第19話 ─雨水─ 過去

「ムゥ……確カニ悪魔ノ気配ハ感ジルガ……エルトハ無関係ナヨウダ」


 帰宅後、ひかるから聞いたスリップ事故の事をもしやと思い、デヴィーに訊ねてみたけどどうやら今回はエルの仕業ではないらしい。


「そっかぁ、じゃ別の悪魔ってこと……」


 スマホに目をやるとマネージャーの香背からメールが届いていた。

 

『イベント終わりに安斉と如月が事故に遭ったらしい、詳しいことは明日病院で話す』


 急いでいるのかメールの内容はその文と二人が搬送された病院の名前だけが記されていた。


 あ、あの二人が事故に……


 立て続けに事務所内の事故が起き、やはり悪魔が関係しているんだ、と確信に変わる。


 何故男性スタッフやあの二人を狙ったのか、その疑問は残ったまま翌朝、メールに記された病院へテレポートした。


 睦とシオリを探すと「安斉・如月」と書かれた病室を見つけた。

 中を覗くと、香背とやよいがイスに座っていて、ベッドには足を吊り上げられた睦と、反対側のベッドで首にコルセットを巻いたシオリの姿がある。


 香背がわたしが来たことに気付き、近くのイスに座るように手招きした。


「いやー、聞いたときはホントビックリしたけど、命には別状ないみたいでよかったなぁ。打撲と捻挫程度で済んで」


 香背は安心したようでベッドの二人に笑顔を見せる。

 シオリが目だけギロッと香背に向けた。


「捻挫程度って……結構これでも痛みスゴいんですけど!」


 大声を出したから首に響いたみたいでシオリは苦痛な表情を浮かべる。

 香背は「まぁまぁ」とのんきに体をさする。


「……だけど何か変なのよねー」


 睦が天井を眺めながら話し出した。


「スリップってことらしいけど、電柱にタクシーが衝突する寸前、変な青い虫が目の前飛んでて、それから運転が狂った気がすんのよねぇ」


 青い虫……? その睦の言葉に引っ掛かっると、廊下の方にシュッと小さいものが病室から出ていった。

 あとを追い、病室から出ると近くの窓が開いており、小さい虫が円を描くように上へ飛んでいる。


 あの虫が睦の言ってた変な虫だったりして。


 階段で屋上まで上り、鉄の扉を開くと、柵の近くで手を思いっきり振るひかるとその傍らに百合亜が立っていた。


「あれ、二人ともここで何してたの?」


 近寄りながらそう声を掛けると、ひかるが空を指差して口パクで何か伝えようとする。

 たぶん百合亜に言えないってことから、アンクレットの力でジャンプして屋上にやってきた……ということだと思う。


「アハハ、ぐ、偶然ここに来たらさ、たまたま百合亜がいたからアタシも驚いちゃってー」


 ひかるは早口で、百合亜にアンクレットのことがバレてないか心配な様子。


 すると、ブーンとどこからかハエが飛んできて百合亜の手にとまった。


 はっ、そのハエ……


 一目見て普通じゃないと分かった。

 うずらの卵ほどに大きいそのハエの体はぬり絵で塗ったように青く、黒い触覚は先端がクルッと巻いて深緑の眼も渦巻きのよう。


 ちょっと気味の悪いハエの触覚を百合亜が撫でる。


「アリスちゃん、この虫が事故と関係してると思って来たんでしょ⋯⋯」


 思わずひかると顔を見合わせる。 


 まさか、一連の事故と関係してるの⋯⋯!?


 百合亜はメガネの鼻あての部分を押し上げると青いハエを上空へ飛ばした。


「──そう。私が全部この悪魔ベルゼブに命令して企てたの。睦やシオリたちはもちろん、あのスタッフもね」


 青いハエはベルゼブという名前らしく、体がみるみる巨大化し晴天だった青空を覆い隠していく。

 隣にいるひかるの姿も、大きなこの病院の敷地全体も巨大なベルゼブの影で暗くなると、蛇腹のような腹から水滴が大量に落ちてきて辺り一面大雨になる。


 あのイベントの時と同じ……

 雨を降らしていたのはベルゼブだったんだ。


 雨粒が一点に集まると竜巻状の水流に変化し、瞬く間にわたしとひかるを取り囲んだ。

 水流の圧力で身動きがとれない。

 降りしきる雨の中、目の前で立ってる百合亜は柵の手すりに手を置いて、わたしたちを横目で眺めている。


「……ゆ、百合亜ちゃん、な、なんでこんなこと」


「そーだよ百合亜……」


 水が口元まで上がってきていて、わたしもひかるももう少しで呼吸ができなくなりそうだ。

 百合亜は後ろを向いて話し出した。


「いつも私は、過去を知られたり、知られそうになったときはこうしてきたの……」


 百合亜の背中が震えてるように見える。


 いつもしてきたって、一体どんな過去が?


 再び百合亜がこちらに振り替えると両方の手のひらを向けた。

 

「二人とも今までありがとう……」


 掛けているメガネのフレーム横にある楕円形の宝石が青色に光ると、百合亜の両手の間に水流が集まり、わたしたちの方へ放出しようとする。


 そのメガネ、まさか装飾品!?


 すると上空から「グオォーーーーー!!」とクジラのような大きな咆哮が轟いた。

 その鳴き声と同時に、わたしとひかるの体を飲み込んでいた水流が消え去り雨も止んでくる。

 見上げると、上空にいるベルゼブの腹に大きな穴が空いていて日差しが漏れていた。


 今のデヴィーじゃなさそうだし、一体誰が助けてくれたの……


 ベルゼブはたちまちに小さくなると屋上に落ちてくる。

 百合亜はキャッチしに走り、両手に無事ベルゼブが乗っかると安心した顔を見せた。

 そして出口に向かおうとする。


「……待って!」


 地べたに着いたまま呼び止めたが、百合亜は出ていってしまった。

 ひかるに腕を引っ張られ立ち上がる。

 百合亜が出ていった扉をひかるが見つめていた。


 きっと、ひかるならアンクレットで水流をかわすことも、出ていくのを止めることもできたはず……

 だけど、それをしなかったのはやっぱり百合亜ちゃんの事を想ってのことだよね。


 ふと、百合亜が立っていた柵の前に目を移すと一台のスマホと一つのエメラルドグリーンに輝く羽根が落ちている。

 珍しそうなこの羽根はよく分からないけど、水色のカバーがついてあるこのスマホは、前に百合亜が使っていたのを見たことがあった。


 裏返すと、元々ついていたのかたまたま電源を押したのか定かじゃないけど画面がついていた。

 その画面には『西○百合亜の過去!』と伏せ字だけど明らかに特定できる名前が題されていて、スライドすると三つ編姿の小学生ぐらいの女の子の水着画像と長い文がある。

 内容は当時の所属事務所の代表に百合亜が親から売られ、後にその代表が逮捕され事務所は倒産、そして天津のお情けで拾われた……と根も葉もないゴシップ記事みたいなものが書かれていた。


 なにこれ? 誰がこんなもの。

 

 だけど、もしこれが真実だったら……そう考えると、もしかしたら百合亜はこの過去に触れてほしくなくて、ベルゼブと青いメガネを復讐に使ってるのかもと思った。

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