第35話 違う表情
「さて、次はどこへ行こっか」
喫茶店を出てすぐに、斎川が尋ねてきた。明るい声色で、首まで傾げて。そこに、二人でいるときの雰囲気はない。
「いきなりそう言われてもな。お前の方はどうなんだよ」
「ないから聞いてるの。元々、ここでもう少し過ごす予定だったんだから。あたしのプランはおしまいです」
ぞんざいな口調に戻って、彼女は出てきたばかりの店を見上げた。どこか困ったように見えるのは、その言葉の裏付けか。
ひとまず少し考えてみる……が、やはりなにも思いつかない。そもそも、この辺りに詳しいわけではない。何度か来たことがあるとはいえ、いまいちどこに何があるかまでは。
それに、いくつか候補が浮かんだところで、こいつが喜ぶかどうか。それらはすべて、丸林と遊びに来た経験に基づくものだ。
こういうとき、普通はどこに行くものなんだろう。例の新聞部のゴシップをちゃんと聞いておけばよかった。
まあ後の祭りだし、反省するつもりもない。こんな機会はそうない。我ながら悲しい自覚だと思うが。
「とりあえず、ちょっと移動しよう」
彼女は駅とは反対側の方向へ踏み出す。行く当てはないけど、このまま解散というつもりもないらしい。
大人しく、俺もその後ろに続く。どうせ今から帰っても暇なだけ。もっと言うと、待ち受ける身内からの追及はなるべく遠ざけておきたい。
黙々と歩いていく。隣にいるのが落ち着かなくて、ついキョロキョロしてしまう。
ホント、建物が多いな。島から出てきたばかりのころは、かなり気疲れしたのを思い出す。特に高い建物が多いから。
「とっても物珍しそうね。島育ちの國木君」
「田舎者扱いするなよ。これでも、住んでから1年は経った」
「そう。あたしは16年だけど」
「はいはい、すごいですね」
「ムカつくわね、その反応。せっかくの個人情報なのに」
斎川はわざとらしく顔をしかめた。
何がせっかくなのか。どこにもったいつける部分があったのか、俺には全く分からない。我が友人なら喜びそうだけど。
でもそうか。こいつは生まれてからずっと同じ場所で生きてきたのか。改めて考えると、ちょっと不思議な気分になる。
ふと、島の連中のことが思い浮かぶ。
あいつらは今どうしているんだろうか。やっぱりいつか、島を出る日が来るんだろうか。あるいは、ずっとそこで生きていくのか。
小さい頃は、島から出ることなんて考えたこともなかった。このままずっと同じ日々が続く。よく慣れ親しんだ顔ぶれと一緒に。
いつからだろうか。そこに閉塞感を覚えてしまったのは。それは、決して両親が不仲だったからだけじゃない。それを厭うよりもずっと前――
「ね、國木」
ぐいと袖を引っ張られ、現実へと引き戻された。ややもったいつけて、彼女の方へと視線を向ける。
斎川の顔はどこか生き生きとしていた。その表情に、ろくでもなさを覚えてしまうのはなぜだろう。
「どうした?」
「あれ、登ったことある?」
奴が指さしたのは、前方やや斜め右にある電波塔。この街のシンボルともいえる存在。
その質問に俺は首を振った。
「いや、ないけど」
「だったらいいわね」
「待て待て。次の目的地はあれだってか」
「うん。ダメ?」
上目遣いにこちらを睨んでくる女神様。2週間ほど前ならまだしも、今となっては…………耐えきれなくて顔を背けた。素の顔を知っていても、まともに受け止めるのは辛い。
「そんなことは……」
「あ、もしかして怖いとか」
「まさか。高いところは平気だ」
「じゃ、問題なし」
こいつの中では、その結論は揺らぐことはないらしい。言い切った言葉は、かなり強い。
ただ、やはりこちらとしては気乗りしない。あの電波塔が観光名所として有名なのは知っている。だからといって、そんなものに心惹かれる性分ではないのだ。
「あのな、意外と入場料高いんだぞ」
「え、そうなんだ」
姉貴に以前連れて行かれそうになったことがある。その時に値段のことを知った。リアリストなところのある姉君は、すぐに塔から離れていったとさ。
それにしても、斎川はずいぶんと気の抜けた顔をしている。とぼけている感じではない。
「地元民のお前が知らないのか……」
「だってあまり行ったことないもの。それこそ子供のときくらい」
「……わかったよ。行くか」
「そうこなくっちゃ」
嬉しそうに言って、斎川は進行方向を変える。正直、何がこいつを惹きつけるのか。心の底から不思議でならない。
しかし、今のは意図した発言ではないんだろう。わざわざ子供時代の話を持ってくる。さっきの話を聞いた後だと、かなり効果的だった。
どこか負けた気になりながら、俺は楽しげな女神様に従うのだった。
※
展望デッキは、かなり込んでいた。正直、予想外だ。さすが地元のシンボルというべきか。
斎川と並んで、人ごみに気を付けながらガラスの前に立つ。
「へぇ。意外と綺麗に見えるのね」
「そのわりには大して感動してなさそうだけど」
「うわぁー、すっごい! 見てみて、國木君。人があんなにも小さく見えるよ!」
目をちょっと見開いて、声音を高くして、おまけに大げさな身振りまでつけて。表面上だけは、その姿はとてもはしゃいで見えた。
かわいらしいはずなのに、少しもそうは思えない。さすがに無理があるだろ。
「やめろ、わざとらしい」
「そっちが言ったんでしょ」
斎川はすぐに不機嫌そうな顔に戻る。一瞬展開した女神モードといい、ホント顔の切り替えがうまいもんだ。
視線を前に戻す。結構遠くまで見える。あんなに高いと思っていたビル群も、こうしてみれば小さな山脈の模型みたいだ。
当たり前だが、島の展望台の景色とはかなり違う。建物の数もそうだが、なにより自然がほとんどない。
「でも、いい景色だと思ってるのはホント。あんな風にはいかないまでも」
そう言って、斎川はちらりと視線を横にずらした。その先にいたのは家族連れ。小さな男の子が、両親の前で楽しそうにしている。
それを見る彼女の横顔は複雑そうだ。何を感じ取っているのか、正しく想像するのはとてもできない。
「さっき子供のころ来たって言ってたけど」
「父と母と三人で、ね。そんな顔しないで。気を遣ってもらうために、あの話をしたんじゃないんだから」
どうやら、感情が顔に出ていたらしい。どこか戸惑った顔をした斎川に、俺はすぐさま頭を下げた。
そんなに気にしていなかったようで、向こうもすぐに許してくれた。それでも、これからは気を付けなければ。
「さ、次は向こうの方行きましょ」
やや明るい口調で、彼女は一人で歩いていく。その姿がどこかウキウキしてみえるのは、取り繕っているからだけなのか。いまいち判断がつかない。
まあ来たがったのはあいつだしな。らしくはないと思うけど。普段の感じからして、いい景色に喜ぶタイプじゃないだろう。
また違った顔を知れたような気がして、俺はちょっと新鮮さを感じていた。
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