7:RUN INTO SURVIVOR

 なんとも奇妙な光景だった。一台の車が、猛スピードでYOUトピアの駐車場内に侵入してくる。それを大量のゾンビたちが、ドタドタと追いかけている。まるで、車に乗っているスーパースターを、たくさんのファンが追いかけているかのように。

「な、なんだ、あれ」

 イヤホンを外すと、遠くの方だというのに、ゾンビたちの呻き声が聴こえてきた。久しく体感していなかった群衆の喧騒が、一台の車と共にYOUトピアに押し寄せてくる。

 あっけにとられていると、車がキュルキュルとタイヤを鳴らしながら真下の正面入り口前に停まった。後部座席のドアが開き、地面から上がる白煙に巻かれながら、誰かが降りてくる。

「嘘ぉ!閉まってるう!」

 息を呑んだ。

 女の子だ。小さな女の子が、入り口の降りたシャッターを見て、悲鳴を上げている。

「あかるっ、助けるぞ!生存者だ!」

 サキナさんが声を荒げる。

「はっ、はいっ!」

「おいっ!そこじゃねえっ!立体駐車場だっ!」

 サキナさんが呼びかけるが、女の子は聴こえていないのか、おろおろと狼狽えていた。その後ろに、たくさんのゾンビが迫って来ている。

 ど、どうしよう、どうにかしなきゃ。何か、注意を引くもの――ハッとして、中に放置していたカートへ向かった。確か、物資調達の時に放り込んでおいたはずだ。どこだ、どこに……あった!

 僕は一番軽い金属製のダンベルを掴むと、テラス席へ戻り、真下の車に目掛けてぶん投げた。ダンベルは回転しながら、車のルーフにぶち当たり、


 ―――ガキャァアンッ!


 と、派手な金属音を立てた。女の子が車の方に振り向く。

 僕はすかさず、

「こっちですっ!」

 と、思いきり叫んだ。病み上がりの喉が、キリリと痛む。

「おいっ!こっちだ!」

 サキナさんが追い打ちのように、釘バットをテラス席の手すりにガンガンとぶつけながら叫ぶと、ようやく女の子がこっちに気が付いた。

「立体駐車場だっ!屋上だっ!あっちに行けっ!」

 二人で身振り手振りで立体駐車場の方を指差すと、女の子はそれを汲み取ったのか、スカートを翻して車に乗り込んだ。それと同時に、ゾンビ集団の先頭がとうとう追い付き、ドタドタと車の後ろに取り縋った。

 危ない!と思った瞬間、車がギャリギャリと地面を切りつけ、勢いよくターンした。何人かのゾンビを振り払うように蹴散らしながら、立体駐車場の方に向かって猛スピードで走り出す。

「あかるっ!行くぞっ!」

「はいっ!」

 僕たちはテラス席を飛び出すと、ダッシュで屋上駐車場の方へ向かった。




 凄まじいスピードで駆けて行くサキナさんの後を追う。サキナさんより歩幅がずっと小さいせいで、ついて行くのはきつかったが、遅れを取らないように必死に走った。

 通路を駆け抜け、屋上駐車場へと続く停まったままのエスカレーターまで行き着くと、一段飛ばしで駆け上がっていく。

 息を切らしながら、僕たちが壊した入り口の扉に辿り着くと、

「あかるっ、開けろっ」

 サキナさんが釘バットを構えながら、ドアノブを顎でしゃくった。すぐに意味を理解し、鍵を開ける。

「いっ、いいですかっ?」

「ああっ、開けろっ」

「あ、開けますよっ、いち、に、さんっ!」

 勢いよくドアを開き、身を反らした。サキナさんが釘バットを構えたまま、外に飛び出る。

「……っ!」

 すぐに僕も外の様子を窺うが、屋上駐車場には人っ子一人いなかった。ほっと息をついたのも束の間、

「あかるっ、お前はここにいろっ」

 サキナさんがずっと停めっぱなしにしていたスクーターに跨った。エンジンが待ってましたと言わんばかりに、ブロロンと唸る。

「さっ、サキナさんっ、僕はっ――」

「俺が誘導してくるっ。ここの番を頼むぞっ」

「で、でもっ」

「いいかっ、危ないと思ったらすぐに閉めろ。もし俺が噛まれてたら、開けろっつっても絶対に開けるなよっ」

 そう言い残すと、サキナさんは颯爽とスクーターを駆り、地続きになっている立体駐車場の方に繰り出していった。

「さ、サキナさんっ!」

 無力感に包まれながら、その背中を眺める。真っ赤なレインコートをはためかせ、サキナさんは猛スピードで下の階へと消えていった。

 取り残された僕は、ひとりポツンと入り口の前に立ち尽くした。サキナさんが残していった言葉が、頭にヒリヒリと焼き付く。

 〝もし俺が噛まれてたら〟

 最悪の想像をして、身が震えた。

 そんなこと、起きるわけがない。サキナさんが、ゾンビになるわけない。そんなこと、そんなこと。もしそうなってしまったら、僕は、僕は……。

 恐怖に駆られながら、立体駐車場の方を見つめる。階下から、ゾンビたちの呻き声が聴こえてくる。それに混じって、キュルキュルとタイヤが擦れる音が聴こえる。

 心配するな。サキナさんが車を先導してやってくるはずだ。絶対に、絶対に、早く現れてくれ、早く、僕はもう、独りにはっ———、


 ———ギャリギャリッ!


 と、タイヤを鳴らしながら、猛スピードで車が立体駐車場へと乗り上げてきた。あの車だ。来る途中、あちこちにぶつかったのか、バンパーが凹んでいる。

 そして、その前方には、レインコートをはためかせてスクーターを駆るサキナさんの姿があった。

 ああ、良かった!と歓喜したのも束の間、その後方に大量のゾンビたちが走ってくるのが目に入り、手に汗が滲んだ。

「サキナさんっ!」

 思わず叫ぶと、サキナさんは手を大きく振った。多分、あれは扉を開けろのジェスチャーだ。すぐに扉を全開に開き、駆け込んで来れるようにスタンバイした。ドアノブを握ったまま、サキナさんたちを待ち構える。

 急いでくれ、追いつかれたら、早く、ここに、急いでくれっ!

 ドアノブを握る手に力をこめていると、サキナさんがスクーターのタイヤをジリリッ!と鳴らして勢いよく止まり、そのままガチャンとスクーターを乗り捨てた。それに呼応するように、後方のボロボロの車もギュリイイイッ!と急ブレーキで止まった。さっき、僕が白いペンキで描いた不格好なSOSの文字が、黒いタイヤ痕で切り裂かれていく。

「こっちだっ!」

 サキナさんが叫びながら走り出すと、車の中から四つの人影が飛び出してきた。

「急いでっ!早くっ!」

 僕も答えるように叫ぶ。四つの人影は気が動転しているのか、よろめいているように見えたが、すぐにサキナさんの後を追って走ってきた。

 早く、早く、早く、急げっ。

「大丈夫だっ!噛まれてねえっ!」

 サキナさんが叫びながら、転がるように飛び込んできた。安心しながら、残りの人影を待つ。

「こっちですっ!早くっ!」

 檄を飛ばすようにまた叫んだ。四つの人影は必死に走ってくる。そのすぐ後ろに、ゾンビの群れが迫っている。

「きゃああああああっ!」

「うわあっ!」

 いの一番に入ってきた女の子が、僕に抱き着くようにぶつかってきた。受け止めるように勢いよく後ろに倒れ込むと、その横をドタドタと残りの三人が駆けていった。

「うおおおっ!」

 倒れたまま動けないでいると、サキナさんがガチャン!と、扉を勢いよく閉めて鍵を掛けた。ダン、ダン、ダンッ!と、鈍い音が立て続けに響く。

 どうやら、間一髪でゾンビたちを閉め出すことができたようだった。ガムテープで塞いだ窓が破られまいかと警戒したが、超強力と謳っていた通り、破られる心配はなさそうだった。というより、ゾンビたちにはそこを破って手を伸ばし鍵を開けるという知能が無いらしく、ドタンドタンと扉にぶつかるだけで、開けようとする気配が無い。

「ひっ!」

「しっ、静かにっ」

 女の子に呼びかける。ゾンビたちは音に反応するはずだ。窓は一面をガムテープで塞いであるから、こっちは見えない。まともな知能が残っていないとなると、恐らくは……。

「ヴぅあうぅあ」

「ヴぁううっ」

「ヴあうあぅ———」

 ゾンビたちの呻き声が遠ざかっていく。予想通りだ。多分、視界から生きた人間という標的が消えたので、行動目的を失ってしまったのだろう。

 ほっと息をつくと、ふと我に返った。必死だったので気が付かなかったが、僕の上に女の子が乗っかっている。

「…………ああああ、ごっ、ごめんなさいっ」

 慌ててどこうとするが、乗っかられているのでどうにもできない。真っ赤になっているであろう顔を隠そうと腕で覆っていると、ふと視線を感じた。横を見ると、転がりこんできた残りの三人が、白い目で僕を睨んでいた。

「すっ、すいませ……え?」

 眼が白い?

 あれ?

 この人たちって……。


「ヴぅあああああっ!」


「うわああああああっ!」


 吠えられた、と同時に叫んだ。

 な、なんでだ!?この人たち、なんでゾンビなんだ!?まさか、さっき噛まれてたのか!?

「ヴあぅっ!」

「わああああっ!」

「あ、あかるっ!」

 三人のゾンビが一斉に襲い掛かってくる。サキナさんが気が付いたのか、釘バットを振りかぶって助けに来るが、一歩遅く、間に合いそうにない。

 ヤバい、まさか、なんで、こんな、ああ、死ぬっ!


「すとーっぷ!」


 緊迫した場に似つかわしくない甲高い声が響き渡った。瞬間、三人のゾンビがピタリと動きを止めた。後ろにいたサキナさんも、突然の出来事に固まっている。

 立て続けに起きる謎の状況に困惑していると、僕に乗っかっていた女の子が立ち上がり、ツインテールの黒髪を揺らしながら三人のゾンビの方へ歩いた。

「もぉう、襲っちゃダメでしょっ。この人たち、リコを助けてくれたんだよ?」

 まるでアニメから飛び出してきたような声が響く。甲高い声の主は、女の子だったようだ。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 まさか、この女の子は———、

「ごめんねぇ。この子たち、あなたに嫉妬しちゃったみたい」

 ゾンビを、手懐けている?

 まさか、井之内くんのような能力者?

 いや、世界に選ばれた者?

「あかるっ!大丈夫かっ!」

 へたり込んでいた僕に、サキナさんが駆け寄ってきて、ガクガクと肩を揺さぶった。

「だ、大丈夫です」

「おいっ、そいつら、ゾンビじゃねえか!何なんだよ、お前らっ!」

 至極真っ当なことをサキナさんが言うが、女の子はあっけからんとして、

「もぉう、ちょっと待っててよ」

 と言い放つと、ゾンビたちの方に向き直った。

「ヴぁううっ」

「ヴあうあっ」

 ゾンビたちは未だ、僕に向かって威嚇するように呻いている。というのに、女の子は臆することなく、自分よりもずっと体格のいいゾンビたちを見上げて、グイッと顔を近付けた。

「ねっ?襲っちゃだーめっ。リコからのお願いっ」

 女の子は小首をかしげて身体をくねらせた。すると、ゾンビたちは急に威嚇するのをやめ、

「ヴぅー」

 と、力なく呻いて大人しくなった。全員、顔は所々腐っていたが、まるでニタニタと笑っているように見えた。

「ふう、これで安心っと。ごめんねっ、大丈夫だったぁ?」

 女の子はゾンビたちを手懐けると、また僕たちの方へと向き直った。

「大丈夫じゃねえよ。あかるを突き飛ばしやがって。あかる、怪我してねえか?」

「は、はい、大丈夫です」

 サキナさんに掴まれている肩の方が痛いです、とは言わないでおいた。心配してくれているのだから、そんなこと言えるわけがない。

 いつまでもへたり込んでいるのが恥ずかしくなり、よろよろと立ち上がると、ようやく心と身体が落ち着きを取り戻した。ともかく、生存者を無事に助けることができて良かった。……中には死んでいた者もいるが。

 向き合ってみると、華奢な女の子は僕と同じくらいの身長だった。遠目で見たら、小さい子だと勘違いするわけだ。

 雰囲気もどことなく幼げだったが、肩の下辺りまであるツインテールに結われた黒髪に、ぱちくりとした大きな目をしていて、アニメキャラのような印象を受けた。白と黒で構成されていて、あちこちにリボンとフリルがあしらわれているワンピースを着ているのも、それを助長させた。手に携えているエナメル製のポーチも、白黒のチェック柄だ。

 その後ろにいる三人、中くらいのガリガリに、チビに、巨漢デブのゾンビは、みんなそれぞれ似たような服装をしていた。同じようなシャツに同じようなズボン。全部地味な色で構成されている。所々に付いている赤黒い血が、まるでアクセントのようだ。

「ごめんってばぁ。でも、ホントにありがと、助けてくれて。もうダメだと思ったぁー」

 女の子が胸を撫で下ろしながら、ほっと息を吐くと、

「そんなことどうだっていい。それより、何なんだお前。そいつらゾンビだろ。一体どうなってんだ」

 サキナさんが声を尖らせながら、釘バットを女の子に向けた。

「ちょっとぉ、そんなの向けないでよ……って、ええ!?」

 正反対のアニメ声が、さらに甲高く響く。

「釘バットって、もしかして……」

「ああ?……っ!?お、お前」

 二人が目を見開く。

「サキナさん、知ってる人なんですか?」

 そう訊いた瞬間、

「サキナ?」

「リコ?」

 二人とも、素っ頓狂な声を上げた。 

「きゃー!ちょー久しぶりじゃない!」

「……おう」

「え、えっと、二人は一体……」

「友達!最近会ってなかったけど、こんなとこで会うなんて!すごーい!」

 リコという女の子は、女子特有の謎に跳ね上がったテンションでキャーキャーと騒ぎ出した。

「助けてくれてありがとね!フフッ、サキナちゃんっ」

「ヴあっあっあっあっ」

 笑う女の子の後ろで、三人のゾンビがゆらゆらと身体を揺らした。

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