第39話 女神の施し

 米を炊くという重大な任務を終えた今、俺は完全に手持ち無沙汰。ただこうしてソファに座りローカルワイドショーに目を向けるだけ。ただ、その中身は一向に入ってこない。向こうの様子が気になって仕方がなかった。


 キッチンから聞こえてくるのは炒め物の豪快な音。辺りに漂う匂いに食欲がかなりそそられる。

 さっき少しだけ様子を窺ってみたのだが、斎川はかなり手慣れた様子だった。自分で弁当を作ってるのは本当らしい。


 時刻はもう7時近く。そろそろ姉貴の帰りが気になる頃合い。遅くなるとはいえ、それが果たしてどれくらいなのか。一応、スマホには何の連絡もなし。


「そろそろできるからお皿出してくれるー?」

「了解」

「あたしの分も忘れないでね」

「わかってるって」


 2人暮らしだが、食器類はそれなりに充実している。以前は、たびたび姉貴は友達を家に呼んでいたようだ。俺が来てからは一度もないけど。正直、罪悪感を覚えてしまう。俺はしょっちゅう丸林を連れてくるというのに。


 手ごろな平皿、そしてご飯とみそ汁ようの茶碗をそれぞれ用意してキッチンへと向かう。すでに、調理は終わって斎川はエプロンを外していた。

 姉貴用のそれは、ややサイズが合わなかったようだ。我が姉が無駄に背が高いせいだろう。斎川自体は、たぶん平均身長くらいだと思う。


「ありがと。ごはん、まだ炊けてないね」

「ちょっとくらい大丈夫じゃないか。もうできてるさ」

「それくらい待ちきれないほどお腹空いてるんだ。國木は食いしん坊、と」

「なぜそうなる。人を子供みたいに」

「あれ、事実と違った? ごめんなさい」


 奴の言葉はどこまでも軽かった。実際、その顔はどこまでも白々しく、口元は意地悪そうに歪んでいる。


 そうこうしているうちに、炊飯器が間抜けなメロディを奏で始めた。

 手分けして夕飯を盛り付けていく。これが身内なら雑にするが、さすがに客人には気を遣う。しかも、相手が斎川とあってはなおさらだ。


 いつもと変わらない2人だけの食卓。だが、目の前に座る人物が違う。それだけで、妙に落ち着かなくなる。


「いただきます」


 声はばらばらに響く。気にせず箸をもって、メインディッシュに手を付ける。野菜多めの豚バラ炒め。


「……うまいな」

「ホント? よかった、口に合わなかったらどうしようかと」

「俺には自信ありげに見えたけどな」

「うん。誰かに食べてもらうなんて初めてだったから」


 こちらの棘のある言葉に、意外にも斎川は対抗してこなかった。それどころか、ちょっと照れたようにはにかんで身じろぎしてる。

 そんな態度に、やや拍子抜けしてしまう。まったくこいつらしくない。いつもの強気な感じはどこへやら。


 気にせず、もうひと口箸を運ぶ。甘辛の絶妙な味付け具合。野菜の歯ごたえもしっかり残っている。

 炒めるだけなら俺もできるが、この味は無理だ。せいぜい、焼き肉のたれをぶっかけるくらいか。


 次に、みそ汁を飲む。いつもよりやや薄味だが美味しい。小さめサイズの豆腐がいい感じだ。


 顔を上げると、ふいに彼女と目が合った。やはり、その表情はどこか不安げだ。全く珍しいことで。


「どう?」

「ああ、ちょうどいい濃さだ。姉貴のとは違うもんだな」

「……全く自分で料理しないのね」

「こちとら沸騰させて、ぶち切れられるくらいだから」

「自慢になってないから」


 仕方ないというように言葉を繰り出して、斎川は静かに笑った。淑やかな仕草に思わず心が揺らぐ。


 そんな風にして、おかしな夕食会は続いていく。いつの間にか、心はかなりほっこりとしていた。

 ああ、こんなのも悪くない。穏やかな斎川の表情を見ていると、不思議とそう思ってしまう。




        ※




 ベッドで横になっていると、何の前触れもなく扉が開いた。

 侵入者が突入してくるのと同時に、俺もうんざりしながら起き上がる。


「アンタ、今日はずいぶんと気合入ってるじゃない」


 姉貴はかなり興奮しているようだった。帰ってきたのは数分前。着替えが済んでいるところを見ると、これから食事だったのだろう。


「なんのことだよ」

「ごはん。レトルトじゃないし、おまけにお味噌汁まで作っちゃって」

「ああそれ、斎川の奴が――」

「ルミナちゃん、来てたんだ!」


 俺のクラスメイトの名前に、すかさず反応する姉貴。早押しクイズじゃあるまいし。キラキラと目を輝かせるな。


「くっ、そうと知っていればもう少し早く切り上げたものを……」

「あいつ帰ったの一時間くらい前だぞ」


 夕飯が終わって一息ついてからだから、7時半過ぎあたり。心配だから送っていこうと思ったら断られた。ちゃんと家についたと連絡がきたので、実際に杞憂だったわけだが。


 その答えに、姉貴はかなりげんなりした顔をした。


「じゃあムリね。ってか、お客様に料理を作らせるんじゃない!」

「その通りなんだが、向こうが張り切ってて」

「……はぁ。我が弟ながら、どこにそこまで尽くす価値があるのやら」

 

 かなり失礼な目を向けられている気がする。だが、そこは姉貴の言うとおりだと思うので黙っておいた。


 勉強から始まり、さらに筆記用具のプレゼントと斎川からの恩は順当に積み重なっている。面倒見がいいのは表と裏で変わらないらしい。それでも、ここまでくるとちょっと怖いほど。


 俺があいつにしてあげられることは何か。ここまで恩を受けて、あだで返すわけには絶対にいかない。

 考えてみると、ここまで女子と親密になったのもほぼ初めてといえる。それがまた、俺の判断を鈍らせる。


「とにかく、今度またルミナちゃん呼びなさい。アタシからもちゃんとお礼言わないと」

「へいへい、わかりました」

「うむ。それじゃあ、手料理をいただくとしますかね~」


 声を弾ませて、姉貴は嬉しそうに出ていった。一度しか会っていないはずなのに、なぜそこまで気に入っているのか。ホント、よくわからない。


 ようやく平穏を取り戻して、再びベッドに沈み込む。明日こそ、何かきっかけを。そう覚悟を決めると同時に、気がかりなことがひとつ。


 果たして、俺たちはどこで勉強するのだろうか?

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