第16話 偶然、重なれば
エントランスそばに、一息つけそうなエリアがあった。3種類の自動販売機と色鮮やかなソファが4つほど。
斎川の足取りには迷いがなかった。もしかしたら、ここにはよく来るのかもしれない。意外とこの場所、初見では気づきにくそうだ。少なくとも、自分には無理。
自販機の前に立つ斎川を横目に、俺は一人ソファに腰かけた。視線の先で、彼女の頭がゆらゆらと動いている。なんとなく微笑ましい。
失礼な胸の内を悟られたか。彼女がゆっくりとこちらを振り返った。能面のような無表情っぷりにドキリとしてしまう。
「なにか飲む?」
「……い、いや、いいよ。ありがとう」
「そ。遠慮しないでもいいのに」
そっけなく言って、斎川は再び自販機に向かい合う。気を遣ってくれたのだろうが、愛想というものは全くなかった。
ガタン、ほどなくして飲み物が落ちてくる。クリーム色の液体が入った小さなペットボトルを持って、ようやく斎川は俺の隣に座った。
「しっかし、まさかこんなところで國木に会うなんてね。一応聞くけど、よく来るの?」
「いや、今日初めて。こんなところに、図書館があるのすら初めて知った」
「でしょうねー」
とても間の抜けた返し。斎川はペットボトルを両手で包み込むようにして口をつける。緩慢とした仕草はかなりわざとらしい。
まあ気になるよな。クラスメイトとの予期せぬ遭遇。しかも、相手が自分の秘密を知っている人間となると。
だが、それはこっちも同じだ。こいつは、どこまで勉強家なんだか。休みの日にまで、図書館に通うなんて。
どこかぎこちなかった彼女の目が、ふいに俺の左肩辺りで止まった。そこにあるのは、荷物を乱雑に詰め込んだ肩掛けバック。
顔を上げると、そこにはからかうような笑み。
「あれかしら。図書館で勉強する楽しみに目覚めた」
「残念だがそうじゃない」
別に隠す理由もないわけで。俺はここまでの経緯を手短に説明した。
一通り聞き終えた斎川は、やや涼しげに笑って髪をかき上げた。どことなく、あきれているように見える。
「逃げ場がこんなところしかないなんて、退屈な人生送ってきたのね」
「むっ、そっちこそどうなんだよ。おまけに制服まで着てる」
「これは学校寄ったから。図書室、今日は午前までなの」
「はぁ」
ますます、斎川瑠実奈のことがわからなくなってくる。知り合う前は、もっとこう華やかな日常を送っているもんだとばかり。
それがまさか、土曜日ですら普段と変わらないことをしているとは。それだけ彼女が真面目ということ……でもしかし。
「鈍い反応。やっぱり休日まで優等生ごっこしてる理由が気になるの?」
「そこまでは思わないけど」
人の目を意識しているにしても、つじつまが合わない。学校の図書室は別として、この場所に学校の人間がいるわけじゃない。
となると、普通に勉強しに来てるんだろうが、これはあれか。意外と家では集中できない系。
俺の前では毅然としていることは多いのに、人は見かけによらないものだ。そもそも、教室での様子もからしてだし。
だが、こいつは積極的に勉強する動機を持ち合わせていなかったような。ずっと考えているとこんがらがってきた。
第一、なぜこんなにも斎川のことを気にしてるんだ、俺は。こっちにきてから、なるべく無関心でいるようにしてきたのに。
「単純よ。家にいるのがね、嫌なの」
淡々と言いのけて、彼女は席を立った。近くにあったゴミ箱に空のペットボトルを押し込んで、足早に去っていく。
ちらりと見えた横顔は、どこまでも冷たいものだった。他人を決して寄せ付けない孤高な表情。それこそが、彼女の本当の顔なんじゃないか。
頭をよぎったのは、とある冬の日の風景。渡り廊下から出てきてすぐの彼女の雰囲気。
少しも予期してなかった答えが、俺をもう少しだけこの場に縛り付けるのだった。
※
学校の図書室と違い、斎川の隣はすでに埋まっていた。
もっとも、あんな話をした後でのこのこと近づけるほど、俺の面の皮は厚くない。絶対、気まずくなる。
古文の課題をこなしながら改めて思う。他人と関わることの難しさを。
見た目、頭の良さ、振る舞いに性格、そして人望。天真爛漫で可憐。自然と目で追ってしまいたくなる。
遠巻きに眺めていれば斎川瑠実奈は完璧だった。それこそ、俺の人生であそこまでの存在はいない。
でもそれは生来のものではなかった。本当はやさぐれたところがあって、どこかぶっきらぼう。あと、人をからかうのが得意。
そしてその内には、見た目からは想像もできない悩みがあった。家にいるのが嫌い、と彼女は言った。それが深くこちらの胸に突き刺さっていて——
(わからん)
根をあげて、手が止まる。
そもそも訳文を作れ、なんて荷が重すぎる。英語とはわけが違う。まず知っている文法からほとんどないわけで。
さらにいまいち集中できていないし。
ちらりと遠くの方を見る。ここから、彼女の姿を見ることはできない。まだ勉強しているんだろうか。俺は邪魔をしてしまったんじゃないか。
「……はぁ」
自然とため息が出た。そのまま流れるように席を立つ。いつまで考えていてもわからないことはわからない。
幸い、ここにはいくらでも調べる手段があるんだ。
貴重品だけ持って、書架の方へと歩いていく。地図で現在地と目的地をときおり見比べながら。
はたからみれば、とても不慣れに見えるんだろうな。苦笑しながら、静かな空間を進んでいく。
「源氏物語、っと」
本棚には小難しそうな本がいっぱい並んでいる。『世界一わかりやすい源氏物語訳』みたいなそれっぽいのはないのか。
途中にあった検索機を使えばよかった。そんなどうしようもないことを思っていると——
「古文を読んでその原点を漁ろうなんて、國木はとっても素晴らしい学生ね。中島先生が聞いたら泣いて喜びそう」
真後ろから小さな声で捲し立てられた。割と至近距離、といっても耳元でとまではいかないくらい。
驚きの声を、図書館だという理性が押し留める。場所が場所なら、盛大に叫んでいたかも。それくらいにびっくりした。
振り返ると、やはり斎川がいた。にやけ笑いはもう見慣れた。反応を伺うように、首をちょっと傾げている。
「……別につけてたわけじゃないのよ」
黙っていると謎の自己弁護が始まった。軽く取り繕うとしている感が出ている。
検討外れだが面白そうなのでこのまま聞いてみるじょとに。一応、少しだけ怪訝そうな顔を作って。
「気分転換に散歩してたらたまたま見かけて。今にも死にそうなほど難しい顔してたから、つい」
「そんな顔してたか、俺」
明確な答えに代わり、彼女の顔が縦に揺れる。どこかその表情は真剣で――
「俺だって同じさ。家が嫌いで島を出た」
「そう」
斎川はどこまでも平然と受け止める。
でもどこか口元が緩んでいたのは、俺の気のせいでないと思いたい。
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