3:ESCAPE FROM THE ART ROOM

 それから僕は、呆然と立ち尽くして外の世界が崩壊していくのを眺めていた。

 とはいっても、窓から見える景色は大して変わり映えしなかった。

 街並みは燃え続けるばかりだったし、空は黒煙で汚れるばかりだった。

 遠くの方で鳴っていたクラクションやサイレンの音は、やがて聴こえなくなった。代わりに、悲鳴と呻き声が辺りを支配し始めた。

 救助を期待したが、自衛隊っぽい人たちはいつまで経っても現れなかったし、ヘリコプターや飛行機の類は、あれから一向に空を飛んでいるところを見かけなかった。

 映画のようなヒーローが救世主のように現れることも微かに期待したが、当然のようにそんなことは起こらなかった。

 扉は相変わらず開かなかったが、向こう側にゾンビがいるんじゃないかと思うとたまらなく怖くなり、僕は椅子やペンキの缶、石膏でできた胸像でお粗末なバリケードを造った。ただ扉の前に積み重ねて置いただけだが、それでも無いよりはマシだった。

 やがて辺りが薄暗くなり、不気味なほど綺麗な夕焼けが景色を染めた後、夜が来た。停電したのか、スイッチを何度押しても照明は点かなかった。

 学校で初めて迎える夜は、恐怖のあまり一睡もできなかった。

 悪夢を見ているんじゃないかと思い、彫刻刀を手に突き立ててみたが、切り傷ができただけだった。

 暗闇に耐えられなくなり、灯りを求めて窓から外を眺めたが、真っ黒に塗り込められた街並みの中にポツポツと小さく炎が上がっているだけだった。時折、ゾンビのものらしき呻き声がどこかから聴こえてきた。

 見つからないように息を殺し、永遠なんじゃないかと思えるほどの長い時間を、ガタガタと震えながらやり過ごした。

 時折、滅茶苦茶に叫んでしまいそうになったが、正気を保たなければと、暗闇の中で必死に堪え続けた。

 未体験の状況に陥って身体がおかしくなったのか、見開いた目からは絶えず涙がドバドバと溢れていた。




 ―――いつの間にか朝になっていた。

 淡い希望を抱いて、腫れた目で窓の外を眺めてみたが、世界は終末を迎えたままだった。

 朝焼けの校庭を、数人の生徒ゾンビがウロウロしている。電柱で感電死して電線に絡まった人以外は、どうやらみんなゾンビになってしまったようで、他に死体はひとつも見当たらなかった。

 いや、ゾンビは歩く死体だから、みんな死体になったと言った方が正しいのだろうか。

 いや、ゾンビとは一体なんだ?

 そもそも、あれはゾンビなのだろうか?

 映画やゲームに出てくるゾンビといえば、ルールが決まっている。

 ゾンビとは、歩き回る死体だ。映画によっては走るゾンビもいる。生きた人間を求めて彷徨い、大概の場合は噛まれたらゾンビ・ウイルスに感染して仲間入りを果たしてしまう。殺す――というよりも動きを止めるには、頭部を破壊しなければならない。

 いや、あれはフィクションの中のゾンビだから、現実の、窓の外にいるゾンビには当てはまらないだろうか。

 まあ、とりあえず、あれがゾンビだとして、昨日の光景から推測するに、今のところ分かっているゾンビの定義がある。


 1、生きた人間を襲い、噛まれたら感染する。

 2、ヨタヨタ歩いているが、生きた人間を見つけたら走って追いかける。

 3、つまり目が見えるし、音に反応する。


 見つからないように窓からこっそり観察していたが、ゾンビはあてもなくウロウロとしているだけのようでいて、物音には敏感だった。道路で車が衝突したら、そっちの方を振り返っていたし、今朝も校庭に降り立った鳩に反応していた。

 それ以外は分からない。そういえば、どうして飛び降りた男子は齧られるだけだったんだろう。ゾンビは生肉を食べて飢えを満たしたいわけじゃないのだろうか?あのゾンビたちは目的を持って動いていないように見える。いや、ゾンビなのだから、目的もクソもないのだろうか?

 考えるだけ無駄だな、と思っていたら、空腹で胃がキリキリと痛んだ。喉もカラカラに渇いている。昨日の朝から何も食べていないし、飲んでもいない。

 これからどうなるのだろう。ここでいつ来るかも分からない救助を待っていればいいのだろうか。その前に飢えて死んでしまいそうだ。なんたって、閉じ込められているのだから。仮に、どうにか出られるようになったとしても、外へ行く勇気がない。ゾンビだらけだし、無事に学校を脱出できたところで帰る場所も……そういえば、家はどうなっているんだろう。両親と兄は無事なのだろうか。

 うじうじと考えていると、何もかもが嫌になってきた。

 このまま死んでしまった方がマシだろうか?生き延びたって、どうせ僕は一人っきりなのでは……。

 ふと、棚の方を見た。昨日しまったスケッチブックが並んでいる。

 中から一冊取り出した。林田さんのスケッチブック。パラパラと捲ると、昨日、目に焼き付けた僕の似顔絵が現れた。林田さんによって描かれた、僕が。

 林田さんは、無事なのだろうか?

 もうとっくにゾンビになってしまっているだろうか。でも、もしかしたらトイレかどこかに隠れて、逃げおおせているかもしれない。

 そこへ僕が現れて、ゾンビたちを皆殺しにする。トイレの扉を開けて、林田さんを救出して、感謝されて、抱きしめられて……。

 キモい、キモ過ぎる。何を考えてるんだ。こんな時に、気持ちの悪い妄想をして。

 でも、もしかしたら……。

 窓の外を眺めた。どうせ助けなんて来ないだろう。このままここにいても飢え死にだ。どうせ死ぬのなら、足掻くだけ足掻いて、好きな人に会ってから死にたい。

 ―――外に繰り出そう。

 そう決意した。世界は変わってしまった。崩壊してしまった。俗にいう、ゾンビ・アポカリプスってやつだ。

 生き延びてやる。サバイブしてやる。この世界でただひとり生き残ったヒーローになって、林田さんを救い出してやるんだ。

 棚という棚から、役に立ちそうな物をかき集めた。カッター、ハサミ、彫刻刀、小ぶりな木のハンマー、鉛筆、長い金属製の定規、ガムテープ、赤い絵の具、スケッチブック。

 まず、スケッチブックの表紙の厚紙を破り取って、五枚ほど重ねて長方形に切り出し、ガムテープで腕に装着した。厚紙製の手甲の完成だ。こんな防具でも、ゾンビの噛みつき攻撃くらいは防げるかもしれない。

 次に、カッターで鉛筆を二ダース分削って鋭く尖らせると、矢筒のようにケースにしまってガムテープでズボンに固定した。心許ないが、これでゾンビの脳天をぶっ刺してやる。

 ポケットには彫刻刀とハサミ、カッターをねじ込み、背中のベルトに木のハンマーを仕込んだ。サブの武器だ。いざとなれば、これで戦おう。

 そして、メインの武器、金属製の長い定規にガムテープで持ち手を作って、刀を作った。刃物ではないが、これで力いっぱい斬りつければ、怯ますことくらいはできそうだ。取り回しがいいし、なによりかっこいい。メタルブレードと名付けよう。

 最後に、水性の赤い絵の具を制服と顔に塗りたくった。役に立つかどうかは分からないが、いざとなればゾンビのふりをして切り抜けよう。血だらけっぽくなっていればカモフラージュできるかもしれない。

 準備が整った。棚のガラスに反射した自分の姿をまじまじと見つめる。間抜けな格好だが、これでも精一杯の武装だ。

 メタルブレードで空を斬ってから、覚悟を決めた。

 美術準備室を眺める。一夜を過ごしたこの部屋ともお別れだ。もう二度と、帰ってくることはないだろう。

 最後に、林田さんのスケッチブックから丁寧に切り取った僕の似顔絵を畳んで、胸ポケットにお守り代わりにしまった。もし、生きて会えたら、訊きたいことがある。というより、僕の想いを……。

 握りしめた拳で、胸ポケットを叩いた。

 さあ、外に行こう——として、

「あっ」

 扉が開かなかったことを思い出した。

「…………」

 しばし立ち尽くした後、いそいそとお手製バリケードを解体した。どうにかして開けてみよう。

 ドアノブは相変わらずビクともしない。となると、やっぱりぶち破るしかなさそうだ。

 試しに木製のハンマーで扉を叩いてみたが、コンコンと渇いた音がするばかりで埒が明かなかった。でも、音の感じからして木製の扉は分厚い一枚板ではなく、内部が空洞のような気がした。

 となれば、何か重たい物をぶつけて……。

 バリケードに使っていた石膏の胸像が目に付く。これを使えば―――。

 重たい胸像を抱えると、扉の下の方目掛けて思いきり投げつけた。バギン!と音がして、扉の表面がひび割れ、ささくれ立つ。

 しめた、これだ!

 もう一度、と思ったら、胸像の頭部が見事に割れていた。こちらも、中身は空洞だったようだ。

 棚を見る。胸像はあと四つある。

「……やるしかないや」

 棚から胸像を持ち出し、扉のひび割れ目掛けて投げつけた。粉々に割れる代わりに、ささくれが広がる。それを手でメギメギと広げると、容易く扉の表面が剥げていく。どうやら、薄い木の板でできていたようだ。ひとしきりそれを取り去ると、向こう側の表面が現れた。

 もう一枚だ。突破口さえ作れば、手で広げられる。

 また胸像を持ち出し、投げつけた。どうせならと、残りの三つすべてを投げつけると、ぽっかりとささくれ立った穴が開いた。それをまたメギメギと広げていると―――、

「……?」

 穴の向こうに、何かある。なんだ、これ?

 ささくれに気を付けながら、手を突っ込んだ。これは……美術室の椅子だ。背もたれの無い、パイプ丸椅子。それが、いくつも重ねられて、扉にぴったりと密着している。

 まさか、これがつっかえ棒の役割を果たして、ドアノブのレバーが下に行かないようになっていたのか?

 ……誰だ、こんなことをしたのは。

 怒りに震えながら、椅子の足を掴んだ。動かそうとしたが、思っていたよりもガッチリとはまり込んでいる。どうりで、ドアノブがビクともしなかったわけだ。

 一体誰の仕業だ。わざと僕を閉じ込めるなんて……。

「くそ、くそっ!」

 手を引っ込めると、怒りに任せて右足で椅子の足を蹴った。すると、ガタタンッ!と音がして椅子のタワーが外れ、奥へとスライドした。

 やった!これでようやく脱出できる。今度こそ、この部屋からおさらばだ。

 ドアノブに手を掛ける。今までのことが嘘のように、すんなりカチャリと下に行く。試しに押してみると、これまたすんなりと開いた。

 僅かに開いたままにしておいて、扉の前で深呼吸した。装備の手入れをして身支度を整えた後、メイン武器のメタルブレードを握り込む。

 さあ、今度こそ……行くぞっ!


 ——―バンッ!


 と、扉を蹴り開け、意気揚々と外に飛び出した僕と目が合ったのは―――、

「……えっ?」

 頬の肉が無い、制服が血だらけの女子生徒のゾンビだった。


「う、うわああああああっ!」


 今までに上げたことがないほど大きく、情けない悲鳴を上げた。

 ま、まさか、そんな、すぐそこにいるなんて、音なんてしなかったのに、どうして、あっ、ドアを破る音に寄って来たのか、どうしよう、ああ、死ぬ、ヤバい、目が合った、見つかった、逃げないと、噛まれる、ゾンビが、武器で、無理だ、噛まれる、噛まれる!噛まれるっ!

「うわあああっ!あああああっ!」

 腰が抜けてへたり込み、這うように後ずさりした。空想の中じゃあれだけ頼もしかったメタルブレードが、ただのガムテープ付き定規に成り果てた。ズボンに仕込んでいた鉛筆が、バラバラと床に散らばる。

「ヴぁああああ」

 女子生徒のゾンビは、口から抑揚のない呻き声を漏らしながら、ヨタヨタと近寄ってきた。血の気のない肌は異様に白く、生気のない眼は黒目が白く濁っていた。頬の肉が失せた剥き出しの口から、真っ赤な血がポタポタと滴っている。

「うああっ、来るなっ、来ないでっ、やめてえっ」

 情けない声を上げながら逃げていると、背中がゴンと壁に当たった。立ち上がろうにも、恐怖のあまり、足に力が入らない。絶体絶命だ。

「う、うああっ……」

 目の前の現実を受け入れられずに、両腕で顔を覆った。

 このまま齧られて死ぬんだろうか?こんなにもあっけなく、僕は死ぬんだろうか?まだ十四歳なのに、何もしていないのに、誰も僕のことを見てくれていないのに。

 ガタガタと震えながら、涙を流した。こんなところで、こんな、このまま、こんなことで、死んでいくなんてっ———。


 …………………あれ?


 いつまで経っても、襲って来ないぞ?

 恐る恐る腕の隙間から様子を窺った。女子生徒のゾンビは目の前にいた。

 ぼーっと突っ立ったまま、白い目で僕の方を見ている。何をするわけでもなく。

 一体何分間そうしていたのか――いや、本当はたったの十秒くらいだったのかもしれない。女子生徒のゾンビはゆっくりと踵を返すと、美術室の中をウロウロと徘徊し始めた。

 …………???

 謎の事態に、頭の中はハテナでいっぱいだった。

 襲って来ないのか?目の前にいるのに?どうして?

 恐る恐る立ち上がると、ポケットの中の彫刻刀やハサミがカチャカチャと音をたてて床に落ちた。

 慌ててゾンビの方を見るが、まるで興味なしという感じでウロウロし続けている。

 音にも反応しない。どうして……。

 呆然としていると、ゾンビの足が椅子に当たり、ガタンと転げた。

「ヴぁううぅぅ」

 ゾンビは驚いたように反応した。

 ?????

 ますます頭の中がハテナだらけになっていく。

 どういうことだ?耳が聴こえていないわけではなさそうなのに。

 急に緊張の糸が切れて、動けるようになった。警戒しながらゾンビと距離を取りつつ、新たな武器として椅子を持って構えた。

 ジワジワと移動しながら、様子を窺う。ゾンビは相変わらず、ヴうヴうと呻きながら歩き回っている。試しに、背中に仕込んでいた木のハンマーをゾンビの背中に投げてみた。


 ———コンッ、カンッカカカン


 と、ハンマーは肩辺りに弱々しくヒットした後、軽い音を立てて床に落ちた。ゾンビはというと、当たった瞬間に立ち止まりはしたものの、こっちに構うことなくまた徘徊を始めた。

 その瞬間、ハテナだらけだった頭の中に、とある考えが浮かんだ。

 もしかして……。

 いや、まさか、そんなことが、でも、もしかしたら。

 ゾンビを気にすることなく、開いていた扉から美術室を出た。廊下には、生徒のゾンビが数人ほどウロウロとしていた。


 ———ガタンッ!


 と、扉を勢いよく叩きつけるように閉めた。廊下に渇いた轟音が響き渡り、ゾンビたちが一斉にこちらを向いた。白く濁った眼で、僕のことを見つめてくる。

「ヴぁああ」

「ヴあうぅ」

「ヴぅうう」

 反応して呻き声を上げるゾンビもいたが――全員がすぐにそっぽを向いて、またウロウロとし始めた。

 ……ああ、やっぱり、思った通りだ。

 僕、ゾンビからも無視されてる。

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