第9話 ─自立─ 施設

 普段通りママがパートに行ってる間、わたしは浴槽をスポンジでゴシゴシ磨いて掃除をしていた。


 親子とはいえ養ってもらってる身だから、少しでも家の事はやろうと掃除だけは昔から行っていて、最近はそんな合間に指輪とペンダントの力で女子高生になってみたり、気分を変えてOL風の大人とかにもなってひそかに楽しんでいる。


 シャワーで洗い流して浴室から出ると、玄関の方からクシャクシャと紙を丸めるような音がした。

 首を伸ばして覗くと靴箱の近くにママがいる。


 あれ? 今日はずいぶん早い。

 うっかりこの姿で出てったら、大騒ぎになるとこだったわ。


 小学校高学年ぐらいの子供の姿から元の姿に戻した。

「おかえり、それなにー?」


 握ってるチラシを丸めたような物を指差すと、ママは目を合わせず明らかに気が進まない様子。


「ただいま⋯⋯ウチはいいって断ったんだけどね⋯⋯」


 そう言いながらママはゆっくりチラシを広げる。

 シワだらけになったチラシに顔を近付けた。


 じ、り、つ、しえん⋯⋯?


 馴染みのない自立支援というデカデカと記された文字を見て思考が停止してると、ママは再びチラシを丸めた。


「嫌よね。もー隣のオバサンがしつこくて。ポイってしとくね⋯⋯」


 口早にそう言うとお米が入った重い買い物袋を持って夕日のあたる廊下を歩いていった。


 ⋯⋯ママ、本当はその施設わたしに行ってほしいんだよね。

 何も言わず女手一つでここまで育ててくれたのに、ずっとこのまんまで⋯⋯


 迷いに迷った末消え入りそうな声で呟いた。


「い、行って⋯⋯みる……」


 ママは買い物袋をドスンと落とした。


「⋯⋯ほ、本当に?」


「う、うん……」


「じゃ、あとで電話しとくね!」


 ママは嬉しそうに笑う。

 その笑顔になんか安心して買い物袋を持ちに行った。

 どんなとこか全然想像つかないけど、いい仕事見つかったらそれはそれでいいし、見た目も指輪とペンダントで好きに変えればいいもんね──


 

 一週間後、ママが予約した自立支援の施設へ行く日がやってきた。

 

 歯磨きして服も着替え、あとは外に出て適当な場所で指輪で変身するだけだ。

 靴を履きに階段を下りるとよそ行きの格好をしたママがいた。


「え、どっか行くの?」


「なに言ってんのー。だってありさ一人で行けないでしょ」


 たしかに極度の方向音痴でオマケに人見知り、ママがいた方が安心なのは間違いない⋯⋯だけど、これじゃ姿を変えられない!


 土壇場で行くのを辞めるなんて言えず、連れられるように電車に乗り目的地へ向かった。

 ママの靴に目を落としながらただひたすら道を歩いてると立ち止まる。


「この中みたいね」


 そう言われ、見上げると年季の入った狭そうな雑居ビルが前にあった。

 扉を開けて薄暗い階段をママと上っていく。

 蜘蛛の巣がかかった蛍光灯にコウモリがたかってるの目にしながら、フロアに出ると職員らしき黒縁メガネを掛けた女性が立っていた。


「お待ちしてましたー、日野さんですよね」


 目隠し程度の薄い仕切りのある個室へ案内された。

 室内はわたしの部屋二つ分ぐらいで全体的にこじんまりとしてる。

 三者面談のような形で席につくと、書類に名前や住所を書かされ、過去の経歴や家でどんな風に過ごしてるのかを聞かれた。


「えー、中学生の時からこの状態だということで……昼夜逆転してるとか、イジメは……」


 ママにも話したこともない答えにくい質問に声が詰まる。

 首を横に振ると女性は黙って頷き、ママが代わりに話し始めた。


「昼夜逆転は無いです。家にいるときはいつもテレビを観ていて──」

 

 こうして初日を終え、会員証のようなカードを貰って週5で通うことに。


 自立を目指す為まずはパソコンの勉強を薦められ、基礎から学んだり、数回ママと一緒に通ううちに道を必死に記憶して、どうにか次の週には一人でも通えるようになった。


 だけど、どうしても慣れない事があった……それは挨拶と会話。

 施設の人に会う度にされて、こっちも返そうとするけど、何故か喉が自動的にしめられる感覚で声が詰まる。

 他人と長く関わって来なかったからか、自信がなくて精神的なもので出せないのか自分でもよく分からない。


 そんな悩みを抱えたまま、パソコンのケーブルをコンセントに繋げてると後ろから喋り声が聞こえてきた。

 職員が集まるスペースで、初日案内してくれた女性ともう一人の小太りで手にブレスレットをつけた男性職員が会話している。


「あのデブッ。挨拶もろくに出来ないんだよ」


「15年も引きこもってますからねぇ……見た目もだけど中身が不快ですよねぇ」


「ハハハ、今度学生時代の思い出とか聞いてみよーかなー。ハハハ」


 二人はわたしの顔を見ながらほくそ笑んでいた。 

 その蔑むような目つきに呼吸が苦しくなってきて思わず部屋から飛び出した。

 脇目も振らず人ごみをかき分け駅のホームに辿り着く。


 一歩でも外に出ればすぐにみんなの笑い者……

 やっぱりこんな姿で働くなんて無理⋯⋯バカみたい…… 


 ボーッとしてくると、流れてきた発車メロディが水中で聴いてるように遠くなり、下に見える線路へ吸い込まれる感覚が襲った。

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