとしきり喜んだあと、丸林は俺の机に乗り出してきた。


「でも、それなら言ってくれりゃあいいのに。ウチはいつでもウェルカムだぜ? なんなら入部するかい?」

「甘えすぎるわけにはいかないし、入部は絶対にない」

「そういわれると、ちょっと傷つくなぁ」


 そんな言葉に対して、奴の顔はケロっとしている。この手の話は、もうすでに何度も重ねた与太話にすぎない。というのが、両者の認識だ。


「冗談はいい。それで回答は?」

「知りません!」


 自信満々に答える友人に、ぐっと苛立ちが増す。できることなら腹パンしたい。


「……ちっ。早く言えよ。どんだけ話が脱線したんだ」

「いいじゃんか。友人との会話を楽しもうぜ、ライジン」

「普段からもう腹いっぱいだ」


 俺は最大限の毒を込めて吐き捨てた。おまけにと、その憎たらしい顔を睨んでおく。

 まあだが。案の定奴には少しも効いていなかった。変わらず、涼しい笑みが張り付いたまま。


「ったく、新聞部が聞いて呆れるぜ。なんで知らないんだよ」

「はっはっは。そっち方面は専門外だから、俺。悪いな。——ならほら、直接確かめに行くか。腹ごなしにもちょうどいいだろうし」


 丸林は楽しげに席を立つ。話しながらも、昼飯の後片付けは済んでいたらしい。その机の上には何もない。


 釈然としないまま、俺は奴を見上げる。しかし、すぐにため息をついて応じた。


「それが早いか」


 ゴミを持って、俺は丸林の後に続く。教室前方のゴミ箱を目指す道中、少しだけ緊張してしまう。ルート上、斎川の近くを横切ることになる。

 もちろん、何事もなかったわけだが。視線を感じもしなかった。


 廊下に人の姿は疎ら。昼休みを半分過ぎたあたりだから、この光景は珍しくない。


「実は、俺もお前に訊きたいことがあったんだよな」


 図書室に向かう道すがら、無言だった丸林が突然口を開いた。少し真面目なその口調に、つい警戒心を覚えてしまう。

 奴に悟られないよう、少しだけ身を引き締める。……って、どうして俺はこんな気持ちを味わなくちゃならないんだか。


「なんだよ」

「昨日、ほんとは斎川さんとの間に何があった?」


 やはり、思った通りの話題を新聞部は口にした。いつもの軽い口調の中に、僅かだけ鋭いものを感じる。


「お前が出て行ってすぐ、彼女もすぐ部室出たし。追いかけてったんじゃないかってな」

「そうなのか? いや、知らなかったよ。あいつには会ってない」


 いつのまにか、丸林の顔はこちらに向いていた。じっと目を合わせてくる。俺の言葉の真偽を確かめるように。


 俺は毅然と奴に視線を返す。いくらこおつが相手でも話すわけにはいかない。すでに、約束をしてしまった。


 どちらともなく足を止める。

 ちょうど、渡り廊下のど真ん中。静けさが妙に重くのしかかる。


 結局、根負けしたのは向こうだった。その顔に、すっかりした笑みが広がっていく。


「何かあるんなら教えてくれよ。もちろんこれは新聞部じゃなく、友達としての言葉だ」

「……ま、覚えておくさ」


 いつも通りの飄々さに、俺も軽く合わせた。そこに、記者としての面影はどこにもなかった。


 その後、俺たちが言葉を交わすことはなかった。沈黙を保ったまま、すぐに目的地前へと到着した。


 昨日とは違い開け放たれたままの大扉。ちらりと中の様子が視界に入る。昨日の今日でも、まだ近寄り難さを覚えてしまう。


 入り口近くの看板に目をやって、俺は腕を組んだ。


「今日は3時45分からか。結構間が空くのな」

「掃除と準備とを考えたらそんなもんじゃね。とりあえず、ミッションコンプリート。おめっと、ライジン」


 陽気な友人をさておいて、俺は少し思考に耽る。

 帰りのショートホームルーム後、どこかで時間を潰さないと。今週は掃除当番でもないし。

 って、昨日からずっと同じことを考えてるな。少しだけ苦い気分になる。


「なにかご用ですか?」


 悩んでいると、いきなり後ろから声をかけられた。咄嗟のことに、俺はかなりドキッとしてしまった。

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