第32話 ─伝説─ 翼を持つ男
霧の中から突如現れた幽霊船にわたしたちは遂に乗ることになった。
船の横にある手すりを掴んで一段ずつ登っていく。
上まで登り、船内に足を踏み入れるとギコギコ軋む音がする。
たぶん強く踏んだら抜けるわ……
帆柱は今にも倒れそうなほど朽ち、幾つも張られてる帆は所々引き裂かれてるように破けている。
他もあちこちボロボロで誰かが操縦してる気配はない。
「あの扉の向こうに行ってみましょう」
百合亜が目を向けたのは丸い小窓の付いた木の扉。
普通に開けようとしても開かなかったのか、ひかるが扉を蹴り飛ばす。
ひかるを先頭に三人で中へ入ると明かりがなくて真っ暗。
「こーゆーときは!」
ひかるがポケットに手を突っ込みスマホを取り出す。
ひとりでにスマホ浮くと、火が灯ったようにわたしたちの足下を照らした。
「ゼファンありがとー」
ひかるがお礼を言うとスマホからゼファンの声がする。
「イエイエ。オ役ニ立テテナニヨリデス」
ゼファンのおかげで少し明るくなった廊下を確認しながら進む。
オレンジ色にぼんやり明かりがあたった壁を見ると、何かが引っ掻いたような傷や赤茶色のシミが無数にある。
何、不気味すぎる……
それらを横目に突き当たりまで進むと、取っ手に鎖が巻き付いた金属製の扉があった。
ゴクッ、この先に海賊の幽霊がいたりして……
ひかるが取っ手に手を近付ける。
「──君たちそこで何をしてるんだ」
背後から男の声がした。
振り向くとランプを持つ背の高い男が立っていた。
「きゃーーーーー!!」
三人で後ろの壁に固まる。
男は持ってるアンティーク調のランプを自分の顔まで上げた。
「ごめんごめん。脅かすつもりはなかったんだ。僕の名前はカロル。よろしく」
少し困り顔で笑うその男は、白シャツにサスペンダーの付いたチェックのズボンを穿いていてハンチング帽を被ってる。
体は細身で180センチぐらいの背丈があり金髪でブルーの瞳、見るからに白人のようだ。
なんだ、幽霊じゃなかったのか……
よかった。
カロルは扉に施錠された鎖を取った。
部屋の中に招かれ、カロルが机の上にランプを置くと少し明るくなる。
机には半端に残ったお酒のボトルや空き瓶、ホコリの被った地球儀があって、周りには樽や木箱、開けてある空っぽの宝箱のような物が置いてある。
カロルは奥から三人分のイスを引きずってきた。
「さぁ、みんなくつろいで」
カロルは机の前のイスを自分用に持ってきて目の前に座った。
わたしたちも座らせてもらうとカロルは閉まった扉を見つめる。
「僕は一人でこの幽霊船を突き止めるためここにやって来たんだ……君たちもそうなんだろう?」
三人で顔を見合わせる。
え、カロルも幽霊船目当てに?
でも、わたしたちは装飾品か指輪の破片を見つけに来てて、だけどそんなの言えないしな……
「ま、まぁそんなとこ? ですかねぇ。へへ……」
「うふふ……」
「はは……」
ひかると百合亜も同じことを思ってるのか、引きつりながら愛想笑いする。
「ハハ、やっぱ同じかぁ。そうだよな。そうだ。幽霊船気になるよなぁ。ハハ」
扉に目をやると、翼の生えた青年が描かれた黄ばんだ紙が貼られていた。
「でもなぁ……情けない話だが僕。もうここに忍び込んでから、何年も外へ出れていないんだ……だから、君たちももしかしたら、一生この船から出られないかもね……」
カロルは意味深にニヤッと笑みを浮かべる。
カロルの後ろをふと見ると、えんじ色のカーテンの隙間から暗くなった海が見えた。
あ、もう真っ暗じゃん……
早くしないと香背さんたちに変に思われる。
イスから立ち上がる。
「あの、わたしたちちょっと用事があるのでそろそろ……」
頭を下げてひかると百合亜も立とうとすると、どこからか歌が聴こえてきた。
自然と体が止まり耳を澄ませる。
ハープの音色がそのまま歌になったかのような歌声に一瞬で酔いしれた。
はぁ、なんて心地のいい歌声。
もうこのままずっとここに……
誘い込まれるように歌が聴こえてくる窓へ近付く。
すると、手前の机にあるお酒の瓶が下に落ちた。
「ガシャーンッ!!」
瓶の割れた音が頭に響いて、ハッと目が覚めた。
あれ、いつの間にかすっかり歌の虜になってたみたい。
机の上を見ると、ベルゼブとひかるのスマホに映るゼファンがボトルや瓶を押そうとしている。
二人の後ろにはスマホの中で腕を組むデヴィーの姿もあり「ヤレ!」と命令していた。
健気に従うゼファンとベルゼブは次々とお酒のボトルや瓶を下に落とす。
「ガシャン!」「バリンッ!」「ガシャーン!!」
その騒音にひかると百合亜も目を開く。
「わ、ビックリしたー!」
「いつの間にか私たち、人魚とカロルの術中にはまってたみたいね」
三人で扉の前に移動するとカロルが声を発する。
「……くっ、そのまま眠りについて大人しく命を取られればよかったものを」
瞳が赤く染まり、カロルの背中から勢いよく大きな茶色の翼が広がった。
カロルはその翼を羽ばたかせ、強風で周辺の物や船の壁が吹き飛ばす。
わぁ!
……そうだ、イヤリング。
耳に付けてるイヤリングに触れると、グリーンに光るバリアが周りを囲む。
バリアに守られながら風が収まると、船はわたしたちが座ってる板と背後の扉の一部分しか残っておらず、周りには真っ黒な海が広がっていた。
グレーに染まる夜空にはカロルがゆったり翼を羽ばたかせ、こちらを見下ろしてる。
「ただならぬエネルギーを感じ、来てみれば。まさかベシュテル様が仰っていた装飾品を盗んだ反逆者の一味に会うとはな」
ひかるが立ち上がる。
「反逆者はお前たちだろ! 連れてったラビエルとエル帰せよ!!」
カロルは眉間にシワを寄せる。
「フッ、僕は何百年もの間。ここで人間たちを誘い込み、命を喰らっているんだ。お前たちも他の人間たち同様、歌で魅了させてから喰らおうと思っていたが、どうやらその必要はないようだな」
カロルの目線の先を見ると岩が幾重にも重なってできた巨大な岩礁がある。
岩礁の上にはウェーブがかった長い黒髪を指で撫でている女がいて、下半身が魚のような鱗と尾ビレになっていた。
あ、あれが、ヤバい歌声を響かせてる人魚!?
「ウェーヌ! その反逆者たちを骨ひとつ残さず喰ってしまえっ!!」
人魚ウェーヌはカロルに命令されると、撫でていた手をピタッと止め、海の中に飛び込む。
真っ暗な海中へ身を潜めたウェーヌを警戒して三人で背中を合わせる。
すると、わたしの前に波しぶきが上がった。
「バシャーーーンッ!!」
しぶきの中に見えた、ウェーヌの美しい端正な顔立ちが一瞬にして般若のような恐ろしい顔に豹変し、噛みつきにきた。
呪文を唱えようとしたら、炎に包まれたひかるが素早くウェーヌへタックルした。
ウェーヌは衝撃で海へ落下し白煙を立てながら沈んでいく。
「……びっくりした、一瞬どうなることかと」
隣に体を向けると、ひかるが腕を押さえながら膝から崩れ落ちた。
「ひかる!」
急いで百合亜とひかるを支える。
ひかるの左腕には、ウェーヌに噛まれたと思われるナイフで切ったような赤い傷があった。
「わたしがすぐ反応しなかったから……」
「大丈夫。アタシがちょっとアイツを油断しただけ……それにこんな傷へっちゃら」
ひかるは額から脂汗を流しながら笑顔を見せた。
止血しようとひかるの腕にスカーフを巻くと、上からカロルの声がする。
「無駄だ。ウェーヌにやられた傷は腐るのが早く、その女は三日三晩苦しんだ末、死ぬだろう」
そんな……
ひかるの傷を見ると先ほどより一段と赤く腫れ上がっていた。
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