第40話 ─背信─ 裏の顔

 人間界に戻ってきてから初めて所属事務所ヴィネーラプロダクションへ訪れた。


 ひかると百合亜と入り口前で待ち合わせてをして、いざ入ろうとしたら自動扉が作動しなかった。


「なんで? もうお昼前なのに?」


 ガラス越しに中を覗くと電気が消えていて受付の人や警備員の姿もない。

 辺りにはモップやバケツが転がり、何年も使われてない廃墟のようになってる。


「おかしいね、移転したのか、それとも……」


 百合亜が下に目を落としながらそう口にすると、後ろから声を掛けられた。


「三人とも戻ってきてくれたのか!」


 嬉しそうに駆け寄ってきたのはマネージャーの香背だ。

 いつも小綺麗な身なりだったが、ネクタイもせず無精髭も生えっぱなしで一瞬誰か分からなかった。


「あの、わたしたち……ちょっと事情があって……その、事務所入ろうとしたんですけど」


 半年間も失踪していたってことで、大して言い訳もできず言葉に詰まる。

 香背は眉を八の字にして、頷きながらわたしたち三人の背中を擦った。


「君たちが無事に戻ってきてくれただけでいいんだ、僕は。今のウチには君たちが必要だ」


 香背は全然怒らなかった。

 それどころか、わたしたちの安否をずっと気に掛けてくれていたようだ。



 香背の運転する車に乗り、移転したという新しい事務所へ向かう。


 到着して見上げると、前のビルの三分の一ぐらい狭い雑居ビルだった。

 入り口の横側には色んな企業の名前がテナントに入ってあり、その中に事務所の名が書いてある。


「ここだ、ウチの事務所は」


 階段を上がってすぐの一室の扉を香背が開けた。

 中はパソコン一台に机とイスが無造作に置かれてるだけのまるで探偵事務所みたいな雰囲気。


 香背が小窓の前にある机に腰を掛ける。


「君たちももう知ってると思うが、天津さんが突然の原因不明の病に倒れてから、僕がこの事務所を代理で請け負っているんだ」


「え、香背さんがですか?」


 驚いてると、隣にいる百合亜が手を上げた。


「でも他の社員の人たちは」


「みんな出ていったよ……天津さんが倒れて、ミスレクが落ち目になったらな……何だかみんなでワイワイ賑やかだったのが、半年前のことなのにウソみたいだな」


 香背はそう言いながら後ろを向いた。


 そんな大変な状況に……

 メンバーのみんなはどうしてんだろう?


 すると、扉が開いた。


「……え、先輩たち戻ってきたんですか」


 わたしたちの顔を見るや否やバツの悪そうな顔をしたのは後輩のさゆり。

 さゆりの後ろには知らない顔ぶれの女の子たちが5、6人続いている。


「シオリたちはどーしたんだよ」


 ひかるがそう訊くとさゆりは髪をかき分けながら答える。


「観てないんですか、テレビ。やよいさんはフツーに卒業。アキは体調不良、ウヅキとサツキは……日野さんと同じ理由で辞めましたよ」


 さゆりは髪の毛の先を指でくるくる丸めながら笑う。


「わ、わたしと同じ理由?」


 さゆりはバッグから雑誌を取り出し、わたしたちの前の机に開いた状態で放り投げる。


 紙面には『熱愛!! 人気アイドル日野アリス、期待の新人アイドル夢斗の高級マンションにお泊まり!!』とでっかく活字が目立っていた。

 写真には、カーテンを開け、腕を上げて伸びをするわたしの姿が載ってる。


 あの時、向かいのマンションの窓が光ったの、あれカメラのフラッシュだったんだ……


 さゆりが雑誌を取りバックに戻す。


「シオリさんは度重なるスキャンダルで責任を取って脱退……だから、今は私がリーダーを引き継いで新メンバーを率いてるんで!」


 さゆりは肩をぶつけてきて、中央にあるイスに座った。


「何だ、あの態度……」


 いつもだったらぶちギレそうなひかるも、ふんぞり返るさゆりに呆れて怒りも湧いてこなかったよう。

 そして、それはわたしと百合亜も同感だった──



 翌日。色々な事情でシングルの売上が伸びなくなった為、握手券を特典に付けるようになったらしく、ショッピングモールの中で行われる握手会に初めて参加した。


 どんな風に対応しおうかなー、なんてイメージを膨らませてたけど、ここにもスキャンダルの影響が響いてるのかわたしのレーンだけ誰も並んでいない。


 覚悟はしてたけど、ファンのみんな誰も信じてくれなかったんだ。


 流石にちょっと落ち込んで、休憩中トイレの個室に籠った。


 望まれてないなら、辞めた方がみんな喜ぶのかな……


 ネガティブ思考に頭がもたげてくると「ふふふ」と笑い声が耳に入った。


「ふふ、あの女。ノコノコ握手会に来ちゃって。オメーに握手したい奴なんていねーっつーのー! ふふふ」


 隣の隣の個室からボソボソと小声だけどそう聞こえた。


 のこのこ握手会に来たって……

 わたしのこと?


 声の主が気になって出てくるまで待つことにした。

 扉と壁の間から覗いてると扉が勢いよく閉まる音がして、黒い長髪の女が通り過ぎる。


 さ、さゆり!? 


 普段の女の子らしい口調とは違い、男みたいな低い声で話してたけどその横顔はさゆりだ。

 少し扉を開けるとさゆりは鏡に映る揃った前髪を細かく直している。


 するとさゆりの電話が鳴った。


「うん、うん、そう。そこのマンションで会ってるっぽい、うん、はーい」


 電話を切るとスマホの画面を見つめてニヤニヤしている。


「ふふ、あいつ、最近目立ってきたからいい気味」


 さゆりはそう独り言を言いながらまた前髪を直し始めた。


 ……ヤバ、さゆりの裏の顔見ちゃったかも。

 

 電話の内容からして、さゆりは記者にメンバーの情報を売っている。

 わたしのあのスキャンダルもマンションの名前を知ってるのはさゆりしかおらず、ほぼ内通者で間違いなさそう。


 もしかしたら、自分がのしあがる為にこれまで他のメンバーのもさゆりが売ってきたのかも……


 

 ひかると百合亜に一部始終を伝えると、百合亜に話し合った方がいいと言われて、香背が帰った後の事務所にさゆりを呼び出した。


「何ですかー? こんな夜に私を呼んでー」


 さゆりは握り拳を頭にあてて笑ってる。

 

「わたしや他のメンバーの情報を流したのって、さゆりなの?」


 ストレートに問いただすと、さゆりの目付きが鋭くなる。


「だから? スキャンダルになるような事してんのが悪いんでしょ?」


 あのトイレで耳にした低音ボイスで話した。


「わ、わたしは、あの記事に書かれたような事してないから!」


 反論するとさゆりは呆れたように天を仰ぐ。


「どーせ嘘でしょ? みーんな隠れてコソコソ付き合ってんだから。まーあ、私は特別純情で可憐なー!」


 隣で静かに聞いていた百合亜が突然、ペットボトルに入った水をさゆりの顔に浴びせた。


「キャーーッ!! 何すんのよ!!」


 さゆりは悲鳴を上げて、ポーチから取り出したレースのハンカチを濡れた顔にあてる。

 百合亜の大胆な行動にわたしとひかるはその場で固まった。


「正体をあらわして!」


 百合亜がさゆりに向かって叫んだ。

 

 何が何だか分からないままさゆりの方に目を移すと、顔を覆う指と指の間からベージュ色の液体が滴り落ちていた。


 は、肌が溶けてる!?


 手を下げると、さゆりは浅黒い肌に濃い眉毛、そして逞しく四角い顎、体型も筋骨隆々でラグビー選手に紛れてもおかしくない風貌に変わっていた。


 さゆりは震えた手で取り出したコンパクトで自分の姿を確認すると「キャーー!」と野太い声を上げて倒れた。


 側に近寄ろうとしたら、さゆりの背中辺りにモクモクと黒煙が立ち込める。


 煙が消えると、鼻下にカールした白いヒゲをたくわえ、黄土色のタキシードを着こなす老紳士が現れた。

 背筋はぴんと真っ直ぐに伸び、右手には赤い眼をした鷹がとまり、足下にも同じ眼をしたワニがジッとこちらを見つめてる。


「オノレ……」


 老紳士のような悪魔はそう呟くと、手元の鷹を放ち、懐から取り出した短い鞭でクロコダイルを打った。


 鷹が一直線に飛び掛かろうとすると、ひかるが素早く反応して炎の球を撃ち付け、ワニも不意打ちするように尻尾を振るが、百合亜が手のひらから水を放出させ動きを封じる。


 連携プレーのおかげでわたしは鷹とワニからの襲撃をかいくぐり、老紳士の悪魔に向かって指を差した。

 呪文を唱えようとすると老紳士の悪魔は手のひらを向ける。


「本当ニ私ヲ倒シテイイノカ……」


「え?」


「コノ男ハカツテ自分ノ命ヲ投ゲ出ソウトスルホド苦悩シテイタ……ソコニ私ガコノ男ノ元ヘ降リ立チ。コンパクトノ中ヘ忍ビ込ミ一時的ニ女ノ身体ヲ授ケテヤッタノダ。男ハソノオカゲデ一縷ノ希望ヲ手ニ入レココマデ生キテコレタノダゾ……」


 老紳士の悪魔の言葉に差している指が揺れる。


 たしかに、ここでこの悪魔を封印したらさゆりは女性ではなくなってしまう。そうなると当然グループも……

 だけど、今は悪魔の力で幸せでもいずれは魂を魔界にもっていくんだ。


 前にデヴィーに言われた事を思い出して呪文を唱えた。


「アダマスルークス!」


 老紳士の悪魔は腕で身を守ろうとしたが、指先から放たれた光線に貫かれた。

 体が黒煙に化すと、ひかると百合亜が相手をしていた鷹とワニも消滅する。


 すると、頭上から赤い輝きを放つ菱形の破片が降りてきた。

 指輪を近付けると破片は宝石に溶け込んでいき、ほぼ原型を取り戻したように見える。


「これで破片も装飾品も残すはあと1つね」


 百合亜が指輪を眺めながら微笑む。


「うん。あともうちょっとで完成……」


 でも、もし完成したら指輪返さないといけなさそうだな……


 指輪が無くなった後の自分を想像して少し不安になると、男の姿に戻ったさゆりの体が動き出す。

 さゆりは寝ぼけたような顔で起きると両手を見つめ、駆け足で部屋から出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る