4:BLOODY ROCK'N'ROLL

 僕は学校中から無視されている存在だった。

 とある出来事をきっかけに、男子も女子も、人気者も日陰者も、そのどちらでもない者も、教師ですら、僕と口を利かなくなり、見えない者として扱うようになった。

 そして今、悲しいことに、僕はゾンビからも無視されている。

 ……あれ?これって、もしかして、凄いことなんじゃないか?

 廊下を歩いた。

 ゾンビとすれ違う。

 無視される。

 またゾンビとすれ違う。

 無視される。

 馬鹿馬鹿しくなり、全身の装備を剥ぎ捨てながら歩く。

 ゾンビとすれ違う。

 無視される。

 廊下を歩き終える。

 振り返る。誰も、僕のことを見ていない。

 手が震えていた。怖いからじゃない。

「……ハハッ」

 僕は、久しぶりに笑った。




 各学年の教室がある二階へ降りると、廊下は窓ガラスが割れていたり、壁や床に血が飛び散っていたり、上履きが転がっていたりした。きっと、パニックが起きてそれはそれは阿鼻叫喚な事態になったのだろうと思われた。

 そんな中、大量のゾンビがうろついていたが、僕はやっぱり見向きもされなかった。すれ違えどすれ違えど、無視されるばかりだった。

 そんな調子で、難なく二年一組の教室へと戻ることができた。廊下と同じ有り様になっている荒れ放題の教室の中にもゾンビがいたが、僕は構わずに自分の席に座った。

 ゾンビたちの呻き声を聴きながら、自習用のノートを取り出し、机の上に開いた。妙に冷静になっているものの、思考がまとまっていない頭を整理する為に、白紙の上に、とりあえず今現在分かっていることを書き出していく。


 〝急に世界が崩壊した


 ゾンビだらけになった

 

 [ゾンビのルール]


 1、生きた人間を襲い、噛まれたら感染する

 2、ヨタヨタ歩いているが、生きた人間を見つけたら走って追いかける

 3、つまり目が見えるし、音に反応する

 

 なのに、僕は無視される


 なぜ?


 みんなから無視されていたから?


 世界に選ばれたから?


 僕は選ばれし者?


 ゾンビに無視される能力者?


 僕はヒーロー?


 ヒーロー……


 透野明 能力名……〟


 頭の中が妄想で満たされていく。

 僕の能力、ゾンビから無視される能力……、ゾンビから認識されない……、見えない者として扱われる……。

 見えない人間。

 机の上に置きっぱなしにしていた、図書室の本のタイトルが目に入った。


 〝透明人間 the invisible man H.G.ウェルズ〟


「……」


 〝透野明 能力名……インビジブル〟


 いや、僕は日陰者だ。陰キャラ故に、僕はこの能力を得たのだから……。

 消しゴムで能力名を消して、書き直す。


 〝透野明 能力名……陰VISIBLE〟


 そうだ、僕はこの世界に選ばれた能力者だ。

 能力名は、陰VISIBLEインビジブル。ゾンビから存在を認識されない、透明人間のように扱われる、無視される能力だ。

 妄想を綴ったノートを閉じた。

 とりあえず、リュックの中からウォークマンとイヤホンを取り出すと、ポケットにしまった。

 席を立つと、今度は教室の隅にある掃除用具入れに向かった。いつも閉まっているはずなのに、なぜか扉は開きっぱなしになっていて、ほんのりアンモニア臭がした。もしかしたら、パニックの最中、ここに隠れた奴がいて、そいつが恐怖のあまりに漏らしたんだろうか。

 ふん、誰だか知らないが、ビビリ野郎め。

 鼻を鳴らして、中からくすんだ銀色の金属バットを取り出す。

 これは、クラスのヤンキーグループが隠していたものだ。掃除の時間に雑巾野球をする為に、野球部の部室からくすねてきたのだと自慢していた。

 手触りを確かめる。クラスの上流階級の者しかこれを握ることは許されない。そう考えると、まるで選ばれし者にしか扱えない伝説の武器を装備したような気持ちになってきた。

 ワクワクしながらバットを携えて廊下に出ると、先程と同じく、数えきれないほどのゾンビがヨタヨタと歩き回っていた。

 ……どうしよう、やっぱりやめようか。

 今からやろうとしていることに、躊躇いがあった。いかにゾンビといえど、元は生きていた人間なんだ。

 息をしていたんだ。誰かから産まれて、誰かから愛されて、誰かから見てもらえる、人間だったんだ。みんな、みんな———、


 ———僕は?


 ———僕を見ろよ。


 考えを改めると、イヤホンを耳に押し込んだ。ロックバンド、〝Hump Back〟のアルバムを選んで、お気に入りの曲を選択し、音量を最大に引き上げる。爆弾のようなロックが鼓膜を貫通して、脳味噌に流れ込む。

 ああ、僕だけの世界だ。

 大きく息を吸うと、バットをくるりと回して廊下の窓ガラスを叩き割った。爆音のロックのせいで、音は聴こえなかったが――やっぱりゾンビたちは振り向かなかった。僕のことを無視して、ウロウロとしているだけだった。


 ———僕を、見ろよっ!


 ダッシュで一匹のゾンビに駆け寄ると、顔面に向かってフルスイングをかました。


 ―――ドチャンッ!


 という汁っぽい音と共に血飛沫が飛び、生々しい感触が手に伝った。顔の下半分が潰れたゾンビが壁に叩きつけられ、「ヴぐ、ヴぐぎゅ……」と小さく呻きながら、ずるずると床にくずおれていく。

 ……まだ生きているのか!

 執拗に、頭だけを殴り続けた。一発、二発、三発、四発、五発殴ったところで、ゾンビの頭は踏み潰したトマトのように成り果てた。それでもビクビクと身体を痙攣させていたが――やがて、完全に動かなくなった。

「はあっ、はあっ……」

 ……ゾンビのルール。4、頭部を破壊したら死ぬ。

 ふらりとよろめいて、咄嗟に壁に手を突くと、そこに標語のポスターが貼ってあった。〝優しく、思いやりを持とう〟という安っぽい文言が、さっきの血飛沫と僕の血の手形で真っ赤に汚れる。

 破いてやろうかと思ったが、それはやめて金属バットを力強く握り直した。返り血を浴びた肩で息をしながら、前を向く。

 ゾンビたちは同胞が殺されたというのに、気にも留めていないのか、こっちを見向きもせずに相変わらずウロウロとしていた。


 ———僕の、ことを、見ろよっ!!!


 ダッシュで近くにいたゾンビに駆け寄り、脳天に金属バットを喰らわせた。脳味噌混じりの鼻血を盛大に噴き出して、ゾンビがぶっ倒れる。


「うおおおああああああああああああっ!!!」


 思いきり叫んだ、気がする。ロックと高揚感のせいで、よく分からなかった。


 ―――ああ!僕は!生きてるぞっ!!!


 僕はお気に入りのロックに乗ってバットを振り回し、ゾンビ共を次々とぶち殺しながら、命の限りに叫びながら、一心不乱に廊下を駆け抜けていった。




「……ふうっ」

 廊下の突き当たり、理科室の扉にもたれて座り込むと、イヤホンを耳から引き抜いてウォークマンを止め、僕だけの世界から帰還した。

 息を整えながら、ぐったりと足を投げ出し、走り抜けてきた廊下を眺める。数えきれないほどの頭が潰れたゾンビの死体が床に転がっている。壁にも天井にも、血と肉片が飛び散っている。何枚かの窓ガラスが割れている。

 ……僕、ゾンビといえど、たくさんの人間を殺したんだな。

 ふううう、と深く息を吐いた。身体から力を抜くと、握りしめていた血だらけの金属バットが手から転がり、カラカラと音をたてた。

 扉に頭を預けたまま、のけぞるようにして階段側の窓から外を見上げると、とても終末の世界とは思えないほど、澄み切った青空が広がっていた。

 ……とりあえず、顔を洗おう。

 赤い絵の具と返り血と汗でビチャビチャに汚れた顔を拭いながら、そう思い立った。

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