第6話 とある春の日の結託

 斎川の挑発するような勝気な笑みを、俺は微妙な思いで眺めていた。さてどう返したものか。


「いや、別に間に合ってるから結構だ」

「ふうん。島から出てきた純朴な少年は、悪い遊びを知った青年へと姿を変えたわけ」

「なんだそのまどろっこしい言いまわし。人のことを不良みたいに言って」

「で、本当のところはどうなわけ? ……もしかして、警戒してる? この程度のことを、黙秘との交換条件にするつもりじゃないかって」

「その話はもうとっくに結論が出たと思ってた。少なくとも俺の方はそうだ」


 俺の答えに、彼女はちょっと困ったような顔をした。勢いはどこへやら、やや目線が下を向く。


 向こうは、例の中庭の一件が露呈するのをよほど嫌っているらしい。この一年ちょっとで形成した仮面が剥がれることになるんだ。気持ちは理解できなくもない。

 まあでも、俺にはその気は全くないが。彼女の本性らしきものの話をばら撒いたところで、誰のプラスになるわけじゃない。


「……別にあなたのことを全く信用してないわけじゃないわ。話すんだったら、さっき新聞部でとっくにそうしただろうし。丸林君という、格好の相手もいた」

「信じてもらえて何よりだ。でも、斎川さんの目を気にした可能性もあるぜ?」

「そうなの?」


 本当に意外そうな声を出し、斎川は首を傾げた。少しだけ、いつもの女神様状態の姿が垣間見える。


 それが本心かどうかはさておき、調子を外した反応に俺は拍子抜けしてしまう。いまいちまだ、斎川との会話のペースを掴みかねていた。


「いやまあ違うけどさ」

「だよね。わざわざ嘘ついてまで部室出てきたわけだし」

「嘘ってわけじゃ。勝手に決めつけないでくれよ」

「では、本当に時間を潰す必要はなくなった、と。鍵を忘れて家に入れず困っている子羊さんはいないわけね」


 からかうような口調と、見透かしたようにおちょくった笑みは、俺を怯ませるのに十分だった。相手がとても楽しそうなのが、なんともまあ悔しい。


「……それはその」

「ふふっ。ほんとごまかすのヘタっぴだ、國木君。ほら、遠慮しないで。これはただの親切心からだから。どこかの誰かさんの真似をした、ね」


 結果的には、それがトドメの一言になった。


 素直に俺は白旗を上げることに。行く当てが思い浮かばず困っているのは紛れもない事実だ。

 そして、実際のところ斎川の提案するプランには少しだけ興味があった。もう少し、彼女の本当の姿を見てみたい、という打算もある。


「じゃあどこに連れてってくれるんだ? なるべく金がかからない方がいいんだけど」

「そうこなくっちゃ。そして、お金の心配は無用よ」


 どんと胸を張ると、斎川はとびきり誇らしげな顔をする。

 そして、くるりと身体の向きを真後ろへと変えた。鋭いターンに、髪とスカートの端がふわりと揺れる。


「はい、ついてきて~」

「お、おい――」


 俺の戸惑いなど少しも意に介さず、彼女は部活棟の階段を上っていく。

 てっきり、外に出るもんだとばかり思ってた。やや面喰いながら、慌てて彼女の凛とした後姿を追う。


 騒がしい校舎の中を、斎川は手慣れた様子で進んでいく。時折、すれ違う生徒とたまに挨拶を交わしたりなんかして。男女問わず、ずいぶんと人当たりのいい感じがするもんだ。

 そして、相手の誰もが俺の姿を見て、怪訝そうな顔をするのだった。斎川瑠実奈とどんな関係だ、もしかするとそんなことを考えていたのかも。


 結局、俺と斎川の間には会話はなかった。さすがにまだこっちから世間話なんかを吹っ掛ける勇気はないわけで。


 やがて、彼女は二階廊下の端で足を止めた。突き当りには、大きな両開きの扉。その上には、部屋の名前を表すプレートがかかっている。


「ここは――」

「國木君は、図書室に来たりする?」

「オリエンテーション以来だ」

「そんなものがあったのを覚えていることは優秀ね」


 含みたっぷりの言い方に、俺はたちまち顔をゆがめる。向こうはきっとどこかあきれた表情をしているんだろう。そう思うと、ちょっと小恥ずかしい。


 しかし、予想は外れた。こちらを振り返った斎川はどこか不思議そうだった。


「でも意外。國木君、もっとちゃんとしてる人かと思ってた。結構、家の鍵とか忘れちゃうんだ」

「どうしてそんな風に評価されてるかは気になるけど……これでまだ二度目だ」

「二度目――そうか、あの日以来なんだ。覚えてる? 渡り廊下で話したの」

「まあそれは」

「そっか」


 斎川は少しだけ頬を緩めた。そこにどんな思いが込められていたのかは、よくわからない。


 しかし、意外だ。あんなただの気まぐれ。数分にも満たない短く中身のない雑談が、女神様のご記憶に残っているとは。


「一つ弁解しておくと、あの日も今日も悪いのは姉貴だ。あいつが、勝手に俺の鍵を持って行った」

「なるほど、そういう感じか。ちょっと納得いったかも。困ったお姉さんだね」

「まったくだ」


 心の底から吐き捨てた感想に、斎川は楽しそうに笑った。ここだけ取れば、いつもの姿と相違はない。


「でもそっか。國木君、お姉さんと二人暮らしなんだっけ」

「よくご存じで」

「別にあたしが進んで調べたわけじゃないのよ。ただ話が耳に入ってきただけで」

「わかってるって、もちろん。どこかの人気者さんとは違うからな、俺は」

「さっきの意趣返しかしら、それは」


 斎川は唇を尖らせて、ちょっと不満げな表情を見せる。

 そのすごみに、俺はすぐに目を反らした。なんとなく、本当の斎川が見えてきたような……いや、思い上がりか。


「とにかく、ここならタダで時間を潰せるわよ。……時間制限はあるけれど」

「確かにな。正直、目から鱗な気分だ。全く考えもしなかったから」

「それはまあなんともうれしいわね。――さ、ようこそ秘密の隠れ家へ」


 冗談めかしきったように言って、斎川はゆっくりと図書室へと続く扉を開いた。

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