第4話 とある春の日の暴発
「それで、お話というのはなんでしょう」
風に乗って、話し声がばっちりと聞こえてくる。
鈴を鳴らすような可愛らしい高い声は女子のものだ。しかも、それを俺は今朝たっぷりと聞いた。すごい久しぶりに。
ベンチの後ろからそっと顔を出す。二人組との距離は少し遠いくらい。ちょうど真横から見る形だが、あまり乗り出すとすぐに気づかれるだろう。
やはり見聞き間違いではなかった。女子の方はクラスメイトの斎川瑠実奈。やや風が強い中、髪を軽く押さえて姿勢よく立っていた。顔には軽い笑みが浮かんでいる
男子の方に見覚えはない。背が高くかなりガタイがいい。運動部所属だろうか。そのあたり、丸林ならわかるんだろうな。
「ごめんね、こんなところまでついてきてもらって。どうしても二人っきりで話したかったから」
「気にしないでください。どうせ帰るだけでほかにやるべきこともないですし」
斎川の畏まった感じから察すると、相手は三年生だろうか。丁寧な言葉遣いだけど、彼女から他人行儀な感じはしない。
しかし、なんだか雲行きが怪しくなってきたな。いや、少しは予想していた。けれど、こうして実際に事が起こるとめちゃくちゃ気まずいぞ。二人きりだと思い込んでいる先輩(仮)にも申し訳ない。
「……あのさ」
「はい、なんでしょう?」
見るだけで、二人――特に先輩の方がかなり緊張した様子なのがわかる。どぎまぎして、視線はブレブレ。
俺は顔を引っ込めて、いっそう姿勢を低くした。もはや、身体のほとんどが芝生と同化しつつある。
話し声は止み、代わりに静寂がやってくる。音といえば、風が草木を揺らす音くらいか。
決して当事者じゃないのに、俺もなぜかドキドキしてきた。心臓の鼓動がとてもうるさい。
――ところで。
俺はなぜこうしてこそこそと隠れているのでしょう?
冷静になってみると、自分の行動のおかしさに気が付く。二人組の姿――特に斎川を認識した瞬間、とっさに隠れなければと思ってしまった。
黙って出ていくのが正解だった。いくら丸林の手伝いをしているからといって、俺は記者ではない。
意味のない思考がどんどん頭の中で渦巻いていく。
「瑠実奈ちゃんって、今付き合ってる人とかいるのかな」
「いいえ、いませんけど」
「そっか」
よかった、男は聞かせるように呟いた。空気が少しだけ変わった気がする。
「初めて見た時から好きなんだ。俺と付き合ってくれませんか!」
気合のこもった声が中庭に響く。なかなかの思い切りの良さだ。
またしても沈黙が訪れる。さっきのとはどこか違う感じ。具体的にと言われると答えに困るが。
俺はただじっと息を潜めていた。他人の告白現場に遭遇するなんて、全く想像していなかった。一刻も早くこの場から逃げ出したい。
「ごめんなさい、大道先輩。気持ちはうれしいんですけど。あたし、まだそういうこと全然考えてなくて。今は自分のことで精いっぱいというか。でも、先輩は素敵な人だと思うので、あたしなんかより、もっとふさわしい人がいると思います」
「…………そ、そうか。ええと、今日はありがとう。あのその、俺部活いかなきゃだから、先出るな」
「はい、陸上これからも頑張ってくださいね。応援してます!」
バタバタと、誰かが慌ただしく中庭を出ていく音が聞こえてくる。確認するまでもなく、その主は先輩側だろう。
心なしか、空気がかなり淀んでいる気がする。あまりの気まずさに吐き気を催すほど。一瞬の気の迷いがこんなことになるとは……。
とにかく、大道先輩とやらにはあまり気落ちしないでいただきたい。話ぶりから、だいぶダメージを受けた様子だったが。
見ず知らずの先輩に心中でエールを送って、俺はそっと斎川の様子を覗いてみた。早いところこの場を立ち去ってもらいたい。
そんな俺の期待は容赦なく打ち砕かれた。踵を返し、こちら――ベンチ側へと身体の向きを変える女神様。
「……は~っ。ほんと毎度のことながらとはいえしんどいわね。しかも、この間からあんまり時間たってないし、余計に」
ギシっ――背中を預けているベンチが軋み声を立てる。
……あ、あぶない。ギリギリ間に合ったか。汗はだらだら、心臓はバクバク、目はギンギン。今の速度、首引っ込め選手権があれば亀にだって勝てたな。
俺と斎川の距離はここにきて一メートルをゆうに切った。呼吸にすら細心の注意を払う。
「どうしてこう、どういつもこいつも段階をすっ飛ばしてくんのかしら。踏むべきステップといのがあるでしょうに。まあ、必要以上に仲良くなる気はないんだけど」
独り言は続く。もはや、俺がここにいることがバレてるんじゃないか、と思えるぐらいだ。
その主は一人に決まっている。しかし、どうもうまく結びつかない。こうして、すぐ近くで聞いているにしても。
内容もそうだが、声色も全然違う。いつもの明るく可愛い感じではなく、低く気だるげなニュアンス。
ううん、もしかしてこれは。
独り言はそれまでだった。中庭から人の声が消えるのはこれで三度目。
でも、まだこの場に俺以外の人間は残りっぱなし。
俺は少しずつ身体を沈み込ませていく。こうなれば、芝生の上でカーペットごっこに勤しむしかない。目をつぶれば、万が一ばれても完璧だろうし。
ゆっくりと、慎重に。決して気取られるわけにはいかない。一つでも音を出してみろ。確かな結末は思い浮かばないが、なんとなく末路は想像する。
自分史上最大級の警戒を以て、事を進行させるのだが――
「くしゅんっ!」
ダメだった。堪える暇すらなかったよ。むしろ、今までしてこなかったのが不思議なくらいだ。自分をほめてあげたい。
俺は視線を下げたまま、ただじっと身を固くする。この期に及んでまだ、一縷の望みがこの胸には残されていた。
そこに、右から何かの影が差し込む。
「ごきげんよう、國木君。こんなところで奇遇ですね」
振りかかかる鈴の音を鳴らすような甘い声。
俺はそっと顔を上げた。
そのにこやかな笑みほど陰惨なものを、俺は今まで見たことがなかった。
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