6:AM I A HERO?

 僕は屋上に来ていた。

 普段は鍵が掛かっているので来るのは初めてのことだった。屋上という未開のロケーションを楽しみにしていたのだが、いざ来てみるとそこまで高揚感は得られなかった。

 フェンスが張り巡らされた外周に、ひび割れだらけの汚い地面、窓から見るのと大して変わらない景色。

 ここに来れば特別な気分になれるかと思っていたが、見当違いだったようだ。

 試しに入り口の上にある高台によじ登ってみたが、やはり気分は変わらない。

 ガッカリしたが、せっかく来たので少しの間、ここにいることにした。足を投げ出して座り、景色を眺めながらぬるいメロンソーダを飲んだ。

 これからどうしようか。

 プールの時に投げ出していた考えが、また浮かんできた。

 この学校では、僕は無敵だ。でも、学校から出たらどうなるんだろう。外のゾンビたちは僕のことを無視するだろうか?もしそうだったとしたら、僕はこの世界で本物のヒーローになれる。

 でも、もしそうじゃなかったとしたら、僕は他の人間たちと同じようにゾンビに成り果ててしまう。

 僕は特別な存在なのか?本当に選ばれし者なのか?

 そもそも、この終末世界で何をすればいい?何を目標に生きればいい?

 考え込んでいると、むしゃくしゃしてきた。頭を使うのが嫌になり、ゴロリと寝転がって空を仰いだ。意識が吸い込まれるように、青い空へと溶けていく。


 ———そういえば、あいつもゾンビになっちゃったのかな。


 思い出したくもないことを思い出していると、胸ポケットからパサリと何かが落ちた。

「あっ」

 林田さんの描いた僕の似顔絵だった。水気を含んだ画用紙が、しっとりとくたびれている。

 そうだ。美術準備室から脱出する時に、これをお守り代わりに入れていたのだった。すっかり忘れて服を着たままプールに入ったので、濡れてしまっている。

 慌てて起き上がると、折り畳んでいた画用紙を開いた。画用紙の中の僕は、構成する線が水で滲んで、まるでピントが合っていないかのようにぼんやりとしていた。

「……ああ」

 馬鹿なことをした。僕が好きな人から存在を認識されているという確かな証拠、もとい宝物だったのに。

 落胆していると、急にビュウッと風が吹いた。突風は、僕が力なく持っていた画用紙をいともたやすく吹き飛ばした。

「あっ!あああああっ!」

 情けない声を上げながら、慌てて立ち上がり、目で行方を追った。吹き飛ばされた画用紙は風に乗り、ヒラヒラと宙を舞いながら、校舎の棟と棟の間に消えて行き、あっという間に見えなくなってしまった。

 そんな―――。

 宝物を失ってしまい、呆然と立ち尽くした。校舎の棟と棟の間——運動部の部室がある体育館の棟と、今いる棟の間は渡り廊下で繋がっているだけで、まるっきり外だ。あの画用紙は風に煽られて、学校の敷地の外へと飛んで行ってしまっただろう。もう二度と僕の元に戻ってくることは……。

「ああ……」

 肩を落として落ち込んでいると、ふと思い出した。

 林田さんはどこにいるんだ?

 そういえば、学校中を見て回った時も、林田さんを見かけなかった。たくさんいたゾンビの中にも、林田さんはいなかった。

 ……もしかして、どこかで生き延びているのだろうか?

 何を目標に生きればいいって、そうだ。簡単な話じゃないか。そもそも、そう決意したから、美術準備室から脱出したんじゃないか。

 好きな人を探しに行こう。

 そう再度決意した後、メロンソーダを飲み干して、空になったペットボトルをオレンジ色に輝く太陽に向かって放り投げた。

 夕方の気配が立ち込み始めた屋上からの景色は、さっきまでと違って、どこか輝いているように見えた。




 とはいっても、どこを探せばいいだろうか。

 屋上から教室に戻った僕は、自分の席に座って考えていた。

 この棟はもう探索し尽くした。生存者がいないか隅から隅まで探したし、徘徊するゾンビたちはみんな顔を確認していったから、ここにいないことは確かだ。

 となると、後は正面玄関の横から続く渡り廊下の先、運動部の部室と体育館がある隣の棟だ。外に出るのは躊躇ったから、そこだけは探索していない。

 いるとすれば、常に開放されている体育館だろうか。それとも、もうとっくに学校の外へと逃げて行ったのだろうか。

 分からない。でも、とりあえず行ってみることにしよう。他にやることもないし。

 机の上にリュックの中身をぶちまけると、必要なものだけを選んでしまい込んだ。分かっていることを書いたノートに筆箱、読みかけの図書室の小説に、財布、学生証、ハンカチ、ウォークマンの充電器。

 教科書も、宿題のプリントを入れたファイルも、もう必要ない。今の僕に必要なものは、これだけだ。

 軽くなったリュックを背負うと、金属バットを担いで一階まで降りた。まだうろついているゾンビたちをひらひらとかわしながら廊下を進むと、渡り廊下へと続く正面玄関に辿り着いた。

 下駄箱の近くを数人のゾンビがうろついている。玄関は解放されたままになっていて、外にもちらほらと生徒のゾンビがいた。

 構うことなく外に出よう――として、ふと気が付いた。

 もし、ここから外部のゾンビが攻めてきたらどうなる?

「……っ」

 急に怖くなり、慌てて玄関中の扉という扉を閉めて回った。学校関係者のゾンビなら平気だが、外部のゾンビが僕を無視するかどうかは、まだ確証を得ていないのだ。

 渡り廊下へと続く扉の外を見た。体育館の扉が遠くに見えるが、閉め切られていて中の様子は分からない。いつの間にか陽が落ちかけていて、辺りが薄っすらと暗くなっている。

 ……今日はやめておこう。

 恐怖に駆られて、断念した。電気が点かないのだ。探索していたら夜になってしまう。真っ暗な体育館を徘徊するなんて、いつも通りの世界だったとしてもごめんだ。ゾンビがうろつく今の世界なら尚更のことだ。

 大体、林田さんがあそこにいるかどうか確証がないのだから、無理をする必要はない。

 下駄箱で上履きをスニーカーに履き替えた後、外部のゾンビが入ってこれないように一階中の扉や窓をチェックしながら教室に戻った。徘徊するゾンビたちも、もう一度注意深くチェックした。外部のゾンビがもう侵入していたとしたら、気が抜けない。

 幸いにもそれらしきゾンビは見当たらなかったが、この広い校舎のどこに潜んでいるか分からないし、向こうも絶えず動き回っていたら、ただ単に遭遇していないだけという可能性もある。

 独りで行動していると、自然と金属バットを握る手に力が入った。震えそうになる腕に、僕は特別な存在なんだと必死に言い聞かせた。

 ……孤独って、こんなにも怖いことだったのか。

 心のどこかで、大丈夫だと思っていた。普段から孤独だったのだから、前も今も変わらないようなものだと思っていた。孤独でいることは、とっくに慣れたものだと思っていた。

 でも、間違っていた。

 あれだけ感じていた高揚感が、消え失せている。

 今、独りでいることが、たまらなく寂しく、怖い―――。




 僕は保健室に来ていた。

 休憩用に置かれているソファの上で膝を抱えながら、テーブルの上に立てて置いた懐中電灯の灯りを見つめる。職員室の備品の棚で見つけたものだ。中の乾電池が切れかけているのか、それともそもそもこの明るさなのかは分からないが、薄暗くて頼りない。それでも、無いよりはマシだ。

 壁の時計を見遣ると、九時過ぎを指していた。窓の外は、とっくに暗くなっているだろう。

 外部のゾンビに見つかるのが怖かったので、外に面した窓には美術室から持ってきた黒い画用紙を隙間なく貼り付けた上に、カーテンを閉め切ってある。灯りは漏れていないと思うが、外から見たわけではないので、確証はない。

 懐中電灯の灯りを見つめながら、クッキーを齧った。あれから、職員室や色んな学年の教室を巡って荷物を漁り、食料を調達して回った。といっても、見つけたのは、こっそりと食べるのであろうクッキーやキャンディ、ガムくらいで、空腹を満たせるようなものは見つけられなかった。

 給湯室の冷蔵庫で見つけた缶のブラックコーヒーで、パサパサのクッキーを流し込んだ。ぬるい苦味が口の中に広がる。

「……美味しくないな」

 独り言が虚しく響いた。独り言なんて今までほとんど口にしたことがなかったが、なぜか無意識に発していた。孤独過ぎるせいだろうか。

 口の中の苦みと虚しさを払拭する為に、キャンディを口に放り込んだが、消えたのは苦みだけだった。それ以上は食欲が湧かず、テーブルに広げていた食料をリュックの中へ放り込むと、荷物を持ってベッドへと向かった。

 何味かよく分からないキャンディを口の中で溶かしながら、仕切り用のカーテンを閉め切って、安心して眠ることができる空間を作る。入り口の扉には鍵を掛けてあるからゾンビは入って来れないが、仕切っておかないと、どうにも落ち着かない。

 枕元に荷物を置いて懐中電灯を立てかけると、布団をどかして寝転がった。ベッドで寝るのは久しぶりのことだったが、まったく高揚感はなかった。ふかふかの布団にくるまってみたが、やはり気分は虚しいままだった。

 美術準備室の暗闇の中で恐怖と戦いながら夜を明かした時とは違って、灯りもあるし、安心感もあるはずなのに、ただひたすらに、孤独だということが怖かった。

 誰かの声が聞きたくて、ポケットの中からゴソゴソとウォークマンを取り出した。イヤホンを耳に挿し、音量を小さくしてロックを聴く。

 ……僕は、この世界に選ばれたヒーローなんだ。特別な人間なんだ。特別な存在なんだ。だから、きっと、大丈夫だ。少なくとも、この学校では。

 ロックを聴きながら、そう自分に言い聞かせながら、身を丸めた。疲れているし、昨日の夜は一睡もできなかったというのに、一向に眠れそうになかった。

 口の中で、ゆっくりと何味か分からないキャンディが溶けていった。

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