第10話 いざ密約へ
俺と丸林が後ろを振り返ったのはほぼ同時のことだった。
一瞬、視線が空ぶる。やや拍子抜けしながら目線を下げると、ようやく声の主の姿が見えた。
とても小柄な女子。1年生だろうか。それにしても、背が低い。中学生を通り越して、小学生と言われてもあまり違和感がない。
にこにこと笑顔を浮かべて、人懐っこい雰囲気。見た目と相まって、正直子供のように見える。制服姿じゃなかったら、迷子かと疑いそうだ。
「……聞こえなかったのかな。何かご用ですか?」
「いや、だいじょうぶ、ちゃんと聞こえてた。けど……」
「いきなりお声をかけてごめんなさい。私のシマの前で困っているように見えたので」
俺は耳を疑って、つい顔をしかめてしまう。見た目に似合わないずいぶん物騒なワードが聞こえた気がする。
だが、向こうは冗談を言ったつもりはないらしい。誇るような表情は、残念背伸びするマセた子供を思わせる。
「あのそれで、あなたは」
「申し遅れました! 私、図書委員――」
「座敷童先輩!」
相手の説明を丸林が遮った。横目に見ると、奴はどこか興奮した様子だ。
……というか、先輩だったんだな、この人。人は見かけによらない。実際、ちゃんと見れば靴の色は3年生のものだ。先入観はよくないな。
しかし、座敷童って。丸林語録、いや斎川の『女神様』パターンのように通商の可能性もあるか。その、ともかく見た目はそれっぽい。
「ああ、ちーちゃんとこの子じゃないですか。いつもいつも失礼ですね~、うふふ」
妖怪呼ばわりされた女先輩は少しも笑みを崩さない。だが、言葉の端々から確かな怒りが伝わってくる。これは、一番怖いパターンのやつでは。
横目で見ると、丸林も珍しく怯んでいた。顔が完全に引き攣ってる。
「すみませんっした。あの勢いで、というか。部長には内密に」
「はいはい、わかっていますとも。友達の前で張り切りたかったのね。――では改めまして。図書委員長の
屋敷先輩は俺に向き直すと、きれいな姿勢のまま深く腰を折った。洗練された所作は、実年齢上に落ち着いて見える。
慌てて俺も頭を下げた。一つも失礼があってはいけないような気がする。
「ええと、二年の國木頼仁です」
「ライジンと呼ばれてます」
「お前だけだ」
こんなくだらないやり取りを先輩はにこやかに受け止めてくれた。
なんだか無性に恥ずかしくなってくる。丸林の方はケロリとしているのがまたなんとも。
「それで、どうしてこんなところで難しい顔をしていたんです? もしかして中に入りづらかったですか?」
「いや、そういうのじゃなくて。放課後の開館時間を見に来たんです」
「あらまあわざわざ? クラスの委員に訊けばよかったのに」
目を丸くする図書委員長。気の毒そうな感じにやや顔を背けた。
言われて俺も気づいた。これは、無駄な労力と言うやつだ。つい丸林につられてしまった。
思わず奴のにやけ面をにらむ。
「はっはっは、ライジン。まだまだだな」
「てめえ、気づいてやがったな」
「二人とも、喧嘩はいけません。――ううん、開館時間も知られていないなんて。やっぱり周知不足かしら」
「そこで我が新聞部ですよ。ぜひ、一つ何か記事でも」
「頼むとしても、ちーちゃんね」
すげなく拒否されて、さすがの丸林も傷ついたようだ。あからさまに肩を落としていじけ始める。
面倒くさい奴め。内心ため息をつきながら、友人の腕を掴んだ。
「じゃあ先輩。俺たちこれで失礼します」
「ええ、さようなら。いつでもぜひおいでね」
その柔和な笑顔を、もしかすると今日の放課後見ることになるだろう。そんな予感とともに、俺は相棒を引きずって教室へと帰っていった。
※
ホームルームが終われば、多くの学生たちは自由を得る。今週に関しては、俺もその例外ではなかった。
「で、ライジン。結局、本読みに行くのか」
片づけをしていると、さっそく丸林に捕まった。
「まあな。新聞部に連日お邪魔するのも微妙だし」
「誰も気にしないぜ。むしろ、新顔があると盛り上がる」
「部長さん、露骨に部屋出ていくじゃねえか」
昨日もそうだが、一回目の時もそうだった。挨拶もそこそこに、あのクールな感じのする先輩はどこかへ行ってしまった。
まあ、ほかの部員は親しみやすかったけど。ただ、俺が島出身だと知ると、すぐに質問攻めしてきたが。
「違う違う。あれは原稿書きに行ってんのさ。あの人、新聞ホリックだから」
「……初めて聞くワードだな」
「毎日ひとつは記事書くようにしてるって話さ」
毎日、か。それがいったいどれだけ大変なことか、少しも想像できない。ただ、俺には絶対に無理だろうと思う。
でも、丸林も頻度はともかくそういうことやってんだもんな。その一点だけは、間違いなく尊敬できる。
そんな風に雑談してると、どこからかクラスメイトの男子がやってきた。武藤という丸刈りの野球部だ。
「おい、丸林。歴史教室の掃除!」
「わかってますよぉ、旦那。――ライジン、やることないんなら代わるか?」
「それはお前の仕事だろ。どうしてもってんなら代わるけど」
「丸林、それはずりぃだろ」
「冗談だってば。國木殿の人の好さを試しただけさ」
はっはっは、と豪快に笑い飛ばす丸林。それを見て、俺と武藤とでため息をつき合った。
「じゃあな、ライジン。また明日」
「おう。武藤も部活頑張ってな」
「サンキュー、國木」
二人と別れて、俺はひとまず廊下に鞄を置く。ちらほらと同じように鞄が並んでいるのは、それだけ残る人間がいるということか。
さて、どうしようか。図書室の開館時間まで、全然時間がある。今から行っても掃除中、あるいは準備中。決して、中には入れない。
もちろん、図書室前で待つのも手だ。だが、万が一斎川に遭遇したら。果たして、彼女はどう思うだろうか。
昨日、散々見せつけられたあの意地の悪い顔が頭をよぎる。
とりあえず、飲み物でも買いに行くか。少しは時間を潰せるはずだ。
そう思って振り返ると――
「こんにちは、國木君」
「……どうも斎川さん」
さらっとした長い髪。黒目がちな大きな瞳、ふっくらとした唇。つい話しかけたくなってしまう優しい笑顔。
今一番会いたくない人間がそこにはいた。しかし、向こうも同じだと思うが、それをおくびにも出さないのはさすがだ。
隣には見覚えのない女子。たぶん他クラスの人だろう。不思議そうな目をこちらに向けてくる。
「残ってるなんて珍しいね。何か用事なの?」
満面の笑みで、彼女は高いトーンで口にする。本当に白々しい。周りの目を気にしているのはわかるが。
「まあそうだな」
「そっか。じゃあまたね~」
「今のクラスの人?」
「うん、國木君。いい人だよ」
「へ~。――それで瑠実奈ちゃん、さっきの話なんだけど」
荷物を持たずに、斎川はどこかへ行ってしまう。にこにこと知り合いらしき女子と談笑して。
その姿を見ると、やはり昨日のことが現実のものでないように思えてしまうのだ。
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