第37話 ─誘惑─ 甘い夢の世界
ライブを終え、ロッカーで着替えてると上着のポケットから半分カードが飛び出していた。
それは昨日CM撮影の現場で、夢斗から渡されたマンションのカードキーだ。
あ、あのままポケットにしまいっぱなしにしちゃってたわ……
こんなの誰かに見られて変な勘繰りでもされたらマズイ。
リュックの中に入れ替えようとカードを指でつまもうとしたら滑った。
床に落ちると、後ろから後輩メンバーのさゆりが走ってくる。
「えぇー! アリスさんって、あの超高級マンションに住んでたんですかー! スゴーイ!」
さゆりは素早くカードを拾い、電気に透かせるようにしてまじまじと見る。
他のメンバーも楽屋に次々戻ってきて、お礼を言いつつ若干催促するように手のひらをさゆりに差し出す。
「あ、ありがとうね……」
さゆりはまだ見ていたそうだったがポンッとカードを乗せた。
「アイドルなんですから気を付けないとダメですよ!」
注意されて素直に頷いた。
……たしかにそーだ。
昨日から夢斗の事がどっか頭に残ってて、夜中に何度も起きちゃったり、隙あらば顔が思い浮かんだりしてたけど……一応アイドルだし、スキャンダルにでもなったら大変だ。
首を横に振って、夢斗の事も部屋のカードキーの事ももう考えないことにした──
しかし、夢斗の誘惑の魔力はわたしの想像する遥か上だった……
デビューしたての新人アイドルってことで売り出し中の夢斗は、街やテレビ局の至るところにポスターや看板に甘いマスクを見せつけており、テレビでも油断すると不意にCMやバラエティー、ドラマなどに出ている。
それでも目を背ける為、早めに床に就くというささやかな抵抗もしてみたが、とうとう名前の通り夢にまで現れた。
初めは甘いお菓子の香りが漂う、どこに居るのか分かんないモヤみたいな場所で二人っきりで会釈する程度だったけど、三日も続くと夢だし別にいっかぁ……と気が緩んだ。
場所もいつからか、ワインレッドのカーテンが閉められた高級ホテルの一室に変わり、夢斗に膝まくらしてもらいながら会話するまでになった。
「……僕、実は不思議な力があって、人の隠された真の姿を見ることができるんだ」
「不思議な力?」
太ももの上を転がって見上げると、夢斗が真剣な眼差しでゆっくり頷いた。
は、だからあの時。
本当のキミも可愛い……って、この醜い姿のわたしの事を言ってくれたのか。
そのビー玉みたいにキラキラ輝く瞳からは、とても冗談やウソを言ってるなんて思えない。
「こんなこと言っても信じてもらえ……」
「信じます! わたし!」
少し食い気味に話した。
いつもだったら……
『いやー! あんな恥ずかしいブクブク太った醜い姿晒したの!? キャーーーーッ!!』て、顔を真っ赤に騒ぎまくるところだけど、今は夢の中だから安心。
あー、よかった。
本当の姿で会っててもここは夢だからね。
そして、夢斗と会ってからちょうど七日目の晩。
もうこの頃には逆に眠るのが楽しみになってくるほどになり、持ってる物の中で一番伸びきってないよそ行きの服を着て、少ない頭髪をブラシで整えてから眠った──
おやすみ……
次第にいつものワインレッドの色をしたカーテンと絨毯が目に入る。
上にはシャンデリア、横には蛍火のように灯るランプがあり、手前のベッドの上には夢斗が足を組んで座っていた。
「やぁ、ありさちゃん。また来てくれたんだね」
とろーんとした甘い声にこっちまで溶けそうになる。
「はい。来ちゃいました……へへ」
舌を出しながら頭に手を置くと夢斗が立ち上がる。
隣に来ると後ろから手を伸ばしてきて、腰の辺りを触られた。
「ひぇっ!」
思わず奇声を上げた。
突然、触れられたからっていうのはもちろんだけど、やけに感触がリアルに感じたのだ。
……これ、本当に夢だよね?
夢か現実か確かめたくて、周りを見回してると腕を掴まれて押し倒された。
仰向けの状態で柔らかなベッドに沈む。
力強く両腕を掴んだ夢斗が体の上に覆い被さり、心臓がバクバクしてくる。
こ、これは夢、現実、どっち!?
目をぎゅっと瞑るが、顔の前に夢斗が迫ってくるのを感じる。
少し怖い気もしたけど、段々何をためらってんだ、と思った。
だって、こんな醜い姿を受け止めてくれる人なんてこの世で夢斗だけなのに……
力を抜いて夢斗に全てを委ねた。
「ジュジュジューーー!」
突然、静かな空間に麺でもすするような不可解な音が響いた。
同時に顔全体が掃除機に吸い込まれるみたいな感覚もして、ゆっくり瞼を開けてみると、わたしの唇寸前に異様なほど長く口を伸ばした夢斗の姿がそこにあった。
口元だけがジョウロみたいに伸び、唇はラッパみたいに突出している。
「……い、いやーーーーー!!」
叫びながら掴まれた手をはらって起き上がった。
側にあったキャビネットの上のランプを持つ。
一体、今の何……?
ベッドの上へ恐る恐る向けると、グインと首だけが振り向き、ランプを落とした。
ベッドの上でガニ股で座っていたのは、拳サイズの小顔がフライパンぐらいに膨れ上がり、髪はボサボサに振り乱れ、細く離れた目、大きく低い鼻、明らかにこの世のものではない夢斗の変わり果てた姿だった。
ウソ、夢斗がこんな姿なはず……
後退りすると、夢斗はこちらへ体勢を変え口元を伸ばして飛び掛かってくる。
反射的に指輪で攻撃しようと思ったけど出来なかった。
何故なら騙されたとはいえ、あんな甘いひとときを過ごさせてもらえて……外見も自分と同じものを感じたから。
化け物と化した夢斗が両肩を掴んで、わたしから生気を吸い出す。
「ジュジュジューーー!!」
手足が痺れてくると、ドンッと夢斗の頭にスマホがぶつかった。
そのスマホは一目でわたしの物だと分かる。
「死ニタイノカッ!」
正面に浮かんだスマホの画面に、怒鳴りながら目を吊り上げるデヴィーの姿が映ってる。
え……
デヴィーのその熱い眼差しを見て、お前はそれでいいのか! と人生そのものを問い掛けられた気がした。
わたしには、まだやらなきゃいけないことが……
やよいさんにやっと任せてもらったグループを中途半端で辞めるわけにはいかないし、ラビエルとエルも助けないといけない、親孝行だって。
それに、デヴィーを天使に戻さないと。
震える指を頭を押さえてうずくまる夢斗へ向ける。
「……アダマスルークス!」
呪文を唱えると指先から白い光線が夢斗に放射された。
夢斗は黙ったまま、光線を浴びて一瞬で姿がなくなる。
数秒前までいたその場所には、一筋の光と羽根が舞う。
夢斗もベシュテルに命令されてやってきた手下だったんだ……
他の悪魔や天使みたいに、わたしがつけてる装飾品を狙いに来ただけ……
だけどほんの短い間、恋人気分を味わせてもらって、ありがとうって心の中で伝えた。
閉めきってあるカーテンを両手でバッと開けた。
「デヴィーもありがとうね、助けに来てくれて」
デヴィーの方に首を傾けるとスマホの画面はすでに暗くなっていた。
きっと、小っ恥ずかしくて顔を合わせずらくなったんだと思われる。
窓から気持ちのいい朝日が差して、腕を上げて体を伸ばすと、ピカッと向かいのマンションの窓が光った気がした。
何だろ、日が反射しただけ?
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