第11話 約束の密会
「ありがとな、國木。手伝ってもらって」
「いいよ、暇してたから。なんにせよ、見つかってよかったな」
一階にある自販機からの帰り道のこと。困り顔をした元クラスメイトを発見した。難儀そうに腕組みをして鼻息を荒らげているもんだから、つい話しかけた。
なんでも、定期入れをどこかに落としたらしい。落とし物としても届けられておらず、途方に暮れていたところに遭遇したわけだ。
「まさか、教壇の裏にいっちゃってるなんてなぁ。そりゃ見つからないわけだ。にしても、よく気付いたな、國木」
「前にも似たようなことがあったから、それでさ」
「そうなのか。――っと、悪い。用事があるから先行くわ。お礼は後日必ず!」
「別にいいってそんなの」
元クラスメイトは慌ただしく自分の教室から出ていった。捜索中からずっとそわそわしてたから、よほど急ぎのようだ。
残された俺は、途端に居心地の悪さを覚える。なにせここはほかのクラス。室内にいる生徒はあまりいないが、アウェー感はひしひしと感じる。しかも、先ほどまで大規模な捜索行動を行っていたわけで。
逃げるようにして、俺も教室を出る。時刻はもう4時近い。廊下に、騒がしさはかけらもない。ひっそりとどこか寂しい雰囲気だ。
俺はこの空気が別に嫌いじゃない。周りから取り残されているような疎外感。孤独はむしろ自分の好むところ――それは言い過ぎだけど、大人数ははっきりと苦手だと言える。
教室前まできて、自分と同じ独りぼっちな鞄を拾い上げた。不思議な感じがして、ちょっと落ち着かない。放課後なんて、よほどがなけりゃすぐ帰るのに。
あの女子のところに行くのはよほどなのか。約束なんだ、仕方ないだろう。これは向こうを安心させるために必要なこと。
メリットがないわけじゃない。彼女の指導は確かにわかりやすかった。どうせ、いつかは勉強しないといけないわけだし。
でもそれらはただの建前で――
「結局、俺も丸林の同類かもな」
素顔の断片を知ったときから、どうしても気になってしまうのだ。あんな風に自分を繕う理由が。積極的に他者と交わる姿勢が。
※
カウンターにいたのはエミちゃんでもなければ、屋敷先輩でもなかった。完全な他人。頭をちょっと下げてその横を素通りする。
相変わらず、図書室には静謐とした雰囲気が流れている。物音ひとつなく、時間がのんびりと流れているような。
この神聖不可侵な領域にいると、つい気が引き締まる。自然と背筋が伸びて、歩き方にも気を遣う。
目的地周辺が見えたと同時に、斎川瑠実奈の姿がばっちりと目に入った。窓際西陽を浴びながら、髪を垂らして正しい姿勢で机に向かっている。
静かに佇んでいても、その華やかさは失われていない。映画のワンシーンみたいで、ある種の非現実さがそこにある。
一つ悪だくみを思いついて、俺は近くの棚の列に入った。一層足音を殺して、回り道ぎみに彼女に近づいていく。
企みは成功したといってもよかった。結構な近距離になってもまだ、斎川は視線を下に向けたまま。その白い手は淀みなく動き続けている。
「悪い、ちょっと遅くなった」
「用事がある、というのは方便じゃなかったのね」
ピクリともせずに、彼女は自然と手を止める。ゆっくりと上げたその顔には、涼しげな笑みが浮かんでいた。なんというか、そういう表情の方がしっくりくる。
それにしても、少しも驚かないとは。ずっと気づいていながらそうでないフリをしていた。あるいは、動じない性格――いや、これは違う気がする。
少しだけ残念に思いながら、俺は彼女の横に腰かけた。図書室のにおいとは違った種類の香りが鼻をつく。
「方便って、ウソってことか」
「ま、そんな感じ。てっきり見栄を張ったのかと」
「なんだよ、それ」
ドキッとしてつい顔が曇ってしまう。
それが悪かったのか。斎川はここぞとばかりに勝気な笑みを見せてくる。
「開館と同時に来るのだと、あたしと残るの楽しみに思われるのが嫌だった。それで用事と言い張り、ちょこっとだけ遅れることにした、みたいな」
「素晴らしい推理だな、それ」
「どう? 当たってるでしょ」
斎川は得意げな様子で、ぐっと身体を近づけてきた。わざとやってるんだろう、底意地の悪さが透けて見える。
顔を背けて少しのけぞる。こちらとしてはさすがに恥ずかしい。図星を突かれた、だけでなく、この至近距離が。
「そのわかりやすいところは好感が持てるわね」
「うるせーよ」
「素直にまっすぐくればよかったのに。それで、どこで時間潰してたの?」
「……あのな、その推理はハズレだ。探し物の手伝いしてた」
「ウソ!? じゃあ今の反応は」
「これだけ近くて緊張しない奴はいねえよ」
言われて、斎川は気づいたらしい。やや慌てた感じで距離を取り居住まいを正す。
さっきのは、自らの推論の正しさをただ誇りたかっただけらしい。ジェスチャーの副作用はまるで頭になかったのか。
一点攻勢。
少しだけ余裕が戻ってきた。今度はこちらの番だ。
「逆に聞くけど、あの場でどう言葉を返せばよかったんだ。親しげに会話するのも変だろ」
「どうして? クラスメイトなんだからいいじゃない。ふふっ、なんか思い出すとおかしくなってきちゃった。あの他人行儀な國木くん」
「それはお互い様だろ」
「えー、どうしてそういうこと言うかなぁ。傷つくな〜」
全くそう見えない。こちらをおちょくってるのがよくわかる。自分のペースを取り戻すのが早すぎると思う。
苦い思いが胸に広がっていく。それにしても、そんなに他人行儀だったか。なに話していいかは確かに困ったけど。
「白々しいな」
「そう見えるのは君だけだよ」
「光栄なのか、そうじゃないのか……」
ぶつぶつと言葉を返す。それを斎川は満面の笑みで受け止めるだけ。
釈然としないまま、俺は勉強の準備を始めた。筆箱と、問題集と——そこでいきなり、謎のプリントが差し込まれた。
「なんだこれ」
「テスト。まずこれをやってもらいます」
ざっと見ると、手書きで数学の問題が記されていた。しかも両面に。総問題数は5問。どれも昨日彼女に教わったものの類題っぽい。
「これわざわざ用意してくれたのか」
「別に大した手間じゃないから気にしないで。國木君が来るまで暇だったからその時間を使っただけ」
「へぇ。俺のこと待っててはくれたんだな」
「……約束、だから」
そっけなく答える斎川は少しいじらしく見える。これじゃあどっちがわかりやすいかわからないな。
「こほん。無駄口は叩かなくていいからやってみて。もしできてなかったら」
「言わなくていい。ひどいことになるのはわかる」
「よろしい。じゃあ、はじめ」
彼女のニヤリとした笑みを一瞥して、俺は早速女神様手製のプリントに取りかかった。
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