第25話 ─美声─ リップ

 二月も半ばを過ぎ、睦がグループを卒業すると後任のリーダーはシオリが務めることになった。


 元々グループ内で一番態度がデカかったシオリは、リーダーになったことでさらに幅を利かせる。

 同期のやよいと自分を慕う後輩のさゆり以外には「お茶持ってこい!」だとか「空調効いてないんだけど!」とかアレコレ注文をつけてくるのだ。


 でもわたしとひかると百合亜は、シオリにギャーギャー文句を吐かれようともう慣れてしまい、スルーして席に座っている。


「もー、あんたたちホント何様!」


 シオリが席にドンッと座るとさゆりが肩を揉みに行く。

 さゆりはそんな感じで先輩にも臆せず取り入り上手くやっている。

 他の後輩メンバーは、ウヅキとサツキは同い年ってことあって常にくっついているが、最年長のアキだけはいつも端で歌詞カードを見つめ、自然と独りになっていた。


 もしかしたら、わたしと同じで人の輪に入るのが苦手なのかも。


 たまには先輩らしいとこでも見せようとアキの隣に座った。

 アキはグループ内で1、2を争うほど歌唱力が高くオマケに美声、まずはそこら辺の話をしてみる。


「……アキちゃんって、スゴく歌上手いけどどっかで習ってたりしたの?」


 突拍子もなく訊かれたからか、アキは目を大きく開けて首を振る。


「そんなことないですよ……全部独学なんで……」


「えぇ、レッスンとかしてなくてそのレベルってスゴくない!?」


 アキは照れて顔を赤らめる。

 だけど初めて笑顔を見せてくれた。


 それを見ていたひかると百合亜も入ってきて、食べ物や音楽の話など他愛もない会話で盛り上がる。


「はぁ……ところでそのリップ可愛いね」


 会話中、アキは持ち手に薔薇の柄が書かれたリップを何度も塗っていた。


「あ、これ、もらったものなんです……」


 アキは大切そうにリップを胸もとでぎゅっと両手で握りしめた──



 数日後。早くも次のシングルのレコーディングが行われ、天津から歌割りが書かれた紙を渡された。

 最新のシングルが前回の記録を80万枚に塗り替えたようで、天津はこの好調の波に乗ろうとハイペースで曲をリリースしていくらしい。


 パフォーマンスする側からしたら、次から次へと歌詞も振り付けも新たに覚えないといけないから、ヒットして嬉しい反面、大変だ……

 昨日も徹夜で曲を覚えてたらいつの間にかイヤホンを耳に入れっぱなしで寝ていた。


「は~ぁ」


 あくびしながら紙に目を通す。

 歌割りの欄を見ると『水無月』というアキの名字がズラッと並んでいた。


「次のシングルは水無月お前に任せたぞ」


 アキの肩に天津が手を置いた。


「……は、はい!」


 嬉しそうにアキは返事した。


 次のセンターがアキちゃんに……


 今まで目立つポジションではなかったアキが抜擢されたのは嬉しかったけど、少し寂しくもあった。

 二作連続でセンターを任され、えぇ……なんて最初戸惑ってたけど、本当は結構やる気だったみたいで、少しそんな自分が居たことに驚いた。


 でもこれ、わたしの前にセンターだったやよいさんも、こういう風に感じてたってことなんだよね。


 やよいは紙を受け取った後すぐに部屋を出てもういない。

 次は、もっと練習してレコーディングに臨もう、と決意した。



 そして次の週。アキがメインを任されたシングルの情報がメディアに解禁された。


 ミュージックビデオはまだ撮り終えてないけど、宣伝の為音源だけが先行してネットやテレビで公開された。

 半日も経たないうちに再生数がどんどん伸びていき、天津の戦略は当たったようだ。


 だけど一夜明けると、テレビ局にクレームが殺到し、おかしな噂がネットで広がった。


 その噂というのが、なんでもミスレクの新曲それもアキの歌声を聴くと異常行動するというもの……

 視聴者や偶然耳にした人たちが急に発狂したり、その場で駆け回ったりするらしい。


 ……こんな事あるの?

 デマだとしても数が多い気もするけど。


 歌番組の出番を待っていると番組スタッフが走ってきた。


「すいません。今回は……」


 それは番組に出るな、ということだった。

 突然のことにメンバーも香背も言葉を失う。

 香背がスタッフに掛け合ってる間、シオリとさゆりがアキを睨む。


「誰かさんがメインになってから、変な噂たてられてホント迷惑!」


「ですよねぇ」


 ムッとした顔をしたひかるがシオリとさゆりに近付くと、アキは部屋を出ていった。


「あ、アキちゃん!」


 ひかると百合亜と後を追う。

 姿を見失ってしまい、それぞれ別れて探すことにした。


 どこ行ったんだろう……


 階段を下りると倉庫らしき場所に迷い込んだ。

 関係者以外立入禁止って感じの雰囲気で、引き返そうと階段を上がろうとすると、見覚えのあるリップが床に落ちていた。


 これ、アキちゃんがいつもしてる薔薇柄のリップ。


 リップを拾うと背後から駆けてくる足音がする。

 横から手を伸ばされリップを取られた。

 振り向くと、アキが立っていてリップを何回も何回も唇に塗りたくってる。


「もっと……もっと……美声にならないと……」


 そう呟きながら目を見開き必死の形相でリップを塗る。

 まるで強迫観念に取り憑かれてるようだ。


「も、もう十分、歌上手いからやめて」


 リップを握る手を掴むとアキは動きを止めた。

 すると、こちらに振り返り首をかきむしる。


「……コッ、コッ、声ガァ……」


 いつもの美声とは全く違う、別人のようなガラガラ声を出すと床に倒れた。


「大丈夫、アキちゃん!?」


 名前を呼びながらアキの体を揺り動かすと、手の中からリップがひとりでに床を転がった。

 リップはガタガタ震え出すと黒いオーラに包まれ何かが上へ飛び立つ。

 目で追うと、真っ黒な翼を広げた孔雀のような鳥がバサバサ音を立てて飛んでいた。


 何、あの鳥……

 あれも悪魔なの?


「悪魔フェニーダ」


  デヴィーの声がして、隣を見るとポケットにしまってたはずのスマホが浮いていた。

 画面の中でデヴィーはあぐらをかいて座ってる。


「ちょっ、いつの間にスマホでそんなこと」


「ホラ来ルゾ!」


 咄嗟に横に積まれた段ボールに転がると、今さっきいた場所にダーツみたいな黒い羽根が床に突き刺さっていた。

 スマホにいるデヴィーが耳もとに近寄る。


「フェニーハ美シイ歌声ヲ授ケルト言ワレテイルガ……段々トソノ歌声ハ聴イタ者ノ精神ヲ崩壊サセシマイニハ醜ク汚レタ声ニサセテシマウノダ」


 え、だから聴いた人たちにあんなことが。

 アキちゃんはそれを知ってたのかな……?


「ソレハ奴ノ声モ同様ダ。耳ニスルナ」


 フェニーはバサッと大きく羽ばたき、上から襲ってくる。

 奥の棚へ隠れると、周りの積み重なった荷物があっという間に遠くへ吹き飛んだ。


 翼を一振りしただけで、持ち上げるのも大変そうな荷物をこうも簡単に飛ばすなんて……


 指を上に向けながら棚の間にいると、フェニーが正面に飛んできた。

 フェニーは目を閉じて口を開ける。


 歌声を聴かせられる前に、片耳を塞ぎながら呪文を唱えた。


「アダマスルークス!」


 指先から放たれた光線がフェニーの胸を貫く。

 フェニーは黒煙に包まれると「キィオーーーーーン!!」と最期に聞いたのとない独特な鳴き声を上げ、消滅した。


 まさかだけど今の……聴いちゃいけない声じゃないよね……


 全身がスーッと血の気が引く感覚がした。


「どうしよー、異常な行動とかしちゃったらー!?」


 デヴィーが映るスマホにすがりつく。


「フッ。ヨク考エテミタラオマエナラ平気ダナ」


「え……どーして? ねっ、なんで?」


 画面が暗くなってデヴィーの姿が消える。


 家に帰ったら絶対聞いてやる! 


 スマホを強く握ってるとアキが目を覚ました。


「私こんなとこで何を?」


 この前の睦と同じく、悪魔と関わっていた記憶だけ失っているようだ。

 リップも睦のときのコンパクトみたいに黒く変色して砂のように崩れる。


「リップのことなんて覚えてないよね……」


 ボソッと一応訊いてみた。


「……リップ。はっ、天津さんから貰ったリップどこ行っちゃったんだろう」


「あっ、天津さん?」


「はい。日野さん貰ってないんですか? 私、ミスレクは代々貰ってるものだと思ってました。睦さんも天津さんからコンパクト貰ったって言ってましたし……」


 睦も!? 

 一体どういうこと、あのコンパクトとリップを天津さんがあげてたなんて……

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