第13話 ─精霊─ トイレ
レコーディングが明日に迫ったその日の午後。
歌とダンスのスパルタ指導を終え、スタジオを出ると急にトイレに行きたくなった。
いつもなら人目のつかない所でテレポートして家へ帰るけど、今日は偶然にも目の前にトイレがある。
事務所のトイレってそういえば入ったことないし、ちょっと覗いてみよう。
中へ入ると、一面真っ白でそれ以外はわりと普通の小綺麗なトイレだった。
隅とか端が落ち着く性分で一番奥の個室へ向かう。
すると、そこだけ何故か薄暗くて中にモップが立て掛けてある。
別の個室に変えようと思ったけど、まぁ早く済ませばいいや、と扉を閉めた。
そうして便器に座って用を済ませ、さっさと出ようとトイレを流そうとしたら、どこからか「アァァ」と甲高い声がしてきた。
誰かの発声練習? なんて一瞬思ったけど、その声は便器の中から響いている。
「アァ、マダ流サナイデェェ」
はっきりそう言葉に聞こえ、扉に背中を張り付けると、びよ~んと便器の中からゴム風船のような透明がかったピンクの物体が伸びてきた。
先端に小さい角が二つあり、その下に長いまつ毛が生えたつぶらな目とおちょぼ口がある。
「……あ、あくま!?」
思わず口にしてしまうと、風船みたいな物体は赤くなって一回り大きく膨れた。
「失礼ネェ! 私ガ悪魔ナワケナイデショ! レッキトシタ精霊ベールデスゥ!」
せ、せいれい⋯⋯?
風船みたいなその体を上から下まで眺める。
本当にそうなら、悪魔じゃないし別に指輪を使わなくてもいっか……でも、なんでこんな所にいるんだろう?
疑問がふつふつ湧くと、精霊ベールはひとりで喋り始める。
「イツダッタカ目覚メタラサァ、モォォビックリ! コンナ所デ便器ニ固定サレテタノ! 意味不明ヨ。人間ノ振リシテ出歩ケナイシサァ」
人間の振り、という聞き捨てならないワードに、訊ねようとしたがベールは自分の喋りに夢中で話をまるで聞いてない。
「元々少女ミタイナ容姿デ町デ生活シテタンダケドサァ、ソノ頃ハ恐ロシイグライモッテモッテデ、ハァ楽シカッタワァ……」
ペースが急に落ちるとベールは縮こまっていき上目遣いで見つめてくる。
何、この意味ありげなうるうるした瞳は?
「デモネ⋯⋯アルデートノ最中。突然プ~ンッテイイ匂イガシテキテ、我慢出来ズニ彼ヲ置イテ走ッテシマッタノォ」
「う……うん?」
よく理解できなかったが空気におされ相づちを打った。
「彼ハ当然、豹変シタ私ヲ心配シテ駆ケツケテクレタワ……ケドネ。顔ヲ便器ノ中ニ突ッ込ム私ヲ見タ途端、絶叫シテ逃ゲテ行ッテシマッタノ⋯⋯」
ベールはしょんぼりして体もしぼんでいく。
便器の中に顔を突っ込むとか、流サナイデェとか叫んだり、そもそもトイレにいる……という様々な情報からベールが何を食べて生活し、悲しい過去? を背負ってるのか少し察した。
「う、うぅん、でも……それがベールなんだしさ、もうそんなに落ち込まないで」
ベールはゆっくり顔を上げる。
「私ニ共感シテクレルノ……何百年モ一人デ居ルケド
笑顔を見せて体が膨らむと、ベールは便器の中へ吸い込まれるように消えていった。
どっと疲れた気もするけど、なんか元気になってくれたみたいでよかったぁ。
わたしも早く帰ろうと、ここでテレポートしようとしたら、出入り口の方から騒がしい声と足音が聞こえてきた。
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