第46話 ─別れ─ 炎の天使

 灯油でも入っていそうなポリタンクを黒ずくめの怪しい人物に投げられた瞬間。

 背後に男の子がいるとはいえ、命にはかえられない、そう判断して咄嗟に指を差した。


「アダマスルークス!」


 呪文を唱えると、一直線に伸びた金色の光線が飛んでくるポリタンクに命中した。

 

 破裂して飛び散る液体から、慌てて腕で頭を守りながら男の子と身を縮めると、周囲はさらに轟々と燃え出し、浴びるように液体を被った怪しい人物には火がついた。


「ギヤアーーーーーー!!」


 絶叫しながら、火を消そうと手前の座席や後ろの壁に右往左往とぶつかる。

 だが、燃え上がる炎に体全体を包まれ、姿が確認できなくなると叫び声は聞こえなくなった。


 一体、何だったの……


 でも、あの脳裏に焼き付くスゴい形相の目。

 もしかしたら、ベシュテルの炎に焼かれたミカだったんじゃ……


 そんな気がすると、繋いでいた男の子の手がスルッと手から抜けた。

 振り向くと男の子が床に倒れてる。


「だ、大丈夫!?」


 呼び掛けながら上半身を揺すったけど、男の子は目を閉じて顔も赤くハァハァ息も荒い。

 体を持ち上げようと試みるも、熱気と煙で息が苦しくて力が入らず、舞台裏とどちらの出入り口も炎が強すぎてとても通れる状況じゃなかった。


「ゴホッ、ゴホッ……」


 胸を押さながら咳き込み、男の子の横で仰向けに倒れた。


 わたし……

 もしかして、ここで死ぬの……?


 取り囲まれた真っ赤な炎は手を伸ばせば届きそうなほどすぐ側まで迫ってる。


 そういえば、いつだったか、占い師の悪魔が予言してたっけ……

 わたしが業火の炎に焼かれて死ぬとかどうとか……


 ゴホッ、ゴホッ、スゴいね……

 だってその予言、この通り、当たったってことでしょ……


 崩れようとする天井をおぼろ気に眺め、まぶたが自然に閉じようとする。


 すると、バンッと大きな音がした。


「──ソンナトコデ居眠リシヤガッテ。死ニタイノカッ!!」


 訴えかけられたその声でまぶたが開く。


 かすかに見えたその光景は、まさに地獄の業火ともいうべき炎の中、必死に崩れ落ちる天井を一身に受け止めるデヴィーの姿だった。


「デヴィー……」


 地面に手をついて踏ん張って体を起こすと、わたしと男の子がいる空間以外全て炎と瓦礫で埋まっていた。


 デヴィーが助けに来てくれなかったら、今ごろ……


 それに、蚊取り線香を焚こうとしただけで発狂して暴れまわるほど火苦手なのに。


 デヴィーはクゥッ、と声が漏らしながら足を踏み締め、地面には亀裂が入っていく。


 ブレスレットを持ってれば、こんなとこすぐテレポートできるのに。

 なんでこんなときに、今は指輪とペンダントとステッキしか……


 はっ……ステッキ!


 本当はコンサートの後、ひかると百合亜ともう一度話し合ってから願い事を決めようと思っていたステッキ。


 だけどもうここで使うしかない、と覚悟を決めた。


 ここをデヴィーと男の子と脱出……なんて願いじゃない。

 一度しか使えないステッキ、必ずなんとかしてやり遂げてくれるはず。


「……デヴィー」


「クゥッ。ナンダ」


「前に言ったよねっ……自分を天使に戻せって」


「アァ。ソレガドウシタ」


 必死に守ろうとするデヴィーの背中を見つめながらステッキを取り出した。

 

「いま、叶えてあげる──。デヴィーを天使に戻してーーー!!」


 大声で叫ぶと、デヴィーは頭だけ振り返り目玉が飛び出そうなほど見開いた。


 掲げたステッキはグーンとわたしの背丈ほど伸びていき、先端のダイヤがミラーボールのように光り輝く。

 どこからかチクタク、チクタクと時計の針のような音が響いてくると、周りの揺らめく炎と迫りくる瓦礫の勢いが止まる。


 これ、神様と会ったあの時と同じ。

 時間が止まってる。


 同時にはめている指輪と首から提げてるペンダントも光ると、次の瞬間には跡形もなく消えた。

 装飾品の効力が無くなり、わたしは美少女アイドルアリスから元の太ったただの醜いありさの姿に戻る。


 ステッキの先端から放たれた満月のような巨大な光の球体がデヴィーを丸ごと包み込み、バァーンと光が弾けた。


 羽根がパラパラ雪のように舞い落ちる中、正面に立っていたのは、肩にかからないぐらいの赤毛のサラサラ髪に、スラッと伸びた長い手足、ハッキリした目鼻立ちでブルーの瞳を輝かせた美男子。


「まさか、デ、デヴィーなの……?」


 黄金に光る鎧をまとって背中には幾重にも重なる煌めく大きな翼、ロイヤルブルーのマントを羽織い、左手には盾、右手には炎を纏う剣を握る、デヴィーがかつてミッシェルと呼ばれていた天使の姿だった。


 カチッと音がして時間が動き出すと、デヴィーは持っている盾を地面にドンッと突き立て、剣を上へ向ける。

 盾から輪が広がるように衝撃波が生み出され一斉に瓦礫を吹き飛ばすと、剣に炎が急激に吸い込まれていく。


 スゴい、炎がどんどん消えていく……


 会場全体に燃え広がっていた炎は一瞬のうちに鎮火して、崩れ落ちてきた瓦礫もどこへいったのやら全て無くなった。


「行くぞ」


 意識を失ってる男の子を片腕で抱えたデヴィーがそう言うと、閉じるように翼の中に入れられた。


 一秒もかからないで翼が開かれると、車イスに乗ったひかると隣の百合亜が心配そうな表情でこちらを見ていて、ラビエルとエルが両脇に立っていた。

 周辺の木々や大きな壁からして、いつの間にか会場の外に脱出したようだ。


「ひかる、百合亜ちゃん……わたし……」


 グレーに染まったステッキを差し出しながら言葉を詰まらせる。


 ひかると百合亜は、天使に戻ったデヴィーとわたしの素の姿から察してくれたのか納得したように頷いた。


「いーんだよ。それで」「うん」


 無言で二人の間に入ると背中をさすられた。


 ラビエルが一歩前に出て、わたしの手とデヴィーに抱えられた男の子の背に手をあてる。

 緑色に光り輝く温かな優しい波動がわたしと男の子を包む。


 息苦しかった肺の辺りや体中の痛みや疲れがウソのように消えていく。


 デヴィーが地面に下ろすと、男の子はスーッと大きく息を吸い込んで胸が膨れる。


 すると「カズマー !カズマー!」と必死に名前を叫ぶ女性の声が聞こえた。


 もしかして、この子のお母さん?


 男の子はその呼び掛けにこたえるように目を覚ました。

 わたしたちの事には目もくれず、飛び起きて「お母さーん!」と叫んで駆けていった。


 建物の影からそっと覗くと、男の子はお母さんに抱きしめられてとても嬉しそうだ。


 よかった、無事に会えて。


 すると、ラビエルがバサッと、エメラルドグリーンに光る翼を広げた。


「これから皆さんと最後の時間を」


 それは、わたしたちと、デヴィーたち天使との別れを意味していた。


 本当に、みんな帰っちゃうんだ……


 デヴィーと同様にラビエルの翼がわたしたちを包む。

 翼が開くと、太白病院の屋上に辿り着いていた。


 周りには人の姿はなく、ビルとビルの間からキレイなオレンジ色の夕焼けが輝いている。


 わたしたちの前にデヴィーが仁王立ちで立つと炎を纏う剣を高く掲げた。

 放たれた光の束が滝のように、両脇にいるゼファンとベルゼブに降り注ぐと姿が変化した。


 小さな茶色の悪魔だったゼファンは頭の上に金の輪っか、背中には黄色い翼が生えた天使の姿になり、太陽を型どった冠を被って深紅のローブを羽織ってる。

 青い色をしたハエだったベルゼブも金の輪っかと背中に純白の翼が生えた天使になり、ウェーブがかった水色の長髪で白装束、手には白百合の花を持っていた。


 ひかると百合亜が天使に戻ることができたゼファンとベルゼブに近寄る。


「こんなかっけールックスしてたのかよ! マジ驚いた」


「ベルゼブ、元の姿に戻れてよかったね」


 ゼファンとベルゼブは肩を震わせて涙を堪える二人の手を取る。


「ひかると出逢い、愉快でときに刺激的な日々を過ごせた。井戸の中でも孤独を感じずにいられたのはひかるのおかげだ。ありがとう」


「はじめは罪を重ねてしまったけれど、貴方は今では仲間たちと共に善行を積んできた。きっと、この花が新たな生命を生むでしょう」


 ベルゼブは百合亜に白百合の花を渡した。


 ……わたしも、何かデヴィーから言葉もらえたりして?


 ちょっとドキドキしながら待っていると、デヴィーが「んっ!」と言って、背後から何か突き出した。

 それは、着替えや小物が詰め込んであるわたしのリュックだ。


「あ……すっかり、忘れてた」


 コンサート会場の楽屋に置きっぱなしにしてたリュックを受け取ると、ラビエルたちがデヴィーの隣に並ぶ。


「皆さんそれでは」


 ラビエルが手のひらを上へ向ける。


「あ、ま、待って……!」


 リュックを落としながら引き止めるとデヴィーが眉間にシワを寄せる。


「何だ、早くしろ」


 天使に戻っても口癖と性格は同じで、やっぱり中身はあのデヴィーだ。


「あ、あのさ……た、助けてくれて……ありがとうね」


「ふんっ」


 デヴィーは顔を赤くしてそっぽを向いた。


 ラビエルが首を傾けてニコッと微笑むと、ビューンと突風が吹いた。


 思わず瞑った目を開けると、もうデヴィーもラビエルも天使たちの姿はそこにはなかった。


 天界に帰ったんだ……


 今まで、怖いこと、辛いこと、色んな目にたくさん遭ってきたけど、可愛い姿でステージで歌ったり、ドラマにも出たりもして、楽しい経験もいっぱいさせてもらんだよね。


 バイバイ、デヴィー。


 夕陽が染まった空に、ひときわ目立つ金色の星がキラキラ輝いていた──

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