第56話 ささいなきっかけ
通路わきのベンチに座り、ぼんやりと目の前の往来を眺める。だいぶ賑わってきた感がある。
駅近くの巨大な商業ビル。時間帯もあって、ちらほらと学校帰りの姿も目に付く。
様々なテナントが入ったこの場所は、ぶらつくにはうってつけ。とか言いながら、映画を観に来たときは街中の方を歩いていたが。
昼食からはもうかなりの時間が経っている。しかし、俺と斎川のどちらも荷物が増えた、ということはない。ただいろいろな店を出入りするだけ。
相手の選ぶ店に、特別な傾向は見られなかった。手当たり次第にランダム。さっきなんかは、ペットショップに付き合わされた。
あいつ、意外と動物好きなのかもしれない。犬猫のたぐいを前にして、心なしかはしゃいでいた。またしても女子らしい一面を目撃。
「……ふわぁ」
くたびれてついあくびが漏れた。ひとり待たされて、つい気が緩んでいる。斎川はつい先ほどどこかへ行ってしまった。
座ったまま、ちょっとだけ身体をほぐす。どのくらいで奴が戻ってくるのは不透明。終わりがわからないのはなかなか辛い。
スマホでも弄ろうか、そうポケットを探ったとき。
「あれは」
視線の先で、小さな女の子がふらふらと歩いている。小学生だろうか。それにしても小柄だ。
誰かが付き添っている様子はない。ひとりで買い物に来た、はちょっと考えづらい。いや、最近の子は意外とたくましいのは知ってるけども。
目についたのは、その子の顔がとても不安そうだったから。泣いているとまではいかないが、かなり危うい雰囲気だ。
自然と腰を浮かす。ゆっくりと彼女に近づいていく。
「大丈夫?」
しゃがみ込んで声をかけた。もちろん、声色には最大限気を払って。
女の子の身体はビクッと震えた。やはり驚かせてしまったようだ。何も言わずに、じっとこちらを見てくる。その目は強い警戒と怯えの色に染まっていた。
それでも、俺は優しく微笑みかけた。怖がらなくていいんだ、それが何とか伝わるように懸命に。
女の子の視線があちこちに動く。信頼できるかどうか、を何とか識別しようとしているのかもしれない。
ただじっと待つ。緊迫した雰囲気。周りの目もやや気になってくる。
もしかすると、泣き出されるかもしれない。その場合、異変が明らかになるからいいけど。だが、結果としては最悪だ。
どれくらい経っただろうか。女の子の表情が少し変わった。ちょっとだけ落ち着いたような……そう思うと、女の子は小さく首を振った。
「おうちの人はどこかな」
「……わかんない」
予想通り迷子。まあこれだけ大きな建物だとそういうこともあるだろう。
それにしても、この子はずいぶんと気丈に振舞っている。普通大泣きしそうなもんなのに。
とりあえず、総合案内所に連れていくしかない。もしかしたら、この子の保護者もすでに向かっているかもしれないし。
ただ問題は――
「お兄ちゃんと一緒に、迷子センター行こうか」
「……やだ。ミキちゃん、まいごじゃないもん」
なるほど、なかなか強情屋さんならしい。ここまで来たのも、親を探し回ってのことか。
気丈なのも、それを必死に隠すため。ホントはどうしようもなく心細いはずなのに。よく見ると、かすかに目が赤くなっている。
となると、無理やり手を引っ張っていくのも憚られる。依然として、この子の中で俺は見知らぬ他人だ。
「お母さんと来たの?」
「うん。でもいなくなっちゃった」
いなくなったのは、この子の方だと思うが。まあ、目線が違えば真実も異なるか。
「そっか。じゃあ探さないとダメだね。お兄ちゃんも手伝わせてもらっていいかな?」
「……うーんと」
そのまま女の子は考え込み始めた。幼いながら、必死で頭を働かせているのかもしれない。その顔はどこまでも真剣だ。
断られたらどうするかな。こうも長いと結構心配になってくる。まあ最終手段として『斎川お姉ちゃん』を頼ればいいか。あいつ、外受けは十分だし。
やがて、答えが出たようだ。再び女の子が俺の顔を見つめる。
「おなまえは」
「……ん?」
「おなまえ」
「ええと、よりひとだけど」
「じゃあついてきていいよ、よりひと」
とりあえずは、無事に女の子の家来にはなれたらしい。
さっきまで座っていたベンチを一目見てから、俺は小さな主についていくことにした。ミキ様、とでも呼べはいいのだろうか。
※
「ばいばーい、よりひとー」
「もうはぐれちゃだめだぞ、ミキちゃん」
遠ざかっていく親子連れの姿をじっと見送る。時折、女の子の方がちらちらとこちらを向く。
そのたびに、俺は手を振り直した。2人が見えなくなるまでずっとそれを繰り返す。
地下にある総合案内所の近く。女の子と遭遇したところより、人通りは激しい。隙を見て、俺もまたその波に紛れていく。
あの子との小さな冒険はわりと早くに幕が閉じた。あれこれ言いながら、自然と案内所まで誘導することに成功したからだ。
そして、すぐに母親と合流。案の定、母親の方も迷子に気づいてこちらに来ていた。あと少しで館内放送が流れたとか、なとか。
無事に見つかってよかったと、エレベーターに乗りながら安堵する。終わってみれば、悪くない冒険だった。道中、呼び捨てにされ続けたのはなかなかに奇妙だったけれど。
だが、今はとにかく急がねば。斎川が戻ってきているかもしれない。スマホに連絡は来てないから、異変に気付いていない可能性高いが。母親とのやり取りで、思いのほか時間を消費していた。
半分思った通り、あのベンチ付近に待ち人の姿はない。どうやら、あいつの用事は意外と時間がかかっているようだ。
そうなると、逆にそれが何だったのかは気になるけど。まあ、余計な詮索をしない方が身のためか。
一安心して、改めてベンチに腰かけ直す。どっと疲れが湧いて、つい長く息を吐きだす。
「お疲れさま、國木」
すると、どこからともなく斎川が現れた。まるで図ったかのようなタイミング。そして、意味深な言葉。
にこやかに近づいてくると、奴は遠慮なく俺の隣に腰を下ろした。
「……まさか見てたのか」
「うん。まあね」
「どこから」
「至近距離で女の子を見つめているあたり」
誤解を招く言い方だ。ともかく、話しかけた後なのはわかった。
「だとしたら、声かけてくれればいいのに」
「邪魔かなと思って。あの子だって、次から次に人が来たらビックリするでしょ」
「斎川なら大丈夫だと思うけど。俺なんかよりずっと外受けがいい。相手も女の子だしな」
「……でもあたしは、國木ほど慣れていないもの」
「慣れてるって、俺は別に――」
「ううん、知ってるわ。入試の日もあたし、見てたから」
否定しようとしたところ、ぴしゃりと遮られた。ゆっくりと斎川の顔がこちらを向く。
力強くどこまでも真剣な目。この強気な感じこそ、俺が知るこいつの本当の姿だ。
視線を受け止めながら、相手の言っている日のことを俺はしっかり思い出していた。
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