5:I AM A HERO!

 僕はプールに来ていた。

 今年はまだプールの授業を二回しかしていなかったなあ、と思いながら、プールサイドに腰掛け、パシャパシャと足で水を弄ぶ。キラキラと光る水面に、真っ赤な血の濁りがドロリと溶けていく。

 あれから、廊下やトイレの水道で顔を洗おうとしたのだが、どこの蛇口も水がほんの少し出た後、枯れてしまい、話にならなかったのだ。

 恐らく、水道局が機能していないのだろう。発電所が機能していないせいで電気が使えないのと同じことだ。まあ、終末世界なのだから、当然か。

 喉が渇いていたが、ゾンビの返り血と絵具で赤く濁っていく水を見て、飲む気は失せてしまった。

 そういえば、ゾンビの血が目や口に入っても、感染はしないのだろうか。まあ、今のところゾンビになる傾向はないし、大丈夫なんだろう。

 手で水をすくって、パシャパシャと顔を洗った。

 ……まどろっこしいな。

 立ち上がり、脱いでいた上履きの上にウォークマンを置くと、軽く助走をつけて、服を着たままプールに飛び込んだ。

 僕だけの貸し切りだ。気にすることはない。

 プールの中で、はしゃぎ回るようにして身体を洗った。動けば動くほど、真っ赤な濁りが僕から溶け出していった。

 ひとしきり服の汚れを落とした後、プカプカと水面に漂いながら空を見上げ、思いを巡らせた。

 これからどうしよう。この終末世界で生き抜く為に、何をしたらいいんだろう。

 考えていると、グウウと腹が鳴った。

 ……次は、とりあえず、腹ごしらえかな。

 入道雲の真上の、僕だけに照り付ける真夏の太陽が、まるでエールを送っているように見えた。




 それから、ある程度綺麗になった制服を絞って水気を取り、プールサイドで干して乾かしてから着替えた後、しっとりとした身体で教室に帰った。プール終わりの独特な怠さを感じながら、湿った髪をハンカチで拭く。全身が生乾きのような状態で気持ち悪いが、この暑さだ。いずれ乾いてしまうだろう。

 どうやらゾンビ・パンデミックは給食の後の昼休み中に起きたらしく、給食の配膳ワゴンはどこにも見当たらなかった。まあ、もし残っていたとしても、この季節のことだから腐っていたに違いない。

 仕方なく、大久保くんのカバンをゴソゴソと漁った。あのデブは、必ずバッグの中に菓子パンを隠し持っていたはずだ。

 あった。メロンパンに、コロッケパン、ピザトースト。いかにも馬鹿っぽいパンばかり出てくる。机の上にあった未開封のメロンソーダも頂いていく。まったく、飲み物まで馬鹿っぽい。

 どこか別の場所で食べようとしていたが、我慢できずに、コロッケパンの袋を破いてかぶりついた。昨日の朝ぶりの食事は、今までに食べたどんなパンよりも美味しかった。

 一気に食べた後、口の中をメロンソーダで洗い流した。ゴクゴクと喉を鳴らして、ぬるくて甘ったるい炭酸を飲んでいると、僕は今、生きているのだと強く感じた。

「ぷはっ」

 ピザトーストの袋を開けながら、教室を出た。

 学校は、どうなってしまったんだろう。




 パンを齧りながら、学校中を見て回った。

 いたるところに生徒のゾンビが溢れていたが、相変わらず僕は無視された。

 職員室にも出向いてみたが、教師ゾンビたちも、やっぱり僕のことを無視した。とりあえず、鍵の棚から学校中の扉を開けられるマスターキーを頂戴して、職員室を出た。

 ありとあらゆるところを見て回ったが、どうやらこの学校の生存者は僕一人だけのようだった。トイレの個室や人気のない教室も隅々まで見て回ったが、いるのはゾンビばかりで、生きている者は一人も見当たらなかった。

 色んな教室で置き去りにされていたスマートフォンをたくさん見つけたが、どれもこれも圏外で通信機能は失われているようだった。画面ロックが掛けられていないものを見つけて、試しにいくつかのアプリを起動してみたが、当然のようにネットには繋がらず、電話も掛けられず、メッセージも送れなかったし、そもそもエラーになって立ち上がらないものもあった。さっぱり役に立たなかったので、窓からひとつひとつ金属バットで打ち飛ばして遊んだ。

 各学年の教室があるせいか、二階がゾンビで溢れかえっていたので、また片っ端から殺してやろうかと思ったが、怠かったのでやめた。代わりに、教室と廊下をうろつく連中は、みんな一カ所に閉じ込めてやった。金属バットで小突きながら一人一人誘導し、中に追いやっては扉を閉めるという、中々大変な作業だったが、二階にいた大量のゾンビを一掃した時は、得も言われぬ達成感に包まれた。誰もいない廊下をスキップし、教室の中で小躍りしていると、まるで僕がこの学校の支配者になったようで、心地よかった。

 学校中を探索している内に、気が付いたことがある。

 ゾンビたちは生前、習慣的にやっていた行動を繰り返しているのだ。

 勉強熱心だった三浦くんゾンビは机に座って鉛筆をガリガリ擦り付けていたし、いつも腹痛を起こしていた筒井くんゾンビはトイレの個室に座ってズボンを脱いでいた。

 村田くんと黒沢さんのゾンビカップルは、階段の踊り場で仲良く手を繋いで呻いていた。ムカついたので、蹴り飛ばして階段から転がり落とした。

 担任の諏訪ゾンビは職員室から二年一組の教室を延々と往復しているようだったし、理科教師の緒方おがたゾンビは理科室でチョーク片手に黒板に向かって呻いていた。

 恐らく、ゾンビになっても生前の記憶がおぼろげに残っているのだ。いつか見たゾンビ映画にも、そんな感じの設定があった気がする。

 学校中のゾンビたちが僕のことを無視するのも、生前の習性を残しているせいなのだろう。ゾンビになる前に習慣的にやっていた、〝僕という存在を徹底的に無視する〟という行動を繰り返しているのだ。だから、僕の声にも、僕の出す物音にも、僕がする行為に対しても、徹底的に無反応なのだ。例え、小突こうと、殴りつけようと。

 かと思えば、真面目な生徒会長ゾンビが、なぜか全裸で学校中を走り回っているし、一概にもそうとは言えないのかもしれない。生前の生徒会長があんなことをやっていたわけが――……まさかね——ないので、きっとゾンビの中には突飛な行動に走る奴もいるということなのだろう。

 しかし、そんな生徒会長ゾンビですら僕に見向きもしないので、それだけ僕を徹底的に無視するという概念は、みんなの中に強烈に焼き付いているらしい。ヴあヴあ呻くだけの能無しに成り果ててからも。まるで、強迫観念だ。

 そういえば、こんな設定のゾンビ映画も見たことがある。危険な病気に感染している者は、ゾンビからも避けられ、襲われない。野生動物が危険な病気にかかっている獲物に手を出さないように。

 つまり、他者に寄生して増殖し、繁栄、共存するのがウイルスの目的なのだから、わざわざ見込みのない不健康な生物には寄生しないというわけだ。

 となると、僕は何か危険な病気にかかっているのだろうか?

 よく分からない。そんな覚えはないし、あれは映画の話だから、現実に当てはめて考えること自体、馬鹿げているだろうか。

 どうせなら、ノートに書いた通り、こういう風に考えた方が気分がいい。

 僕は、この世界に選ばれた者だ。ゾンビに無視されるという特殊な能力を授けられた者だ。生きる資格を与えられた者だ。無敵の能力を持つヒーローなんだ。

 だから生き残った。

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