第20話 日曜日の交流 お昼の部

 波乱はいろいろあったものの、始まってしまえばなんてことはない。リビングにあるのは、ペンが机を叩く音を筆頭とする勉強音だけ。

 別に会話がずっとなかったわけじゃない。でもそれは俺の質問のときぐらい。だからまあ、無に等しいか。


 そんなわけで、勉強会の進度は概ね順調といえる。でも、その集中度合いはというと……。


「なあに? またわかんないとこあった?」

「あ、ああ。大丈夫だ。ちょっとボーッとしてたというか……」

「そう? 遠慮しないでいいからね」

「いや、本当になんでもない」

「それならそれで困るけど。ちゃんと集中しなさいな」


 斎川は不愉快そうに顔を歪めた。念押しするように、やや身を乗り出してくる。


 原因はお前だ、とはとても言い返せなかった。半笑いでテキトーに誤魔化し、やや座る位置をずらす。


 横に並んでテーブルに向かっているのだが、距離は図書室のときより近い。自分の家だからこそ、余計に意識してしまう。


「まあでも、そろそろお昼だし、気持ちはわからないでもないけど」

「え? もうそんな時間か。全然気が付かなかった……」

「あのさ。集中してんのか、してないのか、どっちなのよ」


 ジト目で睨んでくる斎川。心底呆れているご様子だ。


 我ながら間抜けだと思うが、事実だからどうしようもない。時間のことなんて、全く意識の外にあった。

 つい注意力を乱し手を止める。すぐにはっと我に返る。だいたいこの繰り返しが、午前の部のありさまだ。


 しかし、改めて気が付くと、なんだか腹が減ってきた。12時を回っていて、昼食にするのにはちょうどよさそう。


「ところで、斎川は昼どうするんだ?」

「コンビニでなんかテキトーに買ってくるわよ。それとも、國木が腕によりをかけるってんなら、ご相伴にあずかりますけど?」


 ううん、皮肉たっぷり。安い挑発だが、乗っかることはおろか、涼しい顔でスルーもできない。

 いっそのこと、逆上してインスタントラーメンでも振舞うか。いや、それはあまりにも情けない、というか。さすがに、罰当たりすぎるだろう。


 未だこちらの言葉を待つお客様に困っていると、背後から扉が開く音が聞こえてきた。


「がんばってるぅ、お二人さん? シェフ・マナはいかが?」


 救いの神はここにいた。いつもなら果てしないほど鬱陶しいが、この状況ならありがたい。


 プレッシャーが緩んだすきに、おおげさに振り返る。最後に見た斎川の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。


「どうもです、愛さん あの、シェフって」

「そろそろお昼かなーと思ってね。簡単なものでよければ、ちゃっちゃと作るよぉ」

「ええっ! でも申し訳ないですし」

「遠慮しない、遠慮しない。二人も三人も手間変わんないから」


 なおもひかない姉貴を見て、俺は再び斎川に向かい合った。彼女はちょっと困ったようにはにかんだまま。いまいち決め切れていないようだ。


 そこへ、やや声を潜めて念押しをする。どうせ、ああなった姉貴はだれにも止められない。


「ああ言ってることだし、お言葉に甘えたらどうだ? さっき言ってたろ。が腕を振るうならなんとかって」

「…………うーん、じゃあお願いします、愛さん!」

「そうこなくっちゃ!」


 声を弾ませる姉貴。やや遅れて、キッチンの方が騒がしくなる。後方はずいぶんと楽しそうだ。


 しかし、我が目前のお方はというと――


「後で覚えておきなさいよ、國木」

「おお、怖い怖い」


 小声で脅された。

 会話が終わって姉貴の目がなくなるとすぐに、斎川は元に戻っていた。いや、いつもと違う点は、激しい怒りをあらわにしていることか。

 おどけてみせたものの、正直少しだけ恐ろしい。まあでも、たまにはやり返さないと、パワーバランスは傾いたままだ。


「ん? 二人ともどうかした?」

「なんでもないです~」


 異変を察知したらしい姉貴に、女神様はにこやかに応じる。相変わらずの切り替えの早さ。もう驚くことはない。


「あの愛さん、お手伝いは……」

「いい、いい! お客様にそんなことさせられないって。弟が勉強見てもらってるわけだし」

「さすが姉様。人間ができて――」

「アンタは手伝いなさい」


 有無を言わさない迫力にリビングへと急ぐ。料理中に怒らすのはご法度。俺だけ別メニューが提供されえない。


 ちらりと目にした斎川は、ざまあみろ、とでも言うようにほくそ笑んでいた。




        ※




「ごちそうさまでした~」

「はい、おそまつさま」


 昼のメニューはオムライスだった。それと、サラダにコンソメスープ。これ以上ないくらいに完璧だ。


 食器を流しに運んで、テーブルの上をきれいに拭く。ご機嫌だった姉貴は、皿洗いを引き受けてくれた。


「あの、愛さんっていつこっちに出てきたんですか?」


 ソファで寛いでいた斎川がキッチンの方に身体を向けた。


「高校卒業してから、かな。ほんとはこいつみたく、高校からこっちに来たかったんだけど、ね」

「そうなんですか。それはどうしてだったんです?」

「親がね、許してくれなかったの。頼りになる親戚とかいるわけじゃなかったし、一人暮らしはーって」


 その時のことを軽く思い出す。

 島を出たい姉貴に対して、父が猛反対していた。そして、母は静観。だいぶ前のことなのに、あの時の修羅場感ははっきりと思い出せる。

 つい暗い気持ちになって、手元が鈍ってしまう。

 

 でも、一番の当事者な姉貴はけろっとしていた。内心、複雑なはずなのにそれをおくびにも出さない辺り、さすがだ。


「その点、この男は小賢しいよ。あたしのとこに転がり込んでくるってウラワザなんか使っちゃってさ」

「小賢しいって……ひどい言い方だな。大好きな姉を頼っただけなのに」

「やめなさい、気色悪い」

「へぇ、國木君ってシスコン気味なんだ~」


 わざとらしいからかい方。でも、斎川の顔にははっきりと底意地の悪さがにじみ出ている。

 女神モードと悪魔モードの合わせ技。ここにきて、新しいタイプを披露するのはやめていただきたい。


 その後もテキパキと後片付けを進めていく。

 姉貴と斎川は他愛のない話で盛り上がっていた。過去の話はあれっきり……ひょっとすると、斎川の方が避けたのかもしれない。


「――っと、終わり。あんがとね」

「こちらこそ、昼飯どーも」

「じゃあ部屋戻るから。二人でごゆっくりぃ」


 ぶっきらぼうなやり取りを交わして、姉貴はリビングを出ていった。どうもあっさりしすぎている。


 なんとなく企みが読めて、少し扉の前で待ってみた。


「……ダメだぞ、イチャイチャのしすぎは」

「しねえよ」


 案の定、姉貴が茶々を入れに戻ってくる。誰だ、こいつを救いの神とか読んだ奴は……。


 邪神を扉の向こうに押し込んでから、俺は強く扉を閉めた。

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