第59話 こぼれ出す本音
小さい段差を登って、解放されっぱなしのガラス戸をくぐる。校舎の玄関先、自分の使う下駄箱近くに珍しい顔を発見した。鞄を持っていることから、向こうもちょうど登校してきたところらしい。
つい顔が曇ってしまう。対照的に、相手の方は満面の笑みだ。それがまた、俺の中の微妙な気持ちを膨らませる。
「やあ、ライジン。奇遇ですな」
「丸林……ああ、おはよう」
「なんだそのビミョーな反応。俺は傷ついたぞ」
悲しそうな感じに顔を歪ませる丸林。俺にはどうにも胡散臭く思える。
この男の登校時間は全生徒の中でも最速の部類に入る。それこそ、強豪運動部の朝練組とタメを張れるほど。
実際のところ、目撃したことはなかった。奴からの自己申告とクラスメイトから聞いた程度。ただ、取材という目的がなんとももっともらしいと思う。
ともかく、こんな時間に顔を合わせるなんておかしい。1年の時から今まで、ただの一度もありはしなかった。
絶対に何かある。適度に警戒しながら、靴を履き替えて校舎の中へ。当然の権利のように、新聞部のエースもついてきた。
階段までの短い道のりを、疎らな人並みに混じって歩いていく。これがもう少し遅いと、登校時間のピークにぶつかるのだった。
「今日も気持ちのいい朝だよな」
「曇ってたけど、お前別の世界から来たのか」
さすがに、向こうは沈黙に耐えられなかったらしい。普段からくだらないことを喋り散らしてるだけあるな。
「慣れない世間話はいいから。なんか話があるんだろ。さっさと言え」
「はっはっは……バレてた?」
「当たり前だ。普段の登校時間と大違いだろ」
「やっぱ、わかっちゃうか。こりゃヘタな芝居を打ったな」
やらかした風だが、今に始まったことじゃないだろと思う。丸林はだいたいいつも大げさすぎる。わかっててやってると思えるくらいに。
それにしても、芝居、か。昨日の今日ということもあって、その言葉がつい気になってしまう。過剰な反応だとはわかっているけど。
やや足取りを緩めると、一気に丸林に抜かされた。
「ちょっと寄り道してこうぜ」
そのまま、先行して奴が階段を登っていく。軽快な足捌きで、軽く駆け上がるようにして。
少し呆気にとられながらも、その後ろにとぼとぼとついていく。踊り場に差し掛かると、相手の姿が一瞬消える。
やがて、我が友人は自分たちの教室がある階すら通り過ぎた。
どこへ連れて行かれるのやら。怪訝に思いながらも、俺は黙って足を動かし続けた。
最上階にあるのは、1年生の教室と今は縁遠くなった特別教室。こんな時間帯に、2年生がウロウロしているのはひどく場違い。おまけに人気も多いし。
こちらとしてはかなり居心地が悪い。相方の方はお構いなしに、なおも廊下をずんずん進んでいる。
中ほどまで行ったところで、丸林は角折れた。そこは別棟へと繋がる渡り廊下。それに倣うと、ようやくあいつは足を止めていた。
渡り廊下のちょっと入ったところ。壁際によって、視線は窓の下にある中庭へと向けられている。
「昨日さ、お前まっすぐ帰ったのか?」
「いきなりだな。そんなどうでもいいことを確認するために、こんなところまできたのか」
「噂によると、ルミナ様が放課後デートしてたらしいのさ。駅近くで、ウチの高校の男と一緒にいるのを見たんだと」
丸林はこちらを見ずに言った。こいつにしては珍しく淡々とした口調。事実だけ告げる機械のようだ。
意外に思ったのはその部分のみ。本題に関して驚きはない。最初の発言を聞いたときから予感はしていた。
前にも似たようなことがあったことを思い出す。そのときは騒がしい教室の中でだったが。
喧騒を遠くに感じながら、前例を反芻する。不思議と焦りはない。
「それ、お前だったんじゃねーのか」
「まさか。今回は違う。不在証明だってできるぞ」
「アリバイだろ。小難しい言い方しやがって」
「立派な日本語訳さ」
肩を竦めて減らず口を叩く友人に、俺は顔をしかめた。だがすぐに、自然と口元が緩んでしまう。向こうもまた涼しげに笑っている。
「さすが新聞部。耳が早いな。で、お前はその相手が俺だと思ってると」
「ああ。で、そこんところどうなんだ」
「聞いてどうするんだよ。記事にするつもりか?」
「まさか! そりゃ、あの女神様の浮いた話とあれば一部は色めき立つだろうな。でも、俺はそこまで下世話じゃない。友人がかかわってんなら――」
「丸林の言う通りだ。昨日、斎川と街に行ったのは俺だ」
淀みなくさらりと言葉は口を出た。今更、言い逃れをするつもりはない。こいつの意図もわかったところだし。
だが、丸林はちょっと不意を突かれたような顔をしていた。見開いた目が激しく上下している。
「なんだよ、その反応」
「いや、やけにあっさり認めんだなって」
「まあな」
「……なんだその余裕ぶった感じは。まあいいや。予想が当たって何よりですっと。しかし、そんなに好きだったんだな、ライジン」
神妙な顔で頷きながら、友人は意味不明な言葉を発する。
今度は俺が愕然とする番だった。驚きすぎて目の辺りがすごく落ち着かない。つい手があちこちへと動いてしまう。
「なに動揺してんだよ」
「お前が突拍子もないこと言うからだろ。俺はそういうつもりじゃ――」
「じゃあどういうつもり、だったんだ? 放課後の秘密の勉強会といいさ」
にやりと、意地の悪そうな笑みが新聞部員の口元に宿る。腕を組んで目を細めるさまは、さぞかしこの状況を愉しんでいらっしゃる。
核心を突かれて、俺はただ押し黙るしかなかった。昨日のことといつもの習慣を並べられれば、たちまち答えが霞む。
街歩きは、礼のつもりだった。溜まりに溜まった恩のお返し。でも、もうひとつの方は……。
昨日までならすんなり返せた気がする。でも今となっては、あの勉強会は違う意味を持っていた。
「ま、なんでもいいや。俺にはどうでもいい話だし。とにかくお前も瑠実奈ちゃんも、普通の人間だったんだなぁ」
じっくりとこちらの顔を見た後、丸林は自ら沈黙に幕を下ろした。今度は本当に意味がわからないことを言って、しみじみと顎を擦っている。
「さ、教室行こうぜ。そろそろ賑やかになってくるころだ」
こちらの返答を待つことなく、相手は窓辺を離れて早足で本校舎の方へ。来たときより輪をかけて身軽そうに見える。
相変わらず勝手な奴だ。だが、今はその勝手さが逆にいい方向に機能した。小さくなっていく背中を追うことだけに集中できる。
友人に遅れて教室に入ったが、別に普段と変わった心地はしなかった。全てがいつも通り。昨日の真実を知るのは俺を除けばただ2人だけのようだ。
安堵しながら、前を通って自分の席を目指す。少しだけ、斎川の様子を窺ったとき目が合った気がした。
でもそれは気のせいだ。俺が席に辿りつくころには、あいつは普段と同じく近くの席の女子と談笑していた。
そんな普通の朝。時計を見て、放課後がとても待ち遠しい気持ちになった。
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