最終話 ─旅立─ 本当の自立
日が暮れて、病院でひかると百合亜と別れた後一人で電車に乗って帰宅した。
少し前まで乗り方や駅がどこにあるのかも分からなかったけど、今では道で迷うことはあまりない。
ギ、ギーと軋み音のする家の門を開け、玄関に向かうと外灯が消えていて真っ暗だった。
……あれ、珍しいな。
ママいつも点けといてくれるのに。
足下を照らそうとポケットからスマホを取り出すと電源が点かない。
何回ボタンを押しても起動せず、どうやら昼の騒動の際の熱か衝撃で壊れたようだ。
最悪……
新しいの買わないとダメか。
とりあえずドアノブを回した。
ドアを開けると、家の中も暗かったけれど、リビングからは
靴を脱ぎ、壁づたいに廊下を進むとテーブルの側でママが後ろを向いて座っていた。
「あ、なんだー、てっきり真っ暗だったから居ないのかと思っちゃったー」
喋りながら近寄ると、いつも座るわたしの席の前に乾燥した昆布が入ったお茶碗がひとつ置かれていた。
医者から控えるように忠告され、食べられない事を何度も伝えてる海藻類。
その昆布が今日だけじゃなく毎日おかずに混ざっていて、減らすように伝えてから以前より倍増している。
わざと……?
流石に不信感を抱き始めると、ママはテーブルにドンッと強く手を置き席を立った。
「知らないとでも思ってんの──」
唐突にそう言われて、何も言葉が出ない。
「ぜーんぶ知ってんだからね!」
吐き捨てるように言うと足で何かを蹴った。
音のした方を見下ろすと背面を見せて転がるテレビがある。
縁に少し傷のある黒の中型、四六時中観ているわたしの部屋のテレビだ。
前にテレビが庭に捨てられていた事を思い出した。
あれもやっぱり、ママの仕業だったんだ……
ママはベランダの窓を開けると、テレビを持ち上げ、庭に放り投げた。
理解不能な行動にその場で固まってると、ママは庭に飛び出して、スリッパを履いた足でテレビを踏みつける。
「何してんの、やめて!」
素足で庭へ走った。
縁が外れ、画面も凹んだりボロボロになっていたけれど、夢中でママの腕を掴んでテレビから引き離す。
すると突然ママが隣の家の方に首を向けた。
「きゃーー! 助けてーー!」
え……
その光景は、まるで怯えた少女が叫んでいるようだった。
今まで見たことのないママの姿に驚きを隠せないでいると、門のところから誰かが走ってくる。
「ちょいと大丈夫かい、日野さん!」
そうハスキーな声でママの背中をさするのは、昔顔を数回合わせたことのある隣の家のオバサンだ。
「もう大丈夫よ、警察呼んだからねぇ」
けっ、警察!?
オバサンは顔を歪ませる。
「ダメよ、こんないいお母さんにいつも暴力振るって!」
「はっ? わたし暴力なんて」
「もういいわ、警察もうじき来るし。だから、早く病院連れていっておけばよかったのよぉ」
ママはオバサンの胸の中で泣き崩れる。
なんなの、この人いきなり。
しかも、いつもって……ママ、そんな事近所で話してんだ……
しばらくするとサイレンの音が聞こえてくる。
近くでとまると、警察官が何人もやってきてママとは別に警察署に行くことになった。
パトカーのドアが開き、仕方なく乗ろうとすると、辺りは暗くなってるのにもかかわらず、近所中の人がこっちを見てヒソヒソ話をしていた。
みんな見てる……
事実がどうであれ、もう犯罪者同然だ……
警察署に移動中、街の夜景を眺めながら唇を噛みしめた。
取り調べを受けると、刑事のオジサンが白紙に名前や住所、内容を書くようペンを渡した。
「はい、それで最後に、もう私は二度と暴力をしませんっ、と」
書いていたペンを止める。
「……あの、わたし、暴力なんて振るってないんですけど?」
刑事は貧乏ゆすりしているのか机をガタガタ震わせる。
「でもお母さん、キミから常日頃から暴力を受けてる、と訴えてるよ。他にもテレビで誰か見知らぬ男と会話していて外でコソコソ会ってるようだ、とも」
「はぁ……?」
呆れて言葉も出ず、怒る気力すら消えた。
適当に『暴力ふるわれなければふるいません』と当たり前のことだけ書いて、その後帰宅した。
周囲の視線を感じながら玄関の扉を開け、ドスドス音を立てながら階段を上る。
部屋に入ると当然夜中だから真っ暗。
だけど、電気を点ける気なんて起きない。
隣を見ると、当たり前のようにそこにあった、デヴィーが入ってたあのテレビはもうない。
なんで、こうなるの……
新居に引っ越して、楽しく暮らそうって思ってたのに……
目の前の光景が滲んでくる。
心の奥底から破壊衝動が込み上げてきて、座卓の上にあった物件の広告を掴んでビリビリに破った。
そして、目に入る物、棚や座卓全てなぎ倒す。
足の踏み場も無いほど物を散乱させ、滅茶苦茶になった部屋で大の字に寝た。
もう、どーでもいいや……
チュン、チュンチュンというスズメの鳴き声で目覚めた。
こんな最悪な目覚めは初めてだ。
何もやる気がせず地べたでずっと窓を見る。
日が昇り、日が暮れて、また日が昇りまた暮れて……ただ、それだけを見て時間を費やす時を過ごした。
トイレも別に垂れ流しでいいや、と思ったが……その状態の部屋を想像するとやはり気が引け、この時ばかりはしょうがなく部屋を出る。
そんな繰り返しの日々の中、のっそりのっそり階段を下りてると、玄関からガチャガチャと音がした。
「んっ?」
頭を下に落としたまま目をやると玄関のドアが開いた。
騒がしく物音を立てながら入ってきたのはママだ。
「いま洗濯機回すねー!」
そう笑ってあっけらかんに言うと小走りで洗面所の方に行った。
あんな騒ぎ起こしといて、よくもまぁ。
上機嫌に鼻歌を歌って洗濯機を回すママの姿を見て、謎に思ってると、さっき手に提げてたビニール袋が側に置かれてるのに気付いた。
袋の中を覗くと、処方箋と錠剤、それと一枚のハガキが入っていた。
取り出すとハガキはママ宛で、送り主のところに『日野大地』という名が書かれてる。
その名前は、物心ついた頃にはすでにいなかった父のものだった。
顔と名前しか知らないからか、あまり寂しいという感情もなく、ママもその事を触れてほしくなさそうな気もして今までどんな人かも聞いてこなかった。
裏返すと、片隅に『ありさと上手くいってるか? あんまりヒドイようだと施設に入れたほうがいいぞ』と文章があり、大部分には小さな女の子を肩車して、隣にいる女性と腕を絡ませる父らしき写真がある。
別荘っぽいログハウスの前で撮られ仲睦まじい家族そのものだ。
ふぅ~ん……
こっちにもちゃーんと広めてるってわけね。
体が火照ってくるぐらい怒り狂いそうになったけど、この幸せそうな家族写真をママがやりとりする度に見せられてたのか……と思うとちょっと悲しい気もした。
ここでママみたいに何事も無かったように接すれば、何の変哲もない平穏な日常に戻れるよね……
でも、それで本当にいいのかな。
考えてみたら、当たり前のようにご飯とか洗濯物とかスマホ代とか全部ママに頼りっきりで。
わたしを使って他人から同情を引きたかったのか、わたしのせいでママはオカシクなってしまったのかそれは分からない。
だけど、ひとつハッキリしてるのは、もうわたしは、この家から出たほうがいい──
ハガキを袋に戻すと部屋へ駆け上がった。
リュックに着替えやお金など必要最低限の物を詰め込む。
どうしようか迷ったけど、落ちてたチラシの切れ端に『今まで育ててきてくれてありがとう。さようなら……』それだけ座卓の上に置き手紙を残して、家から飛び出した。
運動靴からはかかとがはみ出て、ヨレヨレのTシャツとジャージ姿で髪を振り乱してとにかく走る。
ジロジロ視線を向ける人やひきつった顔で固まる人、色んな奇異の目を感じたけれど、もう他人からどんな風に見られ蔑まれようとどうでもいいと思えた。
息が切れて、ひとまず近くにあったネットカフェに身を寄せた。
個室に入って、まず近場で家を借りる方法を調べてみたけど、ほとんどが仕事をしてるか職歴がないと厳しそうだ。
やっぱり無職じゃ難しいか……
頭を掻きながら、中卒でも雇ってくれるところがあるのか検索しようとしたら、ネットニュースに指輪で変身していたときのわたしの姿が載っていた。
気になってクリックすると、あの火災でわたしの遺体が見つからなかったのが原因で様々な憶測が飛び交ってるらしい。
骨すら燃え尽きて死亡したと主張する説もあれば、不可解に火が鎮火したことから闇の組織にでも誘拐されたんじゃないか、という驚くようなものも。
色々な情報に目を通していくと、香背やミスレクのOG、メンバーたちの泣いてる姿や追悼コメントもあった。
悔やむ言葉や感謝の言葉がそれぞれ綴られていて、特にわたしを引き止めてくれたアンナとまりんは後悔してる文言が端々から伝わる。
香背も責任を感じたのか、マネージャーの職と事務所の社長代行を退いたようだ。
こんな、みんなに迷惑かけちゃったんだ……
できるものなら、ここにいるよー! って今すぐ宣言しに行きたい。
指輪やペンダントが無くなった今、叶うはずないのにそんな事を思い浮かべた。
ボーッとしながらマウスを押し続けてると『20歳~35歳までの女性ならどなたでも大歓迎! ヴィネーラプロダクション主催! 遅咲き新人オーディション!!』という大きく目立つ字が不意に目に飛び込んだ。
画面に鼻がつくぐらい近付き、一文字ずつ何回も読み直したけれど、やはり明確にそう記載されてる。
こんな年齢まで募集するなんて、アイドルとはまた違う?
詳細を確認すると、寝たきりで休業状態だった天津がひと月前に意識を取り戻したらしく、社長兼プロデューサーに復帰して初のオーディションらしい。
え、あの状態から……
悪魔の恩恵を受けた報いで突然倒れ、意識不明になった天津。
一体どうやって回復できたのか経緯ももちろん気になったけど、それよりもこんな短期間でプロデューサーに復帰できるぐらい元気になったようで心から安堵した。
香背の薦めもあっていきなり『合格!』なんて参加者の前で言って、わたしをミスレクに加入させた元気な天津の姿が思い出される。
あの時、即加入だったから書類とか面接とか、なんにもオーディションらしいことやらずに来ちゃったんだよね……
オーディションの応募条件は一応クリアしている。
その一方で、あんなルックスでよくテレビ出れるねー、とか参加者とか審査員にバカにされ笑い者になるのも容易に想像つく。
……けど、もしかしたらこれが、歌手になれるラストチャンスかもしれない。
今の所持金、全財産が入ったリュックを握り締める。
少しでも出来る限りの努力はしよう、そう決め、二ヶ月後の応募期限までに全力で外見を磨くことにした──
生まれて初めて美容院に行き、伸びっぱなしだった髪をバッサリ切ってもらった。
ふんわりした薄毛の目立たない爽やかな短髪になり、早朝と深夜にはジョギングも始めて、寝泊まりも節約の為、ネットカフェと公園を交互に行き来することに。
そんな生活をして、ジョギングが日課になってきた日の朝。
公園のトイレで汗を拭きながら、ふと鏡に目をやると思わずタオルを落とした。
パンパンに膨れてた頬が無くなってスッキリ引き締まっていたのだ。
気付けば、お腹の脂肪もほとんど皮のたるみがあるぐらいで二の腕や太ももも前見たときより明らかに細い。
食事も一日おにぎり三つしか食べてなくて、海藻類も摂ってないのも影響したのか確実にわたし史上一番痩せてる。
……この調子で、体型だけでもアリスに近付こう!
そして三ヶ月後。
都内にある高層ビルの中でも一際巨大なタワービル、その室内でわたしは大勢の人を前に一人イスに座っていた。
このひと部屋の幅と天井だけでもとにかく広く大きいこのビルは、雑居ビルの一室から戻ることができた事務所ヴィネーラプロダクションだ。
きっとミスレクの人気が再燃したから事務所の経営も回復したんだと思われる。
数週間前に書類審査を通過したと新しく買ったスマホに通知が届き、今はその歌唱審査の真っ只中。
ガチガチに緊張して拳を足の上に乗せたまま動けない。
だって、正面の審査員席にはプロデューサーの天津が着席し、後ろに香背、周りにはミスレクのメンバーが座っているからだ。
ただでさえ緊張するのに、なんでみんな居るの……
でもその一方で、頬がコケて白髪が所々混ざった天津を香背が紙をめくってあげたり、耳元で何か伝えたりと色々サポートしていて、その光景が懐かしく緊張がやわらいだ。
「じゃ、名前と年齢を」
香背に言われて、下にあるマイクを取って席を立つ。
「あ、はい、日野ありさ30歳です」
天津と香背は目を細めて名前が記載されたボードに顔を近付ける。
たぶん容姿が月とすっぽんなのに、名前がアリスと一文字しか変わらないから驚いたんだろう。
曲のイントロが流れ始める。
この曲は、デビューしたときと最後卒業のときに歌った思い出の詰まった曲だ。
「あー」
みんなに見つめられながら出だしの一言目を歌うと、ヘッドフォンを片耳にあてて机に伏せていた天津が顔を上げた。
表情は目を見開いて、驚いてるように見える。
何だろう、音程はずした?
とりあえずそのままAメロBメロサビと歌詞を間違えずに何とか歌い終えることができた。
席に腰を下ろそうとしたら、天津が香背に支えられながら立ち上がった。
「ひ、日野……」
天津はかすれた声を振り絞ってわたしの名を呼んだ。
「えっ、あ、はい」
「……合格だ」
そう言われた瞬間、頭の中が真っ白になった。
わ、わたしが……?
まだ、最終審査じゃないのに……
香背やメンバーたちは、天津の独断に慌てた様子で体を机に乗り出す。
でも、天津はわたしの目を見て笑顔で頷いている。
まさか、天津さん、わたしのこと……
すると、背後の扉が勢いよく開いた。
「すいません、収録が押しちゃってー」
そう言って体を縮めながら小走りで横を通ろうとしているのは、ひかると百合亜とセイラだ。
ひかると百合亜はわたしの姿を見るなり、天津と同じような表情を浮かべた。
「あっ、アリ……」
ひかるは名前を言い掛けると自分の口を押さえる。
「二人とも、何でここに」
立ち止まったひかると百合亜にそっと小声で訊ねた。
原因不明の病で足が不自由で車イスに乗ってたひかると、天津と同様、悪魔の力を借りた報いでずっと眠った状態だった百合亜が、何事も無かったかのように自分の足でしっかり立っているからだ。
「あの花のおかげよ」
耳打ちで話した百合亜の視線の先に目をやると、天津と香背の後ろに花瓶に飾られた一輪の白百合があった。
それはベルゼブが別れの際に百合亜に渡した花だ。
……もしかして、あの花には生命力を与える力があるの。
すると、スッと花瓶の後ろの窓に人か鳥みたいな影が素早く通り過ぎた。
窓ガラスに反射したセイラをふと見ると、髪がかき分けてある片耳に緑色の羽根が付いたイヤリングが揺れている。
脳裏に、中学生の時テレビで偶然目にしたアイドル、セイラに連れられステージに立った時、そして初めてラビエルに会った時……その全ての記憶が呼び覚まされた。
……そっか、わたし勘違いしてたみたい。
いつも孤独だって思ってたけど、泣いてる時も、アイドルになってひかるや百合亜と楽しんでる時も、独りじゃなかったんだ……
いつもどこかしらで天使たちが見守ってくれてた──
悪魔と醜いアイドル 春こいち @pug9875
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